精神科の診断はなんのためにするのか?あるいは新型うつについて

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病院に行って診察を受け、診断されて治療が始まる。そんな一連の流れは多くの場合、当たり前のことに感じられるかもしれません。
でも、「診断」はなんのためにするのでしょうか。

診断は一人一人の病状を把握した上で、その情報を一般化するために行います。「病気を診るのではなく人を診るのだ」という理想論や精神論はこの際脇に置いておきまして。
一般化することによって、過去の大量の経験と照らし合わせることが可能になります。その過去の経験も一般化されていなければとても使いにくいものになります。
一般化によって過去に効果があったとされるものと同様の治療をする妥当性が了解されます。そういった大義名分があるからこそ、国家や学術的権威を背景とした治療・医療ができます。その結果がまた記録され全体に還元されるというのが先にも書いたことですし、現代の医学・医療のシステムなのです。

ただし、医学はまだまだ未知のことが多い分野です。人間は体も心もブラックボックスです。たとえば、うつや統合失調症などを定義するにしても、正常な心とはどんなか、感情とは何かという問いに答えることが現状では難しいため、何を「病的」としていいかを定めるのも難しいのです。

そんな事情のなかで精神科医療が、経験則から決めた診断基準に過剰に縛られると間違いをおかす可能性があります。
診断基準がうまく当てはまらない病態や標準化・一般化した治療がうまくいかないときに、不適切な程度まで、その患者の個別性に原因を求めたり、「これは新型うつだ!」「新種だね。。」とすぐに例外化に走ったりすることはよくありません。
うつは「再発」という事象が確率という数字を伴ってさも絶対的な事実のように述べられますが、その数字の背景や意味の限定性も考慮しなくてはいけません。「再発」ではなく「まだ治っていなかった」という考え方の方が適切な場合はありませんか。
もしも、例外としたものの分量があまりに多くなったとしても、それは例外と言い続けることができるのでしょうか。
そういった見方を専門科はもちろん、一般の多くの人が持つ方がいいように思います。

「新型うつ」という言葉に違和感を感じないでしょうか。「新型」という言葉には工業製品であれば、最先端の良いイメージを付け加える力があります。しかしこれが病(やまい)のように好ましくないものに付けられると、治療や対処が難しいというイメージやあたかも今までまったく世の中に存在しなかったものが突然出現したようなイメージが強くならないでしょうか。そんな効果もあるため、言葉の扱いは難しく慎重さも必要です。

人間の望みや欲に限りはありません。しかし今や十分に発達したとも思えるほど発達した医療において、「診断」を絶対的や基準や権威と捉えて一方的に授かる必要性は少ないのです。
また、医療とは別に、たとえばカウンセリングのような、個別ケースから心理や精神について探り、ボトムアップ的にメンタルヘルスに関する問題をみていくことも、万能ではありませんが有効なアプローチの一つだと思います。

2010-05-08 9a.m.

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