世の中には科学やエビデンスに頼らずとも素晴らしい成果をあげている人が大勢います。
と言うか、数や比率でも大多数は、日常で、細かなデータを集めたり、数字をキリキリと計算したり、統計処理をしたりはしなくとも立派に生活できます。
確かに計算機やコンピュータ、筆記具や紙、書籍、インターネット、鉄道や航空機など様々なインフラが安価に広がってきて始めて、今の人類の叡智や発達がもたらされ、さらに進められていっています。
しかし、それらの技術などを必ずしも皆が取り入れ、身に付け、絶対的なものとして実践しなければならないとしたり、強制することはできません。
結局それらも単なる「ツール」であってそれ自体が素晴らしい結果を保証するわけではないからです。
私のメンターは、「データやらエビデンスやらの面は確かに自分の苦手な部分かもしれないけれど、これまで自分には必要なかったんだよな」というようなことを話していました。
確かに目の前に、最近一般的に言われる科学的な演繹的な手法でなく、膨大な実績から帰納的に真実(らしいこと)に到達している実例があることはわかります。
しかし、それと、私がこれから先、どのようにメンタルヘルスや自身について研究していくかは、また別物ではあります。
海が無い国で一番足が速い人が泳げないことを不思議がるようなものです。
足が速いことはそれだけで、生き物としても、物理的にも優れたことと考えていいでしょう。
そのことは海や水泳というような存在や概念が新たに出現した「だけ」では変わりません。
陸と海の比率や生活、さらに新たな移動方法や技術の出現などに左右される相対的なものであることは正しいのでしょう。
2011-03-01 07:00
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