うつの「自分カミングアウト」は難しい


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うつであることを自分自身で認めることは難しい。

ゲイやレズビアンなどのセクシャルマイノリティやHIV感染、被差別的な出自などでは一般に、他人や社会に公表するという意味での「カミングアウト」という表現がある。
それがためらわれるのは、様々な不利益や差別が怖いからというのが一つの理由だ。

うつについても同じように、その状態や診断、治療、リハビリなどについて周囲の人間、家族、社会にどう伝えるか、あるいは伝えないかという悩みや問題が出てくる。

しかし、自分自身がその「うつ」についてどう考えるか、どこまでどのように受け入れるかということはあまり語られない。
それは、はっきりとした必要が認められないということと、目に見える形では誰にでもわかるように表現されることがほぼないという理由による。

たいてい、「自分カミングアウト」というものは、診断や社会への伝達よりも後の時期になってからされるものだ。
そして、そのときになって初めて本人・当事者は「ああ、なんだ。自分はうつで苦しい思いをしていたけれども、頭のどこかでは本当には理解して諦めて受け入れてはいなかったのだな」というふりかえりができるようになる。

それまでは、どこかで「何かの間違いではないか」「自分の場合は特別でいわゆる他の『うつ』とは違うのではないか」とかなりの部分、諦めていない。

別に、なるべく早く「自分カミングアウト」をした方がいいとか、それをして初めて順調なリハビリができるのだ、という話ではない。
ただ、事実と実感に近いだろうことを述べている。

考えてみれば、医療から診断を受けるとか、職場の同僚にうつのリハビリをしていくことを知ってもらうなども、1か0かという二者択一の話ではない。
当事者のことを深く真剣に理解して興味や思いやりを持ってくれる人もいれば、表面的な事実だけを記憶するだけで特に言動が変わるわけでもない人も、どちらも社会として周りにはいるだろう。

認知や認識というものがそもそもそういう性質を持っているのだろう。
自己と他己という違い、程度や範囲の違い、時間的な違いなどがあって、決して単純ではない。

別に自分の体験や状態を自ら語ることができれば良いというのでも、隠しているからダメなのだということも、どちらでもない。

2012-01-07 11:00

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