メッセージコントロールを教えていたら演技指導をしているように思えた

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メッセージコントロールカウンセリングは役を演じることにも通ずる。

「はい。もっと大きく驚いてみましょう。表情や動きも付けて相手に分かりやすいように」

「うん。そこですべてを察して、分かりましたと言ってしまうにはまだちょっと早すぎて不自然ですね。少し質問してみてからにしましょう」

そんな感じ。

2011-07-31 18:00

社会をリセットできる能力を持ちたい

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人間関係をリセットするのは怖くてワクワクする。
ある人の人間関係は、その人からみた社会そのものだ。
内心や無意識という部分もあるからその人そのものとまでは言えないが、人間という社会的生き物の大部分を他人との関係性が占めているのは間違いない。

引越しや異動・転職、進学などを機会にして人間関係がガラリと変わることがある。
このときにそれまでの関係性の蓄積を次に活かすというのが一つのやり方だ。
しかし、ゼロリセットすることも選択としてはあり得るし、そんなに悪いものでもない。

過去の関係を財産として、さらにその上に積み上げていくのは、ある個人が原則として年月を重ねると弱っていくから他者の力を頼る必要がどんどん増えていくからではないか。
あるいは変化に対応するためには平常から関係性をメンテナンスしておいた方がいいという予備意識か。

確かに、ゼロから新たな関係やその人の周囲の社会とのコンタクトを構築していくのは骨が折れる。
単純に自己を紹介・アピールするにしても結構なエネルギーや時間コストがかかる。
しかし逆に、いつでもリセットできるという自信があるならば、それはそれで武器になる。
物に縛られない、場所に縛られない、組織に縛られない、そんな生き方も良い。

予測できない、変化の速い、前世代や過去の資産が必ずしも参考にはならない現代社会だ。
変化し続ける、とどまらない、一見逆張り的な人生に活路が見える。

2011-07-30 07:00

悪いことは重ならない、少なくともあなたに責任はない

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悪いことは重なるというイメージはないだろうか。
仕事で失敗が続くとか、プライベートでのトラブルが重なるなどだ。
そんなときには、まるでトラブルが失敗を生み出していたり、失敗がトラブルを待ち構えたように連れてくるように見える。
すべては自分が何か悪いことをしたせいではないかとまで考えてしまう。

一つにはもちろん、あるトラブルがあるとそれに対応したり処置したりするためのコストがかかり、トータルのコストが処理能力を超えてしまうがために、さらに別の問題が出やすくなるという仕組みはあるだろう。
この状況に対処するためには、元々の仕事に余裕を持たせておく、自動的に安全を保つような仕掛けを施しておくなどが必要だろう。

もう一つの仕組みは心理的なものだ。
普段、エネルギーに余裕がある、自信を持てている状態であれば、さしてトラブルに感じない、あるいは動じないで対応できる状況であっても、受ける側が「弱って」いれば相対的にイベントは大きいものとなる(感じられる)。
これは「気のせい」と言ってしまえばそれまでだが、自信を持てているかどうかは行動や思考にも影響が出る。
そして「思い込み」であっても、疲労の度合いを大きくもする。

いずれにしても、他人の意見なり、過去の自分の記録などを活用して客観的な視点を持つ習慣や工夫をツールとして人生に組み込んでしまうと良い。

2011-07-29 06:00

質問もアドバイスもするカウンセリング

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産業カウンセラーのカウンセリングの基本は傾聴になる。

キャリア・カウンセリングやコーチングでは、質問を繰り返していく。

我々、メンタルレスキュー協会では、カウンセリングの初級段階から、質問もアドバイスも“解禁”している。
実践家を育てるために、最初から応用を織り込んで求めているとも言える。

2011-07-28 14:00

結果であり副産物でもある子作り

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最近また、勉強会(そのものではなく仕組み)やらファシリテート、アイデアメイクなどに関心がある。

