オーバー・ディスクロージャー over-disclosure とは「過剰な情報開示」のことです。
ここでは特に、日常や、カウンセリングの現場、メンタルヘルスの教育現場も含めてた様々な場面で、ある個人が自身の内面や悩み、過去や体験を不適切な程度にまで相手・周囲の人に対して表出することを指しています。
カウンセリングの場面では、クライアントがより深く早く、自分の考えや悩み、問題などをカウンセラーに知ってもらいたいがためにこの状態になることがあります。
回数や関係性の深度によって、程度を調整した方が良いと思われます。
例えば、いくらカウンセラーの感じが良く、その場の居心地が良いからと、自身の感情や秘密を早い回から出しすぎてしまい、次回以降のカウンセリングに来るのが嫌になったり怖くなったりすることがあります。
この「話し過ぎ」という状態は、エンカウンター・グループやカウンセリングの教育場面でも起こります。
確かにこれらは、日常の現実原則優先の状況とは違いまずが、あまりに自分勝手に一方的に「この場面では何でも正直に全員が話すべきだ」「どんなに深い悩みや苦しい事実(過去)であっても責任を持って受け止められてしかるべきだ」と強く思い込む人間は少なくなく、危険な要素をはらむことは間違いありません。
うつリハビリでの後期以降から社会日常に復帰してからも、このオーバー・ディスクロージャーはよく見られます。
うつで苦しかったときの思いのみならず、そこでは「自分の回復やリハビリがうまくいった理由を(カウンセラーなど)に話したい」「本(文章)にしたら面白そうだ(役に立つし、社会のためになるはずだ)」という感情が表現されることが多いです。
あるいは、クライアントとカウンセラー(カウンセリングやメンタルヘルスを学習した人間)の狭間にいるのではないかというような人も社会には多くいます。
自分のクライアント(のような)時代から、心理カウンセラーという、世に重宝される、(私もそれを否定はできないですが)ワクワクする興味深い分野や技術を身につけ活かす状況や可能性を過剰に広範囲に見境なく吹聴するのをよく見ます。
いずれの状況・場面にしても、これらの自己表現は受け手側に評価は委ねられるはずでしょう。
「聞きたくない」「知りたくない」という受け手側の意志を完全に無視するような開示つまりオーバー・ディスクロージャーは慎重に扱うべきです。
世の中、なるべく多くの情報を知っていた方が良い、その上で選択したり判断したりする自由を持てば良いという考え方は真実の一つですが、「知らない」ままでいる権利や利点についても「知っ」ておき、配慮するバランスは大事です。
2011-02-06 08:00
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