飲みニケーションなんて流行らない

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だが、危機的状況や生命がかかるような場面では、システムになんか頼れない。

頼れるのは「人間」だ。
システムだろうが、技術だろうが、使用・運用するのは結局人間だからだ。

現場がうまくいくかというのは、相手(人間)に対して信頼「感」を持てるかどうかで決まる。

そのの部分には、できるだけ長い時間一緒に過ごしたこと、仕事と関係のない雑談をどれだけしてきたか、相手のプライベートや性質をどれほど知っているか、同じ釜の飯を食ったかなどが反映される。

特にクライシスへの対応やCISMにおいては、過去の蓄積の上に発揮されるチームとしてのシンクロ率が重要、というかそもそもの基本要素としてもいいくらいのものになる。

2012-12-27 06:00

理想を追求して最大限トレーニングしておくべきか

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実際の現場で使う状況が得られないのであればいくら練習しておいてもコストパフォーマンスが悪くなる。

「もしも」の1回のために備えておくのがプロフェッショナルというものかもしれないが、現代のスピード感においてはアジャイルに扱って余計なことはしないミニマムデザインが主流だし。

2012-12-24 09:00

映画や小説のコアテクノロジーは端折ること

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映画でも小説でもマンガでも自己紹介でも、その核となるものは「省略」だ。

元々の物語と同じだけの尺を使わないと表現できない、伝えられないというならば、いくら時間や資源があっても足りない。
映画でも、説明書でも、ある人間の思考や思想、(擬似)体験を、別の人間に、そのまま同じではないにしてもリピートさせる。
それ自体は経験的に可能だし、素晴らしいことだが、すべてを完璧にやろうとしたら、人生や人格を二重にコピーするという不可能仕事になってしまう。

だから、端折る、のだ。

幸いに端折っても、実質問題のないくらいには、補間できる知能、というか能力を人間は多かれ少なかれ持っている。

この「端折っても伝わる」という現象がうまくはたらかなかったり、逆に「伝わらない」「伝えられない」という状態や心理をもたらすものの一つが惨事やクライシスと言われるものだ。
そうしたときには、聞くにしても、話すにしても、「端折らない」という日常とは真逆の工夫が必要になってくる。

2012-12-18 07:00

惨事サポートの現場で当事者の名前を知っておく

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惨事後サポートに入るときの一番のポイントは、グループから見てもらって、如何にサポートチームへの心理的距離を近くに感じてもらえるかだ。
これは組織がどれだけ当事者グループの皆を心配しているとか、サポートチームがなんとか問題を解決したい、助けになりたいと思っているか、ではない。
極端に言えば、「あぁ、この人たちは自分たちの状況、自分たちそのものを良く(まあ)理解しているな」と感じてもらえるかが勝負になる。
さらに言えば、実際に様々細々したことを知っている必要はない(長期のサポートにしても短期のそれにしても外部からのチームが入り込むには限界は低めだ)。

この目的を達するためのもっとも簡単なテクニックは、個人の名前を知っておくことだ。

事故の被害者や亡くなった人などのフルネームを、最初期に確認しておく。
年齢や性別、プライバシーというレベルでない一般情報(役職、人物の印象、見た目、評価、住地域、家族構成など)なども知っておくと良い。

これらの情報をグループ対応にしても、個別の面談にしても、知っていて提示するのとしないのとでは相手が受ける印象に雲泥の違いが出てくる。
初対面の間柄でもなるべく早くに親しくなりたいというときに、会話の中で自然に相手の名前を繰り返し呼びかけるという基本的なコツと一緒だ。

逆に、内容としてはいくら素晴らしい、適切な話をしていても、うっかりと当事者らの名前や情報を言い間違えてしまうと目も当てられない。
全体の印象はリカバリーできないくらい落ちてしまったり、しらけたりしてしまう。

もちろん、惨事後サポートの依頼を受けたり、管理者や人事担当者などから事態のヒアリングをしたりするときに、自然にこうした情報が取れればそれでいい。
だが、実際の場では、名前を始めとした情報は出てこないことが多い。
この理由は、これらの情報が知っていることがあまりにも当たり前すぎて、先方の担当者らも省いてしまい「彼が……」とか「彼女は……」とかいうように代名詞を使ってしまうからだ。

2012-12-11 09:00

職場の同僚が自殺したという組織へのサポート戦略の考え方 – その3

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同僚が亡くなったグループのサポート戦略について書いてきた。

