裁くとか、監査とか、善悪とかって別に上下関係ではないだろう


R1007115

裁く側が偉いというわけではないはずです。
監査や第三者委員会、部外取締役やらはとりたてて尊い仕事ではありません。
物事の善悪や正義と邪悪なども、勘違いしてしまいますが、どちらが優位であるとか断定できるものではありません。

では何かと言われれば、それらは「役割」くらいにしか呼べないのでしょう。
その良い悪いは絶対的なものではありません。
そこには必ず人間や社会の道徳観や倫理、感情などが加味された評価がなされているからです。
つまり不変かつ普遍なものではないでしょう。
人間の感情も社会も不安定で揺らいでいるものだからです。

裁き、善悪などにはその時々でせいぜい強いか弱いかという結果があり、残るだけです。

そこに権力や圧力、引け目や恐怖などを感じたり感じさせられたりするのはなぜでしょう。
なぜか、は簡単に語れません。
それは正に「感じている」だけだからです。
例えば権力ならば、それを持つ側、行使される側の感情による部分がほとんどなのです。

2010-09-29 06:00

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