出来事の前後で同じ言葉のメッセージが変わる

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できちゃった結婚はしないほうが良いが、できちゃった結婚をしたことを非難するのも良くない。

予防や忠告はよいことだ。
しかし、実際に出来事が起こってしまってから同じ事を言うと違うメッセージに変わる。
ただの非難になってしまうだろう。

2012-04-30 14:00

思った以上に、外向きの人が多くてびっくりした

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外向きというのは、自分がどう見られているかということを気にしているということ。
見た目、というだけではなく、どう評価されているか、どんな資格を持っているか、どれくらい実力を持っていると思われているか、信頼されるか、など。

しかし、カウンセリングやメンタルヘルスに関してばかりではないが、実践の現場で大事なもの、頼れるものは結局「実力」だけだ。
資格や人柄、実績やコネなどは何の役にも立たない。
自分の実力をしっかりと計ることが内向きの視点ということになる。

そして、内向きの視点は、自己客観視、謙虚さや慎重さにもつながる。

もちろん外向きの視点がまったく要らないということではない。
クライアントや社会と関わっていく活動の中でそれは重要だ。
要はバランス、あるいはバランス感覚の問題になる。

外向きばかりでは見失うものが多い。

2012-04-29 09:00

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カウンセリングで共感のまえに十分話を聞く理由

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以前のエントリを広げてさらに考えてみる。

まず驚き、なるほどと思うことが共感につながる | deathhacks

極端な例を挙げてみる。
クライアントがセッションの開口一番に「実は夫が最近亡くなりまして。。時間が経てば経つほど、悲しくて寂しくてどうにかなってしまいそうな気がして」と切り出したとしよう。
「それはとても悲しいし寂しいですねぇ。。」とそのまま繰り返してどんなに共感してリアクションをしても「嘘っぽい」

それはなぜか。
共感が早過ぎるのだ。
ここでの例ほどまでに、最初のテーマがはっきりとしていて、クライアントが素直にサッと心情を吐露したとしても、容易に食いついてはいけない。

いや、食いついてもいいのだが、そこで「ヨシ! 共感は終了! 次は何を話してくるのかな?」と待機してしまうのが良くない。
最初の反応から、あるいは当座の繰り返し反射の後に、「詳しく話を聞いてもいいですか?」「ご主人はどんな方だったのでしょう」「どんな原因で亡くなったのですか」「周りの方はどういう反応や対応をしている感じですか」などを質問責めにはならないように配慮しながら確認していく作業をまずしよう。
そして、時間もかけ(かかり)十分聞いてからこそ「それはお辛いですね。。」と心底から共感できる確率が高まるし、その共感がさらにクライアントに適切に伝わる。

クライアントからすれば、とりあえずそのまま現在の状況を言ってみたものの、すぐ急に共感されてもウソっぽいし、無視できないくらいのズレが生じる。
カウンセラーの事情を言えば、細かなディテールを聞いてからでないと実際上うまく共感はできない。

ロジャーズなど、旧来の理論に問題があるとすれば、共感や受容といった目標やゴールを適切に示してくれてはいても、そこまでの過程やたどり着く手段、かかる時間や距離などについての説明が不足していたり、後世の人間に強調されて伝わっていないことだろう。
こうした点が考えられていなかったはずはないのだが、カウンセリングやコミュニケーションの初歩教育などにうまく取り入れられていない印象がある。

2012-04-28 09:00

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思考停止けっこう

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「思考停止」という言葉はネガティブな意味で使われることがほとんどだ。
しかし、この言葉自体に罪はない。
非難するような感情があるのはその文脈や使う人中である。

思考停止にはメリットがいっぱいある。
すでに決まっていることや証明されていることを一から考えなくて済む。
考えたり悩んだりしても仕方ないようなことを考え続けて、消耗してしまうことを防ぐ。

専門家や法学者ならば、なぜその法令があり、どう運用していくかをミリミリと考えても良いが、大多数の国民は大方の法令を「何も考えないで」守ればよい。
いちいち、六法全書や条例・公文を紐解いていたら日常生活に差し支える。