企画の開発などで大事なのは一つ一つのアイデアやヒラメキの質ではない。
量だ。
量を増やせば、量質転換のチャンスが増える。
量を増やすには、場や環境が必要になる。
場とは、勉強会や研修会、私塾、SNS、ブログのようなものだ。
環境には、ファシリテート技術やいわゆるライフハックネタ、ライフロギング、オープンソース精神などが当たるか。

場と環境さえあれば、あとは確率論、運命的な問題、時間の関係で「何か」が生まれる。
極論すれば結果を追求しない。
結果にあまり意味を感じない。
男と女が愛しあって子供が生まれるのは結果なのか?
愛しあう事自体に意味があり、結論なのか。
どちらも間違いとか不自然とかではない。

ただなんとなく、今現在自分としては、場を如何に増やすか、環境をどんな風に整えるかに凝ってみたい。
別に何かを意識して生み出そうとはしていなくても思想や思索の場には価値がある。
結果はどうせきっと後から付いてくる。

2011-07-27 07:00

主婦(主夫)が休むことは難しい

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主婦の休み方は意外に難しい。
そのことに焦点が当たる機会も少なめだ。
その業務(仕事)内容が、業務(仕事)だと認められていない状態や、当人もプライドや達成感をあまり高く持っていない場合もまだまだ多い。
それでも、人間はただ単に食べて息をして排泄して生きているだけでも疲労するのに、プラスいくつもの複雑なルチーンを十数年から数十年も失敗少なく続けなくてはいけない。
それが主婦業だ。

うつや疲労困憊状態へのアドバイスには休養が含まれる。
仮にある一家の働き手がうつになったとして、その休み方としてのイメージは単純だ。
なんらかの休暇を取って出勤を止める、運動や外出は最低限度からスタートする、とにかく一日寝っぱなしくらいが良い、何か考えたり、決心・決定するような状況は取り除く、などという説明をする。
もちろん、当人や家族の心配や不安は大きいだろう。
これが1ヶ月から数ヶ月は続く話でもあるし。

しかし、クライアントがいわゆるフルタイムの働き手ではない場合、「休む」ということがイメージしにくく、実際に何を変えればいいのか、当人も周りもハタと困ってしまうことがある。
これは、主婦業務や家事、子育て一般などが「仕事」として認識されていない、あるいはその価値や労働強度が甘く見られていることが原因の一つだ。

「毎日の掃除や片付け、洗濯? 当たり前じゃないか」
「働き手や子供の食事を準備する? 当然だ」
「買い物に行く、ゴミ出しをする。アタリマエでしょ?」
「自分の趣味をしたり、休憩したり、ボーッとしたりする時間がない? シカタナイヨー」

そんなことを言われたり、思われたり、何よりその人自身が感じていたりする。
しかも、変化やいつまでという期限は無いに等しい。
意外と毎日細かく状況は変わって気を使う。工夫しなくちゃいけない。
これらの環境からくる気持ちと身体への負担は相当に高い。
「デモ、皆、モンクイワズニ、ヤッテイルジャナイ」

却って、主婦を休ませる時のほうが、医療を使って入院させるという手段が取られるべきかもしれない。
社会的理由による入院という言うやつだ。

我々も「休み方」のアドバイザーとしてはプロだ。
しかし、本当に個別の状況に応じて提案をするにはいろいろな情報がいる。
また、教育をするときなどは、どうしても一般論(だと我々が考えている内容)に偏らざるを得ない。
すべてを説明し、カスタマイズしようとすると、「木を見て森を見ず」になってしまう。
「休むこと」の本質や背景をよく良く考え、理解していれば、慌てる必要や自分たちの力不足を不安視する必要はない。

2011-07-26 08:00

(追記 2011-07-26 12:00)

「休日くらいはゆっくりさせろ」とぼやく、KYな世の中のパパさん達へ

思えばこちらのブログエントリと要点がかぶっているかも。
発端は、「主婦がうつになったときの休み方ってちょっとしたコツや配慮が要るよなー」という話です。

カウンセラーは「診断」してもいい、「うつが治る」と言っていい

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カウンセリングの初級者が悩むテーマの一つに、クライアントのことを「うつ」だとか「うつ状態」だとか判断・診断していいのか、さらにはそれをクライアントに伝えていいのかというものがある。
あるいは、うつの人に「きっと治りますよ」などと言ってしまっていいのかという葛藤を抱える人もいるだろう。

