カウンセリングを学びたい人について、思いやモチベーションと現場・現実のニーズのどちらが先にあるべきでしょうか。
カウンセリングや危機介入を学びたい学びたいと熱意があり、実際に勤勉に学んでいる人は、ややもすると「自分はこんなに学んだ、努力したのだから、それを実践する場が必要だ、するべきだ、いや、、与えられるべきだ」という風に考えます。
あたかも自分が、当然されるべき評価をされていない、チャンスを与えてもらえないのは不当だ、とでもいうように自分以外のせいにします。
しかし、こうした思考をする時点でケアを受ける相手やクライアントを主体とは考えていない状態にあることを忘れています。
もちろん、観察も含めたケアがあった方が良い人や場面は多いのですが、それが本当に「あった方が良い」のか「絶対的に必要」なのかの判断には慎重にならなくてはいけません。
また、もうすでにカウンセリングや危機的場面に関わりが多かったり、深かったりする人が、十分な技術や知識、ノウハウを持たないために二次的に苦しんでいる、苦労しているということはあるでしょう。
そうした人たちには少しでも早く適切に、ケアやノウハウを供給したいと思います。
カウンセリングやメンタルヘルス、惨事へのケアなどの「市場」「ニーズ」は確実に潜在しています。
ただ、その「発掘」「開拓」は適切にしなくてはいけません。
今すでに出版上はメンタルヘルス周辺をテーマにしたものの軽いブームになっています。
それらは市場や必要性を一般的に認知させる役目にもなりますが、不適切な開拓のリバウンドで、業界が衰退したり信用を失う可能性にもつながります。
ケアを欲しているという需要とカウンセリングを提供したいなどという供給をうまくマッチングさせる仕組みや組織が適切にあるべきなのでしょう。
2010-09-01 08:00
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