情報の圧縮と増幅が文化を間違わせる


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ある場所やコミュニティ、社会の文化というものはどのように作られるのか。

まず一つにはその事柄についての優劣によって取捨選択や淘汰がなされるだろう。
腕力が強いものが生存に有利で得をする場面が多いのならば、たいていそこにグループができ、格差を利用した政治や商売などが生まれてくる。
そこにはさらに、尊敬や愛情というようないわゆるポジティブな感覚も並んでくる。
もちろん一般にマイナスな要素も同じように現れるのが常だ。

つまり、事柄の優劣に加えてもう一つの要素として、多数の原理が文化の成り立ちに関係する。
より多くの人間が価値が高いと認めた方向に社会全体が向かっていくということだ。
直接にしろ間接にしろ、民主主義や民主的な選挙のようなシステムが使われているのが当たり前ということはない。
そこには様々なコストや努力が払われている。

選挙というものは、日本の間接的な投票選挙も含め、時間もお金も大量にかかるから頻繁にあらゆることの決定に使うことはできない。
どんな服装や髪型が流行るか、男女関係はどうあるべきか、家族はどのように暮らすべきか、どんな職業や仕事に人気が集まるかなどは選挙で決めたりはしない。
それらは無数の連続的・継続的な優劣の判断と多数の原則で決まっていき、決まったらば個人を縛ったり、影響を与えたりする文化というものになっていく。
これは「時代の空気」や「雰囲気」がつくられていくということだ。

こうした文化や「空気」が形作られる過程では、今まではなかなか一部の個人の思惑が集団の文化を決めてしまうということは少なかった。
少なかったとは言っても、例えばヒトラーが代表してドイツ全体を動かしたり、日本が大戦に参戦していくのにマスメディアが引率する大きな力になっていたりということは実際にありえた。
例として出したこれら歴史上の出来事はとてつもなく大きいものであったが、数や期間としては大部分を占めるものではなかったということには多少の救いがある。

しかし、今では技術やメディアの発達と個人への浸透によって、こうした文化や空気作りの元になる情報の伝達や広がり、交換の質も量も爆発的に増えた。
増幅だけではなく、それら情報はとてつもなく圧縮されてもいる。
一次情報自体は人数比やその教育の成熟度の増加で確かに増えているが、それ以上に上に挙げたような技術やツールによって二次情報、三次情報等が増えている。

そして情報は増え、密度が高くなればなるほど単純に総合的な質も確実に上がるとは言えない。
決してそれ自体が悪いことではなく、単なる流れであり、善悪の色が付いているものではない。
けれども、長い目で見た時に間違った空気が流行ったり、誰の得にもならないような文化が発生して広がるチャンスは確実に増えている。

2012-01-18 14:00

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