話すことで自分が見えてくる

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2日ほど続けて、似た属性の人らと話をした。
多少話のテーマや内容は変わってくるが、自分が今現在関心を持っていることがどうしても出てくる。
これはトークが雑談だから当然なのかもしれない。

そして同じようなことを繰り返し話すことによって、少しずつ考えが深まったり、変化して思っていなかったような表現やアクションに繋がっていったりもしている。
話すことはその内容も大事だし、交流としても大切だ。
単なるリラクゼーションという面で見てもいい。
そして、既に述べたように深まりや変化といったクリエイティブさもある。

2013-03-09 07:00

リスペクトを行動化する

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「小片さんならこの本好きそうだと思いますよ」とチロと見せてもらったその一瞬後には自分の MacBook Air を操作してAmazonでポチった。

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「私この方の文章も好きなんです」とか聞くとすぐ手に入れないわけにもいかない。

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自分がリスペクトする人が紹介している本があったら昼休みに買いに行って読み始める。

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そんな風に思いつきとフィーリングと直感だけで行動していきたい。

2013-03-03 08:00

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愚痴は120%良いものだ – 愚痴の研究その1

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愚痴をこぼすことに悪いところはただの1つもない。
あるとすれば、寄り優先するものがあるという状況とか、聞く相手が拒否的であるとかいう、場面との相性だけだろう。
服装や言葉にTPOがあるように愚痴だっていつでもそぐうわけではない。
ただし、それは「愚痴」そのもののせいではない。

愚痴をこぼすということにはとかくネガティブな印象がある。
「愚痴を聞かされて困った」とか、「愚痴を言っているようでは自分はもっとだめになる」という、誤った思い込みがせっかくの愚痴の効果的活用を妨げている。

人は愚痴を言うことで、事実だけでなく、出来事などに対して自分がどう感じているか、愚痴をこぼしている相手だけでなく、自分に対しても確認することができる。
こうした客観的な視点を持つということは自分一人でやることも不可能ではないが、思いの外難しい。
相手が上手に、攻撃や茶々を入れないで、上手に聴いてくれるというならば、愚痴大いに結構。

確かに愚痴をこぼすだけで、環境や状況、人間関係や世界が変化するというものではない。
しかし、まずはいったん事実+自分の内面を広げて見渡してみて、信頼出来る人と一緒に眺めてちょっと落ち着くことが大事なのだ。
「なんだ。やっぱり最悪の状況だねぇ」でもいいし、「ん。待てよ。この部分はもう少し深く確認してみると何か見えてくるかも」というアイデアが出ればなお良い。

2013-02-28 07:00

マイテクニック、マイレトリック

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自分が持っていて使っている笑いやふざけの技術についてラベリングしてまとめてみておく。

  • 突然にそれまでと違うことを話しだす
  • アニメやマンガの話を持ち出す
  • 喩える
  • 自虐的な発言をする
  • ついさっき、あるいは少し前に話していた内容を持ち出して比較したりつなげたり近づけたりする
  • 普段と違うキャラを演じる
  • 話の内容と真逆の声音やトーンで話す
  • 場違いな専門用語、業界用語、四字熟語などを使う

2013-02-27 11:00

避けられない人付き合い中での理不尽さに対応していくコツ

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人間関係の中で相手に対して言いたいことを言えなくなり悩みや疲労を募らせることがある。
いったんそのループに入ってしまうとあらためて物言いするタイミングがなくなってしまう。

いくら相手の言動が理不尽なようでも、それに対抗したり一言言うのは、自分が相手と同じレベルに落ちてしまうようだと感じて二の足を踏むこともある。
「いつかは相手も自分の間違いに気づいて改善するだろう」とか「自分さえ我慢していればいつか状況は変わるさ」とかいう風に考えて、確かにその通りに事が運ぶこともあるだろうが、数%の確率で忍耐エネルギーの限界や体力の消耗による体調不良などを迎える。

こうしたときには、あらためて(最初からでももちろんいいのだけど)相手との距離をとったり、互いの間での「ルール」「枠」を作り直す作業が有効だ。

何か困ったことや、あなたの領域を侵すような言動を相手がしてきた場合には、まず落ち着いて(一呼吸置く。それこそ1回2回深呼吸して間を置こう)から事実・気持ち・お願いという3つを伝えるようにする。

