うつ症状の重要なものの一つに疲労感がある。
疲労を感じたことがない人はいないだろう。
疲労を回復するには、基本的には休まなくてはならないし、時間もかかるということには納得してもらえるのではないか。
しかし、それが死にたいという気持ちにつながったり、それほどの苦しさに直結するということになると途端にイメージしにくくなるようだ。
それは、結局は疲労が目には見えず、痛みとかと同じく当事者主観でしか測れなかったりと、明確に共有できる尺度がないからだ。
だが、その表現には遺書などの上に、驚くほど共通性が見られることはすでにわかっている。
例えば、自殺したマラソン選手の円谷幸吉の遺書にも「幸吉は、もうすっかり疲れ切ってしまって走れません」というように書かれている。
これは半分は比喩としての疲れであり、当たり前だが決して運動の直後に書いたからというわけではないのではないか。
ただし、本人には休めばある程度短時間で回復する疲労と、うつ的な染みついたような疲労感の区別はつかないし、それどころの気分や思考状態ではなかっただろう。
自殺者の遺書については、E・シュナイドマンの「シュナイドマンの自殺学」が詳しく興味深い。
2012-07-10 08:00
(関連リンク)
シュナイドマンの自殺学―自己破壊行動に対する臨床的アプローチ
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