用語の統一にこだわらない


R1007331

学習をするときに対象や認識を同じくするためには「用語」をキチンと定義しないといけません。
しかしこだわりすぎてもいけません。
費用対効果、バランス、トータルコントロールを考えましょう。

もちろん「言葉」は抽象化したり、記録・記憶したり、議論を積み上げるのには重要であり必須なツールです。
しかし、それは常に絶対的なもの、普遍なものでもありません。
それだけを拠り所にはできない性質があるのです。

例えば、「痴呆症」は「認知症」になりました。
「精神分裂病」は「統合失調症」と表現されることになりました。
このような変化・変更の理由は様々です。

差別的な意味合いがあるから、という理由は考えられます。
しかし、言葉それ自体に差別や喜怒哀楽などの思考・思想・感情はありません。
やはりそれらはツールに過ぎないのです。
思考や感情がもしあるとしたらその言葉を使う人の中でしょう。
そしてそれは時代や社会、状況によって変わるから言葉の定義や使われ方も普遍ではないのです。

あるいは新たにわかった知見に合わせて実態をより上手に表すために呼び名を変えることもあり得ます。
しかし、その概念をよりきれいに表現しているかというのも結局は主観や多数決などで決めるしかない価値観です。
それも普遍ではなし。

結論としては、言葉の定義や決定を鵜呑みにしないこと、過信しないこと。
言葉をコミュニケーションのためのツールとして使うからには、その場や相手に合わせること以外に目標はありません。
カウンセリングでもグループへの教育でも、言葉・ツールの背景にある概念や感情、思考や思想を完璧は不可能としてもできるだけ近づける努力をするしかありません。
そこで意味の「崖崩れ」が起きたらそれに対処すれば良いのです。
その対処が大事なのであって、崖崩れ自体は失敗でも成功でもない、単なる現象・結果の一つです。

2010-11-05 06:00

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