思考停止がいけないのは、それによって人権や生命などが不公平なまでに危機にさらされるとかいう場合だ。
また、きっちりと論理的に考えてルールを整備運用しようとすると、多くの時間やコストがかかる場合には、合理的でなくてもある一線を引いてしまい、思考停止をするほうが得が大きくなることもある。

思考停止という言葉を使うときには、それによってどんなマイナスがどれくらい生じているのか、考えを詰めることに本当にプラスがあるのかを考えなくてはいけない。
また逆に、「それは思考停止ではないですか?」という疑問を投げかけられた場合には、そこに込められたネガティブなメッセージはさておき、やはり実際の費用対効果などに冷静に目を向けるべきだろう。

2012-04-27 08:00

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(関連URL)

Business Media 誠:仕事をしたら“恋愛のナゾ”が解けてきた(1):なぜ“普通のオトコ”は、なかなか見つからないのか? (2/6)

うつに対して「治るよ」と反射的に言うための準備と訓練と覚悟と

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うつが治るということについては、何回かエントリを上げてきた。

うつは治ると言う | deathhacks

カウンセラーは「診断」してもいい、「うつが治る」と言っていい | deathhacks

うつは治るが治せない | deathhacks

「うつは疲労である」と言うことの意味 | deathhacks

「うつは疲労である」と言うことの意味〜翔〜 | deathhacks

カウンセリングやサポート、ケアなどで「うつが治る」と言おうと決めたならば、あとはそれを反射的に実行するための準備と訓練が必要だ。
これは「あらかじめ覚悟をしておく」と言い換えてもいい。

普通「覚悟をする」と聞くと、ある瞬間から精神的なものがガラッと変わり、啓示のようなものが降りてくるようなイメージがあるかもしれない。
しかし私は、覚悟というものには一定の期間の準備が必要で、ジワジワと整うものだと考えている。

例えば、先日私は、小走りしていた人が路上で派手に転んで顔面をしたたかに打ち付けてしまい、流血までするような場面を正に目の前にしたことがあった。
自分は特に意識せず、すぐ駆け寄ってそばにしゃがみ、「大丈夫ですか?」と声をかけ、ティッシュペーパーを差し出し、適切に様子見と手当てをした。
私と同行していた人に後から聞くと、「ずいぶんスムーズに行動していたねー」という印象だったようだ。

ここで言いたいのは、別に私がすごいとか優しいとかえらいとか道徳心がどうとかいうことではない。
実は私が、ためらわず、サッと動いて、倒れた人をケアしようとできたのには、正に準備をずっとし続けてきたからなのだ。

過去に数回、似たように怪我や病気などで具合が悪い人にたまたま出くわすことがあり、その度に「次はこうしよう」とか「もしこんな状況が起きたらどうすればいいかな」ということを考え続けてきた結果が、今の私の準備であり、今回やったこと、そして次回にできることにつながっているのだ。

そう考えると、覚悟や実際の行動は単にごく一部分、あるいは結果でしかない。
時間や労力のかかった大部分は日常の中の準備や備えだったとわかる。

同じようなことは、禁煙とかアルコールを減らすとかいうことにも通じる。
もちろん、タバコを止めた瞬間、飲酒量をどういう風に減らせていったかを、ある時点で測定したり確認したりすることはできる。
しかし、そのための準備、行動が変わる(変容する)までの内面的、精神的な変遷にも注目するべきだというのが、近年の医療や心理学上の常識だ。

「うつが治る」と言うか、言えるか、ということについても同様だ。
半分は意識上の理解や知識そして納得であるけれども、残り半分は現場を意識した反射や習慣のようなものであって運動やスポーツと同じく訓練の繰り返しが必要になる。

2012-04-26 08:00

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プラスを増やそうともがく前にまず寝る

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外国の女性向け(?おそらく)ビジネス格言に次のようなものがある。

