カウンセラーは健全でなくてはならぬ

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カウンセリングをするには常識が必要です。
それは自分が常識に従ったり、クライアントに常識を示したりするためもありますが、それだけではありません。
世の中の「常識」と言われるもの「正義」とされるもの、それらのほとんどは相対的なものだったり、時代によって大きく揺らぐ不確かなものです。
だからといって、その常識や正義のすべてを無視してうまく生活できるかというとそれは無理でしょう。
それこそ出家しなくてはいけなくなってしまいます。

社会に属したくなかったら死ぬか出家するしかない

決して反社会的な言動を目指すのではなく、現実原則となんらかの折り合いをつけるためには、カウンセラーもクライアントも内面だけでなく、観測系としての外部が必要です。
座標軸や評価基準がない空間や世界では、位置も速度も大きさも、色やにおいも認識したり共有したりできません。

私自身は、いわゆる体系的・系統的な精神・心理分析やカウンセリングの教育・指導を受けてはいません。
ですが、これから必要なものとして「教育分析を受けること」があると思っています。
これは自分なりに適当・適切な「観測系」を身につけることだと考えています。

私が教育分析を必要だと思っているのは、「常識や正義を持っていない、不健全な状態である」か「自分の健全性に自信が持てない状態」のどちらかであり、いずれにしても処置をしていかなければいけません。

A sound mind in a sound body. 健全なる精神は健全なる身体に宿る。
A sound mind in a sound counselor. カウンセラーは健全であると良い。

2010-06-27 8a.m.

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