謙虚になりたい

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謙虚になる方法にはどんなものがあるか?
自信をなくすのは、ひとつの方法
現場で失敗すること
失敗すること
他人からも自分からも駄目だと評価されること

2010-07-31 7a.m.

自分はルーキーだ

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だから、遠慮はしません。配慮はします。

初めてマウンドに上がるルーキー投手が、完投しようとかして、ピッチングの配分を考えたりするでしょうか?
そんな余裕や雑念はないでしょう。

登板の途中でスタミナが切れたり、球数が多くなったりしたとしても、構わずとにかく一球一球に集中して、その瞬間で一番良い球を投げることだけを考えます。

私も、怖いものなく、考えたりしゃべったりできるのは、今だけかもしれませんので、ある程度やりたいようにやらせてもらうつもりです。

メンタルヘルスやカウンセリングについて考え学び始めたのが2007年か2008年くらいから。
まだ2、3年分しか経験や蓄積はありません。

2010-07-30 8a.m.

※1年半前に書いた時と気持ちは別に変わらず。 自分はやはりルーキーだ – neti2の日記

子供に社会性はない

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子供同士が、驚くほど乱暴で残酷な言葉のやりとりや行為を互いにしているのを見ると、思いやりの気持ちはないのか、社会性がないのかと、彼ら彼女らが、まるで人間ではない別の種類の生き物のように思えることがあります。

これは「社会」が学ぶもの、生まれた時からもっているものではないもの、あとから学習するものだからです。
大人はそれを、実は自分たちも学んで身につけたことなのに、そのことを忘れてしまっているのです。

2人以上が集まればそこに社会が生まれ、栄えたり滅びたりを繰り返しながらも、社会が社会を再生産してきました。

しかし、振り返って考えてみると、社会性を持たない、社会が存在しない、個が無数にあるだけの状態がデフォルトなのです。

それでも結局社会によって生み出され育てられた人間たちは、孫悟空がお釈迦様の手から逃れられなかったのと同じように、その枠組から逃げることはできなません。

2010-07-29 6a.m.

話すことがなくてカウンセリングに行っても良い

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ただ雑談をしてお茶して世間話して、夏なら一緒にアイスでも食べて帰ってくれば良いでしょう。
そこで何か発見があるかもしれないし、ないかもしれません。
帰ってきてから「あっ、あれを話せば良かった…」「これを相談しなきゃいけなかったなー」となってもいいのです。

カウンセリングは行きたいとき、行きやすいとき、自分の都合、自己チュー精神で行っておくと、少し切羽詰まったときにも行きやすくなります。
ただし、これは身近にカウンセリングの場があって、時間や金銭のコストが問題にならない状況の話ですが。

2010-07-28 6a.m.

今死んでも大丈夫

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私が最近到達している境地(笑)は「今死んでも大丈夫」と思えることです。

今死にたいかと言ったら死にたくないですし、悔いはないのか全てやり尽くしたのか常に一生懸命なのかと訊かれれば自信はありません。
痛いことには、よりドンドン嫌いになっています。

それでも、なんとなく、なぜか死や終わりを受け入れられそうな感覚があります。
きっと、以前に比べれば、今のこの瞬間にも、やりたいこと、やるべきこと、できることを、そこそこのレベルでやっている感じがするから。
根ざす根拠は何もない、はなはだ弱々しい、自分だけを(が)信じる力。

2010-07-27 7a.m.

若者が死ぬべきか、年寄が死ぬべきか

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国家として予算が足りなくなったら若い人と歳をとった人とどちらを優先するべきでしょうか。
どちらかしか救えないのならば、そして選ばないことによって、どちらともが苦しむのならば、若者の救済を選んだ方が良いでしょう。

年寄はとりあえずその時点まで生きてきて恩恵を受けています。
ならば優先して、自主的に退場するのが公平です。

いま現在、世の中が「悪い」状況だとして、その責任が若者と年寄のどちらにあるかと言えば年寄にあるでしょう。
年寄はすでに選挙などで世の中を変えたり修正したりするチャンスを持っていた(けれど現況がある)からです。

若者には、現状についての責任は(ほとんど)ありません。
若者が責任を負わなくてはいけないのは「未来」に対してです。
自分の、他人の、社会に対する責任。

しかし、年寄がこれまでに積み上げてきた社会やインフラ、知があったからこそ、若い世代が苦労少なく生まれ、生きてきているのも事実です。
日本で言えば人口比率からみて、若者よりも年寄に政治的なパワーがまだまだ多くあることも事実です。

天動説が地動説に取って代わったように、時間とともにゆっくりとしかし確実に起こる世代交代を待たなくてはいけないのかもしれません。

2010-07-26 6a.m.

変える気がないなら、他人の意見は聞かない

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他人の意見を訊く(聞く)、発言の機会を与えるというのは、謙虚さの現れになるかのもしれません。
ただし、人の話を聞いておいて、何も変えない、変わらない、取り入れないのは、相手を軽んじているというような負のメッセージを与えることもあります。
人は自分の意見を聞かれて、言った、言わされたからには、なんらかの形でそれが活かされたり尊重されないと嫌な気持ちになります。
どうせ、言った「だけ」になるのならば言ってもしかたないと思って、二度と発言(発案)しなくなることもあります。
アイデアやモチベーションは、ときにもろいものです。
他人の意見を気軽に訊いてもいいが、その場で可能な限りうまく議論するのが良いのかもしれません。
もうそれはすでに「気軽に」聞く状況ではないのですが。

2010-07-25 8a.m.