  • 【 事実 】「今あなたが言っているのはこれこれこういうことですか」という確認。まず相手の言っていることの不明確な部分や「要するに」というものをしっかりと把握して、認識を共有する。この土台が違っていると話が始まらなかったり後々誤解が増幅していく可能性がある
  • 【 気持ち 】事実をベースにあなたがどう感じているかを話し、伝える。これはまさに感情を吐露していくということなのだが「感情的」になってはいけない。感情を伝えるときこそ淡々と冷静に。しゃべりの末尾は「〜と思うんだけどー」などになるだろう
  • 【 お願い 】「〇〇という風にしませんか?」「私は何々というのが良いと思うんだけど」「あなたにはこれを約束してもらいたいのです」という要望・提案等を伝える。あくまで「私は〜であって欲しい」というあなた主体の意見であるから、原則何を言っても構わない。ここは却って過激なくらいに正直でもいいはずだ

上記3つはセットで表現するのがコツだ。
「事実」を述べただけでは、相手が勘が鈍い、あるいは図々しい人であれば、無視されてしまう。
「気持ち」だけを出すのは、一般にためらわれる。
「お願い」だけでは、相手の個人的領域を侵害してくるような相手と同じ事を対抗してやっていることになりかねない。

最後のポイントとしては、こうしたやり方は1回でうまくいくとか、相手が反省して変わるとかいう風には期待しないことだ。
最低でも100回は同じ事を伝えなくてはピンと来てはもらえない、と知っておく。
所詮、人は他人を変えることはできない、と思っておこう。

だが、こうした工夫を実直に繰り返すことは気持ちの支えにきっとなる。
何も策を講じないで諦めてしまうよりも、精神的に余程安定する。
そして、このコツを実行することでほんの少しずつでも状況が改善すれば、それは直接にあなたのエネルギーの消耗を減らし、回復させる。

2013-02-26 08:00

陰口というわけでもないけど、聞きたきゃ聞けばいいのにと思う

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世の中、腑に落ちなかったり、釈然としない事だらけだ。
ある人が自分の視点や価値観だけに頼って物事を見てしまっている時にはなおさらそういう世界観に陥るだろう。

そんなときに必要なものは、解釈や非論理的なビリーフを修正するような転換なわけだけど。
それに要するものはまず情報だ。
そして情報を得るためにはコミュニケーションが必要になる。

ところがうまくコミュニケートするためには適切な解釈や論理を持っていなくては行動に移せなくなる。
相手に対して何かしらの疑心や恐れを持っている場合、自分が行動したり考えたりしていることが間違っているのではないか、正当ではないのではないか、恥ずかしいことなのではないか、などの思い込みがある場合、コミュニケートすることは自分の立場を危うくしたり、評価を落とすことになる(ように思える)。

かくして、間違った解釈→情報不足→コミュニケーション不全という悪循環はどこかの時点で誰かが高所から見直し手を加えなくてはキープされてしまう事例が多々ある。

2013-01-23 09:00

教えるということ、つなげるということ、想定できないもの

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他人に何かを教えようとするときに、一番かんたんなやり方は、相手がすでに持っている知識や情報をつなげてあげることだ。
相手がこれまでに見聞きしたことのない、経験したことのない、まったくの新しいことやモノを教えるのには時間も労力もかかる。

相手が持っているものをつなげることをできるだけ効率よく目指すためには相手のことを知らなくてはいけない。

相手のことを知らなくては教えることはできない | deathhacks

通常は、取っ掛かりとなるような概念やイメージ、知識などがそもそも皆無であれば、時間などの制約がある中では必ずしも思惑どおりに教えるという目標が達成できないこともありうる。

ところで「比ゆ」というものは、そういった共通認識・ベースがない、または非常に少ない場合でもそういった困難な道とコストを華麗にショートカットできる可能性を持つツールになる。
比ゆを使うと、厳密には不正確なものが伝わったり、ちょっとズルをしているようなことになる場合もあるが、何も伝えられない、伝わらないよりも何倍もマシだという状況はよくある。

世の中、なんでも完璧である必要もない。
車を作ったり、エンジンの構造を理解して解説できなくても、運転はできる。
試験勉強で丸暗記するのに語呂合わせで当座をしのぐというのも、それ自体だけでは否定できるものでもない。

はじめに書いた「教える」ということや過程についてあらためて考えてみると3つほどパターンが挙げられる。

  1. まったく新しいことを教える
  2. 何かと何かのつながりや組み合わせを教える
  3. 自発的・自然発生的に何かをひらめく

まったく新しいことを教えるとなると、これは暗記というものになる。
繰り返し、反復以外に有効なテクニックはないかもしれない。
実際には、わずかながらでも別の既知のものとの連絡をみつけることはできるのだろうが。

何かと何かのつながりを示す、というのは今回書いた、多くの場合に目指すと良いと思われる、一番の勝ちパターンだろう。
そのためには「比ゆ」だけでなく、1+1=2(いち、たす、いちは、に)というような「シンプルな論理」や『あるある〜、そういうこと〜』と感じられるような「事例」などが役に立つ。