私の結論としては、診断したり、治るという見通しを伝えてもいい。

医師や医療関係者は、「診断をすること」について、医師法17条の「医業」にあたるのだから無資格者がそんなことをしてはいけないと言うかもしれない。
しかし、日常では、まったくの素人が知り合いや家族同士で「熱っぽいなら風邪じゃない? だるそうだし」とか「下痢をして胃も痛いなら胃腸炎かもしれないね」という会話や判断をしているではないか。
あとは、カウンセリングという場でそういったやり取りをしたとして、カウンセリングそのものが継続・反復の意志がある業だとして、その場で「医業」に近い判断をしていいのかという部分が焦点になる。

だが、診断というものは決してそれ単独で意味を持つものではない、原則としてそれに引き続く治療や検査、処方などがあって、初めて医業と見なされる。
このことはすでに過去に私個人は厚生労働省に問い合せて確認している。少なくとも、ある個別の発言やアドバイス、診断がただちに医師法第17条にを侵すものではないと。

逆にあいまいなことを言ったり、名言を避け続けて、クライアントを不安にさせたり、うつでないことを強く説明してしまって医療や次の手段を取ることを遅らせたりそのチャンスを奪ったりする方が怖いし、クライアントの不利益になる。
間違ってほしくないのは、もし仮にカウンセラーが「うつを診断した」としても、正式に診断されたり医療を利用したりするまでには必ずキチンとした医師のフィルタがかかるということだ。

うつが治ると言っていいのか、というのも同じように、クライアント側の利益を考えている。
治らないかもしれません、と言って元気がでる、喜ぶ、というケースはとても少ないだろう。
治ると言ってはいけないのではないか、という考えの背景のほとんどはカウンセラー側の価値観や偏見、あるいは言ったことに責任を取らなくてはいけなくなるという負担感が原因だ。

確かに、単純にどんなケースやどんなクライアントに対しても「治る」ということが適切だとは言わない。
世の中と同じように、すべてはファジーだ。
数年来苦しんだようなうつが、若いときのそのクライアントの最盛期や絶頂期と同じような感覚にまで回復するかと言えばなかなかそこまでは望めない。
「今より良くなります」というくらいの説明が適切なことも多い。
うつの苦しさや見通しはその個人(クライアント)の価値観や何を幸せと思うか、何に人生の価値を見出すかによってもかなり異なる。
この部分はカウンセリングを通じて、教えてもらい、何を目標とするのか、しているのかを共有する必要があるだろう。
美容整形と同じく定義がズレていると悲劇を生む。
何を「美しい」と考えるかと同じくらい何をもって「治った」ととらえるかは違ってくる。

2011-07-25 09:00

「時間を費やすこと」についての隙間トーク

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さて、この世の中で、もっとも貴重なものは何でしょう?
皆さんは何だと思いますか?

愛? なるほど。
家族?
名誉や地位、仕事?
若さ?
食べること?
お金?

私はですね、時間だと思うんです。
愛があっても、お金があっても、時間がゼロだとしたら、意味がない、というか、あまり楽しめないいんじゃないでしょうか。

皆さんが、もしも、死にたいという人の話を聞いてあげる、あげたとしたならば。
もしも、あなたが自分は何も言えなかった、教えてあげられなかった、うまく話を聞いてあげられなかった気がする、と思ったとしても、それは違う可能性があるんです。
だって、皆さんがただ、話を黙って聞くだけしかできなかったとしても、皆さんはクライアントのために時間を使ったわけです。

時間はとても大事なものですよね。
皆さんも他人に自分の時間を無駄に取られたとしたら、、どうですか?
怒りが湧いてきませんか(笑)
普段思っている以上に、人それぞれ、時間に対して持っている感覚というのは違うのかもしれません。
大事な一方で「時間つぶし」「暇つぶし」というように、ちょっと粗末に扱ってしまうような言葉もある。

