感動してウルウルする


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悲しかったり、苦しかったり、悔しかったりしての涙は助けを求めるためのサインだと理解できる。
これは意識的か無意識かということは関係ない。
痛みだったり熱さだったり眩しさだったりが精神論で克服できないのと同じことだ。
確かに「泣く」「涙を流す」という反応は、個人差があるが多少なりとコントロールできてしまうから誤解や疑心を呼ぶことがある。

嬉しくての涙や感動して泣くことについてはどう考えればいいいだろうか。
私も昨日本を読んでいてタリーズで一人ウルウルしていた。

そのときに、読んでいた本から感じていた気持ちをあらためて書いてみると、頼もしさやありがたさ、仕事をキチンとしている人に対しての賞賛ということになる。
これらのことを感じて涙するということは珍しいことでもおかしいことでもないのは経験的にわかっている。
しかし、こういう涙にサインとしての意味や役割はあるのだろうか。

周りにアピールするメリットは何だろうか。
一人で外出していて、涙をあまり他人に見られたくないという防衛が働いていたのは涙が弱さを表すというマイナス面があるからだ。

アイデアのひらめきもストックもないのでここまで。

2011-10-27 08:00

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