職場の同僚が自殺したという組織へのサポート戦略の考え方 – その1 | deathhacks

職場の同僚が自殺したという組織へのサポート戦略の考え方 – その2 | deathhacks

グループメンバーに個別に会って話すメリットはあるし、グループ全体に一度に説明や問いかけ、投げかけをする意義もある。

理想を言うのならばサンドイッチ方式が良いだろう。
 グループ → 個別 → またグループ
という感じが良いかもしれない。

まず一般的な惨事後反応や自殺の心理メカニズムなどについて最小限、適切に情報提供する。
10分や15分くらいで良い。
それ以上は亡くなった方の歴史や状況をより詳しく知らないことには不自然な語りかけになってしまう可能性が高まる。

そして個別だ。個別に会う。
予備情報はあらかじめグループや組織の管理者から受けていたほうが効率的に話が聞ける。
しかし、基本的にはプレーンな状態から相手の話したいこと、話したい方向へと向かってもらう。
テーマの基点は原則として亡くなった方、もしくはその状況に対する相手クライアント個人の反応になるが。

そして最後にもう一度グループ全体に惨事後介入活動のフィードバックができると良い。
最初の教育・情報提供とのズレ、一般論と違っていた今回の特徴などを補正する。
個別セッションの中で出てきた情報を守秘に気をつけつつ、全体に共有してもらう。

あくまで時間や場所などの制約に阻まれなければ上記のような手順が奨められる。
これらは手順としての定型というのではない。
要素が十分に含まれていたり、狙うところと同じか似たようなプラスがサービスとして提供できるのならば形にはこだわらない。
惨事、あるいは自殺後のグループインターベンションはマニュアル作業ものではないからだ。

2012-12-05 08:00

職場の同僚が自殺したという組織へのサポート戦略の考え方 – その2

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会社などで自殺が起きた時に、外部からサポートを行う初動戦略の考え方における要素を昨日のエントリでは書いた。

職場の同僚が自殺したという組織へのサポート戦略の考え方 – その1 | deathhacks

こうした要素は考えれば考えるほど出てくる。
それぞれの状況や組織についてよく知れば知るほど、「こうしたほうが良いな」とか「この人にも支援を提供しよう」とかいうようなアイデアは浮かぶ。
支援を受ける側も様々なイメージを持っているし、具体的な要望を出してくることもある。

しかし、時間やマンパワーは有限だ。
選択と集中をしなくては支援の焦点はズレて、結局外部の人間がワッと来てかき回してもっともらしいことやできそうにもない計画や注意を多量に置いていき、どうも支援を受ける前よりも疲れてしまったし気持ちも暗くなってしまった、というような笑えない事態になる。

元々の想定である、「組織内で起きた自殺後のサポート」に戻って考えてみよう。

「自殺やその心理についての教育」が効果的かもしれないし、「衝撃的な出来事の後の身近な人が感じるストレスや惨事反応」についての説明を求められるかもしれない。
今後管理者や人事担当者が注意すべき従業員をスクリーニングして欲しい、という要望を相手が出してくるかもしれない。

これらをすべて行うことは不可能だし(少なくとも同時期に一度には)、上に書いたようにメリットだけでなくデメリットをいたずらに増やす可能性がある。

ポイントは出来事(自殺)からの時期や、その出来事が組織や仲間内でどのような意味を持ったかをヒアリングや情報収集から読み取り、優先度の低い支援目標は大胆に切り捨て、大目標をチームで共有しながら「それ」だけは達成するべく資源を集中することだ。
「あれもこれも」という支援活動が一番良くない。

2012-12-04 08:00

職場の同僚が自殺したという組織へのサポート戦略の考え方 – その1

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職場で自殺した人が出た場合、どんな組織や規模であれ、同僚や管理者には大きな衝撃が走る。
その死の原因が事故や病気であってもショックは大きいが、それが自殺であればさらに強い影響が出る。

そうした状況や組織にサポートとして外部から入っていく仕事をしている。
その手順に基本はあるが多くは応用が必要だ。

もしもイベントが発生した組織に直接出向いて、その場の同僚や従業員に30分でも集まってもらうことが可能だったとしたらば何をしたら良いだろうか。
出来事をなかったことにしたり、その衝撃をゼロにするとか、精神的・身体的に調子を崩していく人間が出ること必ずしも皆無にすることは難しいが、そのリスクを減らしたり、不適切な反応を少しでも弱めるような支援は可能だ。
そのためには「心理教育」だとか「情報提供」だというに呼んでいる仕事をさせてもらう。

心理教育は、身近な人の自殺という簡単には受け入れられなかったり、ただただ驚くとか悲しくて仕方がないといった感情があまりに激しく暴走し過ぎないような知識、あるいは情報を提供する。

