浅田真央の身内の不幸の件はそんなに熱くなって報道したり叩いたり叩かれたりするようなものでもない。本当の事情や状況は当事者にしかわからないから。
— 小片武 (@neti2) December 12, 2011
スケート協会などはキチンと選手のサポート、強化、育成を優先として判断や行動、広報をするべき。世論やマスコミはデリケートで無視できないが直接に説明責任はないか、少ない。
— 小片武 (@neti2) December 12, 2011
(プロ)アスリートの公人性は議論が分かれる。まったくの私人とは言えない。税金が巡り巡って投資されたりしているから。でも利害関係者は広げれて考えるときりがない。自費も使う。コーチが外国人であったりする。そのコーチを育てたのは誰かといえば特定したり境界線を引けない。
— 小片武 (@neti2) December 12, 2011
議論としてあるのは「プロが中途で肉親の死や危篤であっても行動が制限されるべき。あるいは最大限の自重をするべき」とか「もっと早くにフリーな時間や行動を許したりサポートしたりするべきだろう」とかいうもの。
— 小片武 (@neti2) December 12, 2011
今どきの技術やインフラならば別に時間的、空間的に距離が離れていてもコミュニケーションはまったく不可能というものでもない。だからそうだったのでは。もちろん他に事情がなければアナログに実際に近くにいたほうがいいのだろうけど。
— 小片武 (@neti2) December 12, 2011
アスリートは休めないから。世界でのトップクラスであればなおさら。一日の休みや気の緩みが明暗や技術の優劣、結果の成否を分ける。じゃあどうするか。デジタル系のノマドなワークはできない肉体基本の仕事。コミュニケーションと仕事としてのスポーツのバランスを工夫するしかない。
— 小片武 (@neti2) December 12, 2011
最終的にはどう判断するかは本人、当事者に裁量があるべきだし、あって欲しい。有形無形のプレッシャーや介入があるだろうけど。どうせ責任は当事者が取るのだし、他人や世論は責任を取らないし取れないし。
— 小片武 (@neti2) December 12, 2011
スポーツは戦争がわりの国際間競争。オリンピックなど。これがあることによって幾分かのいさかいがなくなったり、抑制されていたり。もちろん夢だとか、楽しさとか、熱狂とか、憧れとか、そういう対象にもなるが。国威発揚だったり、感動だったり、これはもう人それぞれ。
— 小片武 (@neti2) December 12, 2011
戻ると浅田真央選手の行動や準備や状況に対してみんな色々言っていたりするけれど、その背景にある自分の価値観や常識が見え隠れするっていうこと。みんなポジショントーク。だから対立したり熱くなったりする。こういった部分は大枠としての法律だとかでは決まってないから。文化から来るのが大きい。
— 小片武 (@neti2) December 12, 2011
つけ加え
- こうして考えたりコメントしたりする内容自体が自分の価値観に縛られている
- スポーツがゲームなのか、娯楽なのか、仕事なのかなどはなかなか簡単に決めて言い切れない
- プロか、アマか、はあいまい。近年はなおさら
2011-12-13 10:00

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