「朝起きて鏡の前に立ち、人生が何かうまくいっていないと感じたのならば、髪型を変えるか、パートナーを変えるか、さもなくば仕事を変えなさい」

細かい部分は違うかもしれないが、まあそういうありがたい助言と言えるかもしれない。

髪型を変えなさい、というのは「ちょっと気分転換でもしてみたらどうだい?」ということだろう。

パートナーを変えろ、というのは、プライベート、つまりワークライフバランスでのライフの部分を見直しなさいという感じだろうか。

そして、仕事を変えなさい、というのはあまりに直接的・直球のアイデアだが、アメリカのビジネスパーソンの精神ならなるほどとも思える。
最近の日本なら、納得して感化される人も結構いそうだ。

しかし、私なら、鏡の中の自分に「このままで本当にお前はいいのか?」などと自問してみて、先行きが真っ暗だったり、今日や明日の楽しさがイメージできなかったとしても、いきなり服装や生活、会社を変えたりはしない。

こうした積極的な変化やそのきっかけをもたらそうとするのは、人生のプラスの位置にいる人間が、さらに発展し、能力を開発して、自分を啓発していこうとする方向だと思う。

そうしたステージにあることがはっきりしていれば、どんどん新しいことにチャレンジしていってもいいだろう。

だがもしもそうでなければ、まずは美味しいものや好きなものをしっかりと食べて、ぐっすり睡眠をとれと言いたい。
プラスの人間開発なんかの話はその後だろうー。

こうした考え方は、私が元々メンタルヘルスの、どん底的状況・状態からのレスキューや回復に関心を持ってきたからだろう。
それはそれでネガティブすぎるのかもとも思うが、自分なりには真理を突いていると思う。

2012-04-25 10:00

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相手よりもややフォーマルな服装で

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先日、まったくの初級者に、カウンセリングとまではいかなくても、職務上ものとはまた違った、悩みや相談を拾い上げるような面談をトレーニングする機会があった。

仕事上、あるいは人生の上での経験は多くあっても、悩んでいる人の話を聞くということになると、皆急に不安が大きくなる。

そういった状態だから、本当に基本的な部分についての素朴な疑問や質問が出てくる。

「カウンセラー(聞き手)はどういう服装をするのが良いでしょうか?」という質問があったが、その時点では「ケースバイケースですね」とか「TPOに合わせて」というような、一番つまらない、間違ってはいないが役にも立ちにくい回答しかできなかった。

その後、思い巡らせ、またまたセレンディピティ的に、再読していた本からそのものズバリのアイデアを見つけた。

本はガー・レイノルズ氏の「裸のプレゼンター」だ。

「服装に配慮する」(※ページ数は後ほど確認して追記する)の項より。

回答としては「クライアントに対応するときの服装は、クライアントよりもややフォーマルなものが良い」だ。
(あなたの立場がカウンセラーでもプレゼンターでも)

そのポイントは3つあった。

プロフェッショナルな印象を与える

服装や見た目はその場への準備であり、そこからクライアントや聴衆への敬意を表すことができる。
大臣が天皇陛下から任命されるのに正装をするようなものだ。

もちろん様々なメッセージコントロールや言葉、人柄、人格、実力などでも同じことを表現することはできる。
しかし、一目で相手の期待に沿うためにはビジュアルの利用が不可欠だ。

聴衆から浮いてしまわないように気をつける

かと言って、常に正装、ないしカッチリと隙のない服装をするのがベストというわけではない。
カジュアルなドレスコードが「正しい」場もある。

工事現場や肉体労働の場、災害や事故の現場などに、相手がフォーマル過ぎる服装で現れたら、どうしても心理的な距離が生じるかもしれない。

少々ドレスダウンすることはいつでも可能

スーツ姿からでも、ジャケットを脱ぐ、ネクタイを外す、腕まくりをする、などのようにくだけた演出をしていくことはできる。
ただし、逆にTシャツやハーフパンツ、サンダル履きなどの状態から、ドレスアップするのは難しい。

まとめ

初級者に対してではなくても、質問にはできるだけ具体的に答えるのが良い。
無難な回答はリスクが少ないように見えるが、プロフェッショナルに期待されるものがそれかどうかはわからない。
「話を誠実に聞こうとする場面では、相手よりもややフォーマルな服装を心がける」というように、狭い範囲の答えを自信を持って出してよい。

2012-04-24 08:00

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裸のプレゼンター
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自社製品にお金を払えるか

