鍵を拾っても鍵穴を知らなければ使えない


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およそ3年ほどもメンタルヘルスやカウンセリング、惨事ストレス周辺について考えてきた。
一つ一つの知識やアイデアは小さな点だけれども、さすがにこれだけの時間を継続的に費やしてきたら、カバーできる範囲はかなり広く隙間なく、統合されてきているように最近感じる。
24時間考えているから。

知識は、ただそれを知っているだけではいわゆる雑学でしかないから現場で役立たたない。
実際に現場から吸収した知識であることや、全体を知った上での部分への対応力というものが実践家としては必要になる。

雑学としての知識とは、ある日どこかで偶然に拾った「鍵」のようなものだ。
素人であって、何も予備知識や全体への認知、想像力が「なければ」、その鍵で開けられる錠(鍵穴)があることに喜びを感じることができる。
あるいは、どんなロックでも開けられるという万能感をイメージしてしまうかもしれない。

しかし、実際には鍵は鍵でしかない。
開けたり閉めたりする錠前(鍵穴)とセットであって初めて機能するし価値が出てくる。
それが、どこにある、どのような錠前を開け閉めできる鍵であって、それを開け閉めした先に何があるとか、鍵を回すことで何が起こるとか、それを知っていなくては実は全く意味はないし、実践家としては怖い。

車の鍵を拾ったとしても、この世の中には無数の車がある。
それをすべて試してみることはできない。
たとえその鍵が、どこかの銀行の金庫の鍵なのだとわかったとしても、自由に出入りすることはできない。
そもそもたまたま拾った鍵で「試す」という行為はできないからそこにプロとしての認識や制約、契約が要ることになる。

知識が統合されて、実践ができるということの意味は、鍵を鍵として見るだけでなく、その対となる錠前を認識したり、場所を知っていたり、その鍵を使うことの意味やそれによって起こることなどを隙間なく面として知っていることだろう。

2011-06-30 06:00

(関連エントリ)

謙虚になりたい | deathhacks

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