その内容や骨子にはいくらでもバリエーションがあるし、相手や細かな状況の違いに合わせて調整しなくてはいけないのだが、ザッと3つほど挙げてみよう。

  1. 死は誰でも怖いし、それだからこそ関心がある
  2. 生きることをことさら意識していない人でも、死について考えたことがない人はいない。
    普段意識していない「死」というものを身近に感じることで、あらためてその必然性や自分に置き換えての「生」や「死」について考えを強いられる。
    自殺においては「なぜ?」という疑問を生じさせることがとても多い。
    しかし、その明確な答えは得られないことも多く、その場合混乱や怖さの増幅という「反応」をもたらす。

  3. 人は自殺する
  4. 自殺は(きっと)ゼロにはできない。
    それはすべての人間が幸せになるとか、満足して死を迎えることができないことと同じくらい確かなことだ。
    上記の件と同じように「自殺の理由」を後から他人が確実に述べることはできない。
    しかし、我々外部からの専門的支援チームは過去の経験や研究、そしてなによりも現場で得た経験から、的を射ている可能性の高い「自殺の原因」を提案することができる(提案というのも変だが、推測して提示し、それを受け取るかは自由に任せるしかない)。

  5. 人間は身近な人が自殺した場合、自分を責める気持ちや原因を探すモードで、過去の出来事を検索する
  6. 原因や理由が明らかであれば、どんなに悲惨な出来事出会っても、人間はある一面で安心することができる。
    不安を感じるスイッチをオフにすることができる。
    自殺は、その理由や原因が永久に解明できない(ような気がする)ことが多い。
    そうすると、人によっては、グルグルといつまでも自分を責め、過去の記憶を(時には自分に都合悪く書き換えながら)思い浮かべることを止められなくなってしまうことがある。
    これは苦しく、新たに身体的・精神的不調を来す者を増やしていくことにつながる。

結局、こうした仕組みや悪循環を、適切に扱い、「おかしいことではないが、過剰にあるのは不適切だ」というようにバランスを取りながら、自殺者周囲の人の状態や心理を正常化し、より苦しみの少ない適切な状態に変化していくことをサポートしていくのが我々の仕事であり、そのツールの一つが心理教育である。

と言いつつも、自殺(体験)には「惨事」としての側面もある。
そちらへのアプローチとのバランスをどのように考えるかについてはまた別のエントリにて。

2012-12-03 13:00

遺体に「慣れる」ということはない

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事故や犯罪、災害など、あるいは業務・任務の上で死体を見た、扱ったときの心理的トラウマティック反応には、強い時、弱い時、まったくないときなど様々だ。
死体目撃反応をあまり重視していない人や、「(必ず)慣れるから大丈夫」と言い切る人もいる。

どんなものでもバランスが大切で、危険におけるリスクをどう測り予測するかの問題だろう。
確かに単に連続的に死体や遺体に触れても精神的・肉体的に「平気」ということはある。

実際、衝撃を受けて危険な可能性が増えたり、心理ストレスが遷延してしまうのには、いくつかのパターンがある。

  • 小さな子どもの遺体
  • 遺体に苦しんだ様子が見られる
  • (生前の状況から推察して)想定外の死が訪れている

などだ。

これらは各種の研究でも似たようなことが既に繰り返し述べられている。
(他に、遺体の損傷が激しい、複数の遺体を同時に扱う、なども)

要素の背景にあって共通するのは「残酷」あるいは「悲惨」な「ストーリー」を(接触し、扱う人間が)思い浮かべるか否かだ。

逆に考えると、遺体を扱ってもASD、ASRがないか少ないのは、「(いわゆる)大往生」「お別れを十分にできあきらめられた状況」「人事を尽くしての結果としての死」などの場合ということになる。
現代の日本であれば、医療機関における死というものの多くは、上記の条件を満たすだろう。
さらに逆に、医療職や警察勤務、消防勤務などであっても、遺体に「慣れる」ということや、多数の経験をもとにある個人の遺体ストレス耐性を高いものを評価することは適当ではないとも言える。

2012-11-30 08:00

惨事サポートにおける諸刃の正常化

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惨事に遭って、不眠や悪夢、イライラや茫然自失、幻としか思えないような感覚などを体験している人に対して「それは無理もないよ」「そう思うのも当然だ」と正常化してサポートすることは本当に効果的だ。

しかし、このことが定石やコツだとしても、当然100%うまくいくわけではない。
相手やその時期によっては、正常化が「攻撃」になる。
その感覚は暗黙知的なもので簡単に伝えたり教えたりすることはできない。
人知を超えているのだろう。やってみるまでわからない、ということだ。

ただ、惨事やイベントから時間が経てば経つほど、正常化にネガティブなメッセージが加わる可能性が増えるということだけは憶えておくといい。
こうしたちょっとしたコツは経験が乏しくてもなんとか学んでいくことはできる。

2012-11-28 09:00

労う言葉さえ相手を襲う牙となる | deathhacks