請われて情報を提供したならば責任が生じる気がする

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情報提供には2種類ある。
不特定多数に発信するものと、特定の関係の中で紹介するものだ。
プル型とプッシュ型と言ってもいい。
プル型は情報を欲しがっている者がWebや文献などを自由に検索して得られるものだ。
一方プッシュ型は主体の比率が情報を出す側に大きくなる。
教育をしたり、訊ねられて答えるような場合。

さて、ある情報を得た者はそれを利用するとしよう。
(もちろん情報のすべてが利用されるわけでなく、単に知的好奇心や興味を満たすためにだけ集められた<集められる>情報というものも世の中にはあるだろうが)
もしも情報を集めた人間がそれを利用することによって悪いことをした場合、悪い結果が生じた場合(実際は良い結果についても)、責任の多くは集めた人間にある。
情報が間違っていたのかもしないし、足りなかったのかもしれない。
十分にその情報を吟味しなかったのかもしれないし、使い方をまちがえたのかもしれない。

プッシュ型について考えてみる。
今度は情報を出した側に、より積極的に責任が生じるように思える。
あることを質問されたとして、それが事実や主観を挟む余地のない事象だとしても、もしもその情報の扱いにリスクがあると知っている、あるいは感じているのならば、そのことや注意を添えて情報を提供するべきだと思う。
あるいはその情報を出さない。
提供しない。
間違った情報や使い方の難しい情報を出したことは、ある場合にはその情報に、あるいはその気軽な使用や拡散に手を貸したということだと思うから。

メンタルヘルスやカウンセリングの現場あるいは教育でも「情報」の扱いは難しい。
人生や感情を扱う場では「誰が見ても間違いのない事実」というものはとても少ないからだ。
ケースバイケースという説明は、科学的・論理的なたった一つの答えや正解を必ずしも示せない不可抗力的なものだ。
ある悩みに正解はない。
メリット・デメリットが両者ともあるから迷うし悩んでいるのだから。

※情報を提供することに責任が生じる場合があるという話だが、なぜその情報が欲しいのか、必要なのかということを知る(聞く)権利も生まれるかもしれない。

2011-01-13 07:00

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