PTSD(心的外傷後ストレス障害)やASD(急性ストレス障害)に伴うフラッシュバック(侵入)はその体験や感覚そのものに善悪はありません。
何か衝撃的な出来事(PTSDであるならば生命の危険を感じた、もしくは実際に死ぬ可能性があった)を経験したとして、本人が意図していない、望んでいないのにそのときの感覚(五感さまざま)が生じるのがフラッシュバックです。
このような想起、思い出し自体は人間の生体機能、特に知能や高次脳機能、記憶としてはごく自然かつ現代では必須なものです。
しかし、そこに「まったく望んでいない」「想起することが辛い、苦しい」「怖い」という価値判断や感情、そして動けなくなる、仕事ができなくなる、身体的な症状につながるなどの社会的トラブルを伴えばいわゆる「症状」としてのフラッシュバックと認められます。
それによって他者の理解や補助、医療などのサービスを受けることができるようになります。
フラッシュバックを単に想起ととらえた場合には、ある種のヒラメキに過ぎません。
そこに感情や価値が必ずし伴わないものも多くあるはずです。
良いことを思い出すことも広義には想起です。
またフラッシュバックすることによって、その出来事を重要な記憶として忘れないという面もあります。
ある現象をどう解釈するか、利用するかは短期的に見るか長期的に見るか、どの視点でみるかという価値観によりだいぶ変わります。
2010-12-03 06:00
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