うつ的反応の一例(2) – トマソン的横断歩道と事故傾性

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うつの人が消極的ながら危険な状態や環境に向かうことを事故傾性と言います。
自暴自棄に陥ったり、車の運転が荒くなったり、生活習慣病や悪性腫瘍の治療を拒否したり、子供であれば小さいな文房具屋やオモチャを飲み込もうとしたり、などが例として挙げられます。
これらは、自責感や自罰願望、焦りや諦観など、うつの人にみられる反応や変化、内面として一般的です。
そして事故傾性言動は、自殺念虜や自殺企図、解離性遁走(失踪)などと同等のシグナルだと考えられます。
ただし、周囲の人や医療者、カウンセラー、そして本人もそれがうつや自殺念虜と関連が深いものだということを気づかなかったり対処が必要なものと認識していなかったりすることはまれではありません。
他人のために自分が犠牲になるのだというシチュエーションがたまたま身近にあれば、さらにマスクされて分かりにくいものとなります。

あるうつの人は、横断歩道を渡るときに車が来てもよけたり早足で避けたりすることをしないという「クセ」がありました。
それがいつ頃からのクセであるかははっきりしません。
信号のあるような交差点であれば、右左折してくる車がきても怯みません。
信号のない1本道路の横断歩道では左右から迫ってくる車に目を向けません。
彼に言わせると「横断歩道は歩行者優先だから車が止まるか待つか避けるかするべきです」という考えだということでした。

しかし、一方で彼は自身がそのような行動にこだわることが「ややマトモではない」ということは分かっていますし、車に轢かれたら自分の方が負けて痛い思いをすることも普通に分かっているのでした。
「交通法規を守るならば自分は保護されるべきだし、事故になったら車が悪くて負けだ」といくら小さな理屈では正しくても勝ち負けの次元で考えるのは現実的でない、というのは理解しています。
それでもその固執や行動を修正できず、毎日歩く道の同じ横断歩道で「自分はオカシイのか?正しいのか?」というような”無駄で””不毛な”思考と漠然とした不安を抱えていました。

結局彼の固執・固定思考はカウンセラーに相談して「自分が正しいことをしていることを世界に認めさせたい、という願望みたいなものかねぇ。事故傾性とはちょっと違う気がするけど。。」というようなことを言ってもらい、なぜかその帰りに同じ横断歩道で無事歩道で車が通り過ぎるのを待つ事ができました。
別の解釈を外部から提示されたこと、単に他人に自分の不安を話したこと、タイミング・偶然、どれが影響したのかはわかりませんが、とにかく「行動は変化した」のでした。

このケースは事故傾性そのものが表れたものではなく、やや変則的な反応です。

2010-12-12 11:00

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