時間は、もちろん一番貴重なものかはわからないかもしれませんが、限られた資源なわけです。
それを他人のために使うというのは、例えそれが仕事上のことだったとしても、とても素晴らしいことだと思うんです。
別の言い方をすると、お金を取ってもいい(笑)
そしてそれはクライアントも、意識的あるいは無意識的にわかるんです。

皆さんもどうですか?
ピンチに誰かがわざわざ来てくれた、一緒にいてくれた。
自分の知らないところで心配してくれていた、贈り物を探して買ってくれていてサプライズでプレゼントしてくれた。
これは嬉しいんです。

ただ、もちろんこれは男女関係と一緒で、一方的に押し付けていいものでも、喜ばれるものでもないですから、まず信頼されなくてはいけない、味方になってなくてはいけません。

ここはちゃんとクライアントの気持ちを聞くなりして確認しなくてはいけませんし、バランスを取らなくてはいけません。

2011-07-24 07:00

カウンセラーはクライアントの依存を怖れる

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カウンセリングをする上で、とても初歩的なテーマとして、「どこまでクライアントを依存させるか」というものがある。
教科書的な答えとしては様々に分かれる。
依存させてはいけない、カウンセリングではクライアントの回復や成長を決して直接には手出しをしないで見守らなくてはいけないという意見。
とことん依存させて、まずクライアントの完全な安全状態を作りだしてやるのがいいのだという者。

現実現場ではカウンセラー側のリソースやコストの程度や限度を見据えつつ、短期的・長期的にクライアントの利益を考えながら、バランスを取っていくことになる。
カウンセリングの場があまりにも心地良くなってしまうと、どんなに小さなピンチでもそこに助けを求めたくなってしまうクセが付くような気がしてしまう。
しかし、そのようなリスクを感じているのは多くはカウンセラーの側の単純な恐怖だ。
相手を甘やかすことの恐怖。その結果に責任がある(ような気がする)ということの怖さ。

しかし、考えてみれば、どんなにクライアントがカウンセラーを頼ったとしても24時間四六時中一緒にいるわけでも、いられるわけでもない。
極端に相談が集中、連続したとしても限りはあるだろう。
そのときに、リソースが足りるか、コストが見合うかというのは純粋にカウンセラー側の問題ということになる。
そこはクライアントのテーマや問題、人格や人生とはキチンと切り分けなくてはいけない。

2011-07-23 07:00

死にたい、死にたい、こうやって死のうと思っている、準備中だというクライアントへの対処

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とにかく「死にたい」「消えてしまいたい」ということを繰り返し話す、語りかけてくる、電話をしてくるという人にはどう対処したらいいのでしょうか?

そんな質問を自殺対策教育の場で受けたのだが、もう少しうまく、補足して答えれば良かったなと思い、まとめ直してみる。
このエントリが、その質問者に届く可能性はとても低い。
しかし、質問というのは多くの場合、その場にいた被教育者や一般の方が持っている疑問の平均値や最大公約数であるとも考えられるから、何かの役には立っていく。

自殺企図をしゃべり続けるクライアントへの接し方ととらえ方には3つのポイントがある。

時間をかける

まず時間という資源が絶対的に必要だ。
死にたいという気持ちを5分や10分聞いたところで、「ゴメンね。今日は忙しいから話を聞くのはここまででいいかな?」とは言いにくい。
かえって、最初から話を聞かない(聞けない)ことを明示した方が、その人とあなたの関係を悪い方向に変えないかもしれない。

時間の目安で言えば、ずっと同じトーンでクライアントが話すとは限らないとしても、2時間くらい聞く“覚悟”が欲しい。
私で言えば、毎日3時間、連続5日間、話を聞いていた(聞いてしまっていた)ケースもある。