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製品にしてもサービスにしても、自分や自分が勤める組織がつくるものを、果たして自分でも市場と同じ金額やコストを払って利用しようと思えるだろうか。
これができないようだと、自己矛盾を抱えていることになる。

とは言ってみたものの、現実には複雑で難しい問題になる。

医者が病気になったときに、自分が勤務する病院にかかるか否か。
同僚に診てもらいたいと思えるかどうか。手術を安心してまかせられるかどうか。

マクドナルドなどの外食産業などの経営者や管理職であっても、毎食を自社商品で済ませるわけにもいくまい。
しかし、まったく食べていないということであったならば、消費者ら対外的にはどう映るだろう。

ビールやケータイキャリア、車メーカーなどのCMに出ているタレントが、競合他社の製品やサービスを愛用しているようなことがあってはイメージ的にもかなり具合が悪い。

日産自動車の社長兼CEOのカルロス・ゴーン氏が事故を起こしてしまったときに乗っていたのがフェラーリであったということがニュースとして物議を醸したこともあった。

理想は理想として、現実は現実・現場に則して扱うしかないようだという結論ではあまり面白くはないのだけども。

2012-04-23 08:00

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「何もしない」勇気を持つ

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昨日のエントリ(そのカウンセリングに直面化は必要ですか? | deathhacks)につけ加えておきたい。

カウンセリングに限らないのだが、「何もしない」という選択肢があることを忘れてはいけない。

人は「何もしない」ことを、サボっているとか、手をこまねいているとか、時間を無駄にしているとかいうように見なすことが多い。
現代のように何事においても、選ぶ余地が増え、変化のスピードが速くなっていることが、こうした傾向をさらに強めている。

しかし例えば、医学の基本精神は「(そうなることを知りながら)害を為してはならない」というものだ。
医療の多くには、デメリットがある。
注射ひとつするのにも、痛みがあり、過誤の可能性があり、お金がかかり、副作用のリスクがある。
これが、より複雑な検査や手術、治療ともなれば、そのメリットが大きくなるとともに、デメリットやそれが起こる確率も大きくなっていく。

カウンセリングでも同じことだ。

クライアントに重大な決心をうながしたり、新たな着想を期待したりするときに、それがどんなに良さそうなことに見えても、必ずしもそれがベストの道であるとは思い込まないで欲しい。
行動や思考の変化・変容は、それ自体エネルギーを消費するというマイナス面を持つ。

カウンセリングの場でしゃべったり、思い出したり思考したりという作業には時間もエネルギーも使う。
健全である(はずの)カウンセラーにとって大したことのないように思える会話やセッションでも、悩んで苦しくて疲れているクライアントにとっては、なけなし・虎の子の貴重な資源を勇気を持って絞り出す状態であるかもしれないのだ。

こう考えると「何もしない」ということも、時には一番有効な手段であるかもしれない。
何か具体的な手を打つ以上に、勇気を必要とする戦術かもしれないが。

2012-04-22 08:00

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そのカウンセリングに直面化は必要ですか?

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カウンセリングの考え方、理論の中に「直面化 confrontation」というものがある。

クライアントが対決を避けている事柄をあえて正面から扱って変容を期待することを指す。

しかし、臨床現場で、やみくもに、理論先行、理論だけを根拠に、直面化をするのには注意が必要ではないか。

直面化を、良いこと、いつか必ずしなくてはいけないこと、他に打つ手ややることがなくなったからするもの、という風に臨床家、セラピスト、カウンセラーは思い込んでいないだろうか。

世の中すべての悩みや問題を、すべて完璧に、一刻も早く解決しなくてはいけないというわけではない。

逃げて、避けて、かわして、ごまかして、なんとか生きていくという人生ややり方を、本人以外の誰が否定できるだろう。

カウンセラーや臨床家は、専門家として支援者として、可能な限りはメリットとデメリットを見積もり、クライアントの意思を尊重・確認しながら、セッションにうまく進展がみられないからと「安易に」直面化をしてみるようなことをしてはいけない。

2012-04-21 10:00

(From iPhone 4S)