単純理論、事例、比ゆを組み合わせる理由や背景 | deathhacks

最後の「ひらめく」については、なかなか結果を予想して計画することは難しい。
教える側が教えようと思っていないことを、受け取る側が勝手に思考や反応として生み出して、それがとても貴重であるというこは現実としてよくあることだ。
むしろ人間や生き物が進化・進歩し、良かれ悪しかれ変化していく上では必然的だし、理にかなっているとも思える。

2012-12-13 08:00

(関連エントリ)

レクチャー型学習とコーチング型学習 | deathhacks

互いの違いを前提とするか否か

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欧米の考え方の背景には「お互いが違うのは当たり前」「説明しなくては理解できないし理解されない」というものがある。
日本的な「和を乱すものは悪」「村八分による規律維持」「横並び礼賛・意識」「出る杭は打つ」などの風習とは起点が異なる。

かといって、今存在している社会基盤がまったく違うというわけではない。
近代化、グローバル化の中で、見かけ上は同じテーブル上で話しをし交流をしている。
到達している場所はほとんど同じようにみえるが来た場所と向いている方向だけが違う。
これがかえって混乱の元だ。

差別意識というものも、別に差別をする側だけの問題にはならない。
障害を持っていたり、弱者であっても、親切にされたり、保護されたり、サポートを受けることを嫌う人が日本には多い。
これは、保護を受けることが、集団の中での仲間であることから外れてしまうのではないかという意識や集団に対する自責の念から生じている。

こうした状況で、社会が制度や法などで、半強制的に保護・サポートをするようになると、表面上はとても道徳的によろしい言動であっても、当事者に受け入れられなかったり、逆に傷つけてしまったりもする。
親切が仇になる、というやつだ。

このとき日本で、サポートを提供する側は、元々皆違うものなのだし、「弱い」ということだって当事者自身に責任はなく範囲だって限定的なものだということを頭ではわかっていても肌では理解していないから、しくみがうまく回らない時にその原因が見いだせないことがよくある。

そうしたときには、サービス提供側の工夫も必要だが、当事者側の「自分カミングアウト」のような変化が必要だろう。

2012-10-11 08:00

(関連エントリ)

うつの「自分カミングアウト」は難しい | deathhacks

自分カミングアウト、あるいは病識を育てるという考え方 | deathhacks

フランクにしてはいけないときもある

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クライアントと接するときに、いつでもどんな場合でも、親しく、というか馴れ馴れしくすればいいというものでもない。

そのクライアントからみて、関係がある程度長く続く可能性を感じられなければ、別に親しくなる必要はないし、親しく話しかけられるメリットもない。
かえって、クライアント自身の個人情報やら、内心やらを、カウンセラーや医者とはいえ、赤の他人に把握されることには、現代ではかなり抵抗が大きい。

TPO、タイム・プレイス・オケイジョンに合わせて、適切な対応というものは違ってくる。
サービス側としては、適切なレベル以上に突っ込んでいく必要はないし、そうすることは無用なデメリットやトラブルの種になる。

健康診断なんかでざっくりと、不定愁訴のようなものまで含めてクライアントの不安情報や問題を可能な限り拾おうとする時には、意図的にフランクに振る舞い、瑣末的なことでも言ってみようかという気になるように演出しなくてはいけない。
1回切りのものでなく、慢性疾患のものや、術後経過観察の外来診療などでも、十分に気の置けない関係づくりをするほうがメリットは多くなる。

2012-10-08 08:00

自分の仕事を説明する

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昨日あまりに簡単に書いてしまったが、自分自身がやっていることや属性などを、まったく知らない人にゼロから説明し、うまく理解してもらうのは難しいことだ。

自己紹介は難しい | deathhacks

それこそ単純に「コミュニケーション能力」(もしくは〜技術とか〜スキル)が高いかどうかというふうに言ってしまってもいいのだが。

職業名を言うのか、持っている資格を話すのか、勤めている会社名を言うのかなど、バリエーションはいくつもあるし、これが正解というものもないだろう。
全部とりあえず羅列してみるというわけにもいかない。時間は有限だからだ。
自分一人の自己紹介を延々と続けていてもしかたない。

私が「医者です」と言っても、「何科ですか?」「どこ病院の?」とかいう追加の質問が待っている。
これは当然だし、その過程を通じてコミュニケーションが進むのだから無駄ではないが、ちょっとわずらわしく感じる場合もある。

また、簡単に話が通じたように思えても、予想と違う理解やイメージをされていたりすることもしょっちゅうあるだろう。
さらには、一度聞いたことを忘れることだって誰にでもある。というか、初対面で複数の人と会ったりしたらば、全部の自己紹介やプロフィールを憶えられる人の方が現実には少ない。

経験と準備と工夫で、色々と試していく価値はある。

2012-10-04 09:00