面接中に気付けないことに、なぜ面接後には気付くことができるのか?

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上司でも同僚でも、他人と会話したり、業務上の話をしたりしているとき、その会話中では大事なポイントに気が付かないで、うまく即答できなかったり、問題点を指摘したり、巧みな言い返しができなかったりすることが続いた。
特に問題点の指摘なんかは、その場が終わってしまうと、あらためて声をかけて話を蒸し返したり、一旦決まったようなことを覆したりすることは難しい。
ビジネス案件だったらなおさらだ。
相手の時間も使うし自分のエネルギーも消費する。
なにより面倒くさい。

プールで話しかけられた時もそうだった。
相手の理屈で理不尽な提案をされ、理由がわからなくなる。
うまくリアクションができなかったりした。
アドリブは真剣勝負で一発勝負だから本当に難しい。
まだまだ自分の理想とするところの「常在戦場」ポジションには到達できないでいる。

面接やコミュニケーション中に、ナイスタイミングできづきが得られず、その場面が終わった後で「さっきこう言えば良かった!」とか「あのