なぜ誤りを認めないのか

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誤りを認めることには感情が絡む。だから難しい。それは他人から指摘される場合だけでなく、自分で自分の誤りを確認することでもそうだ。

誤りを認めることから始まって、そこに「こうしたほうが良かった」という反省が加わると次の展開や希望につながることもある。「こともある」としたのは、誤りを認めることや反省することが絶対的な必要条件であったり、必ずメリットのある万能な行為ではないからだ。

反省は無力感や後悔につながり、過剰になれば悪い影響をもたらす。

また、過去の誤りを認め、こうすれば良かったというふりかえりや反省をしたならば、今度は必然的に「次の段階」に向かわなければいけなくなる。「これからどうしていけばいいのか」を考えなくてはいけなくなる。本当は、そんな「義務」があるわけではないのだが、とにかく他者や自分の「常識」がそうした思考を強制する。

「謝罪」が「賠償」や「補償」とセットになっているというのが当たり前のように刷り込まれている。

そして、「これからどうしていけば良いか」という、不確定な未来に向かうためには様々な意識的・無意識的予測から生まれる不安や焦りと戦っていかなくてはいけなくなる。しかも、それはたいてい、長期間にわたって続けていかなくてはいけない。誤りを認めたことや反省が他人や社会と共有されていればなおさらだ。

こうした反省とそれに基づいた対処や行動をセットに考え、予想してしまうと、人は誤りを認めなくなる。認めたくなくなる。認めることができなくなる。かくして誤りを認めることが怖い、嫌だというように感情が絡むことになる。

2011-12-27 09:00

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