同僚がやっている指導に興味を持つ

同じ現場で誰がどういう指導をしているのかを互いに知ることは教育の質やグループとしての力の向上につながると思う。
逆に言うと、経験や資格、普段の人柄や容姿、人間関係などで「指導力」「教育力」までを判断したくない。
これらはまったくの別物とは言わないが、「商品」としては別個であると思う。
クライアントや被教育者が受け取る「モノ」とは違うのではないか。

私は基本的に(こういった部分に関しては)他人を信用していない。
自分が見たもの、考えたもの、感じたものしか信用しない。
実際に勉強会などで互いにガチンコで向き合ったような、それも定期的に濃く最近にやり合った仲間でないと信用はできない。
もしくはせいぜい、本当に信頼している人物からの二次情報を採用するくらいか。

それだから不安になる。
ただし、この不安も実は、自分がうまく教育や指導、コメントをできているだろうかという不安の裏側だろう。
だから他人が気になる。

実際上、立場を変えなくては他人の教育や指導を外から客観的に見ることは難しい。
だが、最終的に指導に入った皆が被教育者の前でコメントするチャンスが(終盤に)あったならば、その指導員が何を考えていたか、何を見て、被教育者に何を伝えてきたかが垣間見えるかもしれない。
完全に教育の場が終わってからの指導者グループ内輪でのミーティングでは、この目的は達せられないかもしれない。
取り繕って隠れてしまうかもしれないから。

2011-06-12 07:00

(関連エントリ)

ちょっとしたコメントが教育者の評価を決める | deathhacks

自分がするコメントの目標と評価をどうするか | deathhacks

メンタルヘルスの教育をするときに最終顧客を見すえる | deathhacks

Related Posts Plugin for WordPress, Blogger...

コメント

タイトルとURLをコピーしました