日常の、ちょっとした、大きな、ショッキングな出来事

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カウンセリングで惨事体験を聞くとき、惨事のイメージを説明するときなどに、『「日常の」「ちょっとした」「大きな」「ショッキングな」出来事について話していただいていいですよ』と言っていることがあります。
後から考えたり、文章に起こしてみるとヒドイ文脈です。
『いったいどっちやねん』
大きかったり小さかったり、普通なことだったり異常なことだったり、矛盾するような表現が含まれているからです。
しかしこれもアリなのです。

クライアントの話を聞くとっかかりとしてはバランスを慎重に取っていく必要があります。
カウンセリングの最初の時点では、クライアントが何を話すのか、悲しい話なのか、怒りを表したいのか、雑談から始めたいのか、それともモヤモヤと自身の状況が曖昧模糊なのかはわかりません。
(一見して苦しそうだ、イライラしていたりするようだ、などの情報は見て取れるかもしれませんが)
始めから、そのカウンセリングの「トーン」を決め打ちして態度やスタンスを決めるのは危険でもあります。
いくら情報や想像力があったとしても、話を「きちんと」聞くまではどんなに共感しても、良い意見を発してもクライアントには表面的で「浅い」と感じさせてしまうでしょう。
(話題について徐々に納得したり、びっくりしたりしてみるくらいから始めるのなら良いかもしれません)

それよりかは、冒頭に出てきたような、ひとことの中に相反するような言葉が入っていた方が、ファジーな表現になり、曖昧さを残し、「決めつけない態度」(話題や価値観をカウンセラーが過剰にコントロールしない)を表明できるように思います。
文章・書き言葉では表現・伝達しにくい、そのときの現場でしか感じ取ることが困難な、メッセージコントロールのコツの一つかもしれません。

2011-01-08 09:00

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