死にたい気持ちを“本当に”理解する

時間をかける、とは言っても、ある人があるクライアントにかけられる資源には限りがある。
時間にしても、身体的・精神的エネルギーにしてもそうだ。
人ひとりが死ぬか、生きるか、という状況にあったとしても、現実問題として、コストを度外視することはできない。
関係性にもよるが、そこまで没入することはデメリットを大きくするし、続かない。

そこで、なぜ死にたい人が、死にたいことを際限なしに表現しているのかを考えてみよう。
もちろん、それ自体に意味があることは否定しない。
表現欲求を満たすことにはつながるはずだ。
しかし、数時間なりを、消えたい気持ちや自死の手段の説明や相談に使うクライアントの感覚の背景には何があるのだろうか。
「(目の前の人に)わかってもらいたいから」話すと考える。
そしてさらに仮説としては「話していても、わかってもらった感じがしていない」のではないか。
だから“話し続ける”、“同じことを何度も話す”、“話していてもスッキリしない”のだ。

この状態を解決するには、“本当に”理解するしかない。
“本当に”とは言っても、当人以上に理解するのは難しい。
その感覚を持ってもらえるような話の聞き方をするということだ。
それにはやはりある程度時間を使わなくてはいけない。
そして、怖がらず、不思議がらず、「死にたい」と考えてしまっていることは事実として、具体的に聞く。
いつから死にたいのか、一番最近死にたい気持ちが高まったのはいつなのか、そのとき身体がどんな感じになっていてどう対処しているのか、手段は用意しているのか。
クスリなどを溜め込んでいるとか、身辺整理をしているとか、飛び降りて死ねそうな場所の下見をしたことがあるとか、遺書やメモをしたためているとか。
そのような細かいことまでを聞いて初めて、クライアントに「わかってもらえた感」が生まれる。

(追記 2012-01-03 11:00)
悩んでいるクライアントに「どのくらい」苦しいのかを質問してもうまく答えることはできない。
考えたり言葉を探したりする負担をかけたり、「わかってもらえない」不安を強くするというデメリットが大きい。
時間経過に沿って、できるだけ順番に、事実を聞くだけでも必要十分なサポートになる。
(追記ここまで)

仲間や管理者、専門家と状況を共有する

時間をかける、細部まで話を聞く、というのはできそうでできない。
そこには慣れや若干以上のテクニックがないといけない。
その部分をカバーするのは、チームワークや専門家の能力だ。

人ひとりの「死にたい」気持ちを本当にうまく支えようと思ったら、当然膨大なエネルギーが必要になる。
そして、それは結構な長期に調達しなくてはいけない。
しかし、いつかの時点では当人がそのエネルギーを生み出し始めるはずなので、そこまでの辛抱ということになる。

そのためには、一つには複数人で対処にあたる、というのがいい。
交代や複数で別の時間に話を聞く分担をする、直接に話しを聞く人は一人だとしても、その対処している最前線の人を周りがサポートする、もしものときの覚悟は繰り返し周囲の人同士で共有しておくなどだ。

もう一つは、カウンセラーや医師などの専門家に任せられる部分は任せてしまうこと。
専門家は、ある程度はドライに時間とコストをコントロールしてくれる(カウンセリングなどにはお金がかかるという現実)。
話を聞くテクニック、慣れと勇気を持って細かい部分まで聞く経験、責任の範囲と取り方のバランス感覚などを持っている。

まとめ

死にたい気持ちという、一見普通の感覚では理解しにくいものをとらえるには、いくつかのポイントがある。
それは、知っている人から聞いてしまう方が手っ取り早い。
ただし、その後にあなた自身の現場に合わせたアレンジは必要だ。

今回書いたポイントは裏を返せば「やるべからず」の項目ともなる。
時間をかけないで慌てた対処や対応はマイナスになる。
話の表面だけを、距離感を取り過ぎて聞き続けていても目の前のクライアントは「納得」しないし、できない。
専門家や仲間など、使える資源を探さずに、少数あるいは一人で自殺企図を持つ人を支え、抱えてしまうことの危険を知っておくべきでもある。

2011-07-22 08:00