人は、いつも、どこまで行っても、主観からは逃れられません。
そこに物語を見てしまいます。
その背景には経験、生育歴、家庭環境、道徳観、社会との関係性などがあります。
同じ物事を見たとしても人が違えば見る物語が大きく違うことはザラにあります。
男性が女性に「殴られた」と言えば弱そうです。
しかし、「殴らせてやった」と言うと余裕や立派さを感じます。
そして「殴ってもらった」となるとマゾヒスティックな趣味性が出てきます。
客観的、物理的な事象はまったく変わらなくても、表現が異なることで物語・解釈は変わってきます。
カウンセリングでは、人が物語を見てしまうことを知っておき、それでも客観的な観点やそのときコミュニケーションを取っている相手と共有できる物語を見つけることを意識します。
2010-11-12 07:00
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