チームカウンセリングで1+1が2にならない

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チームカウンセリングというか自殺や惨事のポストベンショナルケアの話ですね。
対象の集団をケアするのに一つの標準としては3名程度のチームで3日間ほどの計画を組みます。

しかし、ときには人数が増減したり、日程が伸び縮みすることもあり得ます。
そんなときに、それに対応するために単純に人数や期間に対して足し算やかけ算の算数を当てはめようとする人がいます。
人数が少ないから1日伸ばしましょうとか、日数が少ないので人数を倍にしてみました、など。
実際にはそう簡単にチームとしてのパフォーマンスは計算できません。

カウンセリングや心理学的剖検、ディブリーフィングなどは相当にケア担当者が疲労します。
それを見越さずに少ない人員のところを期間や根性で乗り切ろうという見積もりには慎重であるべきでしょう。
人数が増えれば個別カウンセリングや物理的な作業に使える戦力は確かに増えますが、意思統一や情報共有、あるいは個々のミスなどの別のコストやノイズも確実に増えます。

こういった「人月」の見積もりは工業畑やシステムエンジニアのような業種の人であれば常識なのでしょう。
遅れたプロジェクトの進捗を挽回するためにやみくもに人員を増強したら、情報共有のためのスペースやミーティングなどのコストが高くなったり、悪くすれば増強人員に対しての教育コストが却ってかさんだりして、さらに状況が悪くなったたという話は聞いたことがあります。

一見、対人というアナログコミュニケーションの極致であるように思えるメンタルヘルスの活動やカウンセリングですが、ひとたび2人以上の連携が必要になればそこには工業的、エンジニアリングの考え方が適応されます。

2010-07-24 8a.m.

アドリブはストック&タイミング

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ベテランの教育者は講義や講演などで、思いつき、ひらめき、その場での発想やスパークで話しているようにみえることがあります。
しかし、その内容の源は経験の蓄積です。
もしくは色々と考えに考え抜いてシミュレートなどをしてそれをストックしているものです。
決して何もないところから生み出されてくるわけではありません。

ミュージシャン(特にジャズやライブなどでしょうか)がステージでやるアドリブと同じでしょう。
観客から見て、今目の前で適当に、その場で、初めて考えついたり、生まれたフレーズやリズムに思えるかもしれませんが、実はあらかじめ本番以外で様々なパターンを試しつくしているのです。
そしてその良いところ、いいものをやはりストックしておいて、あとはタイミング良く出せるようにしておくのです。
昔、男性デュオのケミストリーがデビュー前か直後くらいのレコーディングで、本当にその場のノリや思いつきでアドリブを入れようとして「何も蓄積したものがない君たちには早い。君たちはミュージシャンのアドリブというものをまだわかっていない」というようにプロデューサーから戒められていました。

私も会話の中で使えるような「ネタ」を常にストックしておいて、さもその瞬間に思いついたようにして出して見せることが好きで、常にストックとタイミングについて頭を巡らせています。

2010-07-23 6a.m.

プレゼンにサプライズは要らない

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あるミーティングで、その時話していたテーマから多少ズレた、本質的な話を持ち出してみました。
10数人が参加するそのミーティングでそうすることは、単なる雑談になったり、私が承認欲求を満たそうとしているだけだととらえられる可能性はあったのですが、そこそこ受け入れられたように思います。
そうなった理由の一つは事前にしていた「サプライズ感を弱める工夫」のおかげかもしれません。

この「聞き手を驚かせない」という注意点は小室淑恵氏が著書や雑誌などで繰り返し指摘しています。
企画や商品をプレゼンするときに、奇をてらった内容や演出でクライアントに訴えようとするのは「ご法度」であるのに、初級者はしがちであると。
いくら良いものでも人は初めてみたものを、ビックリの中で、判断することに抵抗を感じます。
(時間的制約がある中で致し方なく新しいものを検討しなくてはならないとか、ず抜けた意思決定者がはっきりと存在する場合などは除きます)

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私のケースでも、そのミーティング参加者全員に事前に完全な根回しや資料配付などをしていたわけではありません。
ブログや仕事の合間、食事のときなどに「あとでみんなが集まったときに一気に考えていることを発表して反応を見てやろう」などという色気は出さずに、積極的にアイデアをアウトプットしておく、という工夫をしただけです。
これは言うのは簡単ですが、常に、アイデアを盗まれるのではないかとか、くだらないと笑われるのではないかというような恐れとの戦いになります。

しかし、公然とアイデアや企画、意見を発表する前に一部あるいは全部の参加者に概要を知っておいてもらうことには様々な良い点があります。
すでに同じ話を聞いている人が、他の人への説明を補助したり、協力してくれたりするかもしれません。
あるいは、多少理解がズレていたとしても、それはそれで、新しい観点からの議論や新しいアイデアの基になるかもしれません。
賛同してもらえるにしろ、否定的に返されるにしろ、その場で初めて意見やアイデアを聞いたのではないからこそ、意識的・無意識的に準備をして意見を聞いてもらえるのです。

この考え方、やり方は「本当に良いもの」「確たる本質を持つもの」をあぶり出す最も良い方法の一つです。
本当に良い映画は映画館でヒットして、DVDになっても売れ、さらにテレビで放送しても視聴率を稼ぐものです。
新鮮さは薄れるかもしれませんが、ストーリーや見どころをすでに知っていても繰り返し見てしまう、愛される作品はあるでしょう。
繰り返し聞いても楽しくなってしまう「すべらない話」も同じようなことです。

新鮮さや驚きの演出効果を捨て、勇気を持って、サプライズ感を「弱める」工夫をしてみましょう。

2010-07-22 7a.m.