幸せかどうかを考え込んだ時点で幸せではない

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私は映画をよく観ます。年に50〜60本、週に一回くらいのペースですから少なくはありません。

映画を観ていると果してこの映画は面白いのだろうか、何か自分にとってプラスになるものはあるだろうか、1000円を払った価値はあるだろうか、などを考えるときがあります。
かなりはっきりと「ノレ」なかったり、「面白くない!」と感じてしまったときでもなるべくは「なんでこんなシーン(映画)を撮ったのだろうか」と企画や製作の裏、監督などのことをメタ視点で考えてみたりします。
それでも年に1〜2回は辛くなって残念ながら途中で出てきてしまうことはあります。

小説などでも同じですが、その物語が興味深く、面白ければ、「果してこの小説(映画)は面白いのかな」などと考えるヒマはないはずです。そういった体験や物語に出会う確率は高くはありませんが、少なくとも私は過去の経験からこの世に存在していることを知っています。

ただし小説や映画に限らず、世界には自分にとって意味のある、有意義な「シグナル」よりも「ノイズ」の方が多いようです。
それでも、自分がお金や時間、エネルギーをすでに使ってしまったからといって、その対象が無駄ではなかったと思い込む(思い込もう)とすることは避けたいのです。

良いカウンセリングとそうでないものは定義したり線引きしたりするのは難しいが「見ればわかる」ような話かもしれません。ポルノと芸術の違いについても、甚だ主観的としか言いようがありませんが「見ればわかる」とは言われます。

私が聞く側でも話す側であったとしても、授業や講義、講演などについて同じことが言えます。残念ながら、聞いていて深く感動したり、ハッとする連続だという講義はまれです。
決して他人にだけ厳しく言う消費者的立ち位置からではなく、無理に良いところを探さなくてはいけない時点でその話や講義、あるいは物語は「その人にとっては」普通以下であり一流ではないのです。

幸せかどうかを自問自答した時点でその人は幸せではありません。
映画、小説、講義、幸せなど、様々なな人生上のテーマにおいて「夢中」を探し続ける自分を保ちたいと思っています。

2010-06-07 7a.m.

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