ドクターストップという幻想

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世の中には「ドクターストップ」というものがあると思っている人が多いのですがそれは誤りです。ここで「ドクターストップ」とは医師が医学的見地から専門家として、心身の限界を越える行為を中止させることを指します。

ボクシングやマラソンのようなスポーツにおいて、あるいは会社や組織での業務について、医師が、身体的あるいは精神的またはその両方の状態について危険を認め、ドクターストップをかけ、そのアスリートや会社員を休ませてくれると期待するのは間違いと言えます。

医学的にみてどんなに危険な状態だったとしても、医師が個人に対してある行為や業務を止めるよう強制したら人権の侵害となる可能性があります。また、その個人が属する組織などに対して同様のことを勧告したり、強制したりすることは越権行為でしょう。

結局、スポーツやら仕事やらを、体力・気力の限界などの理由から途中で止めることは、本人か組織(の責任者)、できればその両者の合意の上でしかできません。一見世の中で医師が絶対的な権限を持ってドクターストップをしているように見える例でも、個人や組織が決心したことを医師「も」追認した、あるいはその逆に医師の勧めに個人や組織が応じたというだけ、という見かたが正しいのです。医師と個人や組織の契約上・法律上の関係にもよりますが、専門家であると同時に、いや専門家であるからこそ医師の、専門分野に関する責任は限定的ですし、そうである方が望ましいことが多いでしょう。

それまで異変のなかった人が、それまでと同じような生活や仕事をしていたとして、その人の心身の調子がなんの前ぶれもなく、突然に悪くなることは確率的に言って少ないものです。そして、「疲労」として認識される、徐々に蓄積した状態の悪化を医学的・科学的に判定することは今日ではまだ不可能または困難です。

ボクサーが試合中に意識状態があやしくなったり、体力やダメージの限界に至ったと判断されたのならば、セコンドがタオルを投げるというルールがあります。マラソンランナーが倒れたのならば、誰が考えても、奇跡的な回復を待つよりはすぐ救急車に乗せようとするのが正しい判断です。
仕事で言えば、うつや過労死、心疾患や脳血管障害を起こす前に止めるのが適切だということに異論はないと思います。
そして医師が責任の多くを受け持って、これらの判断や決定、処置をすることは通常難しいのです。

ですからスポーツをするにしても仕事をするにしても個々の人間はそれぞれ、組織の責任を担う人間も、自身や部下の健康管理および責任のあり方について良く考えなおしてみるべきでしょう。そしてドクターストップの存在という幻想は捨てるべきです。

2010-05-05 8a.m.

※このエントリは以下の文章を修正・加筆したものです

ドクターストップという幻想 – neti2の日記 http://d.hatena.ne.jp/neti2/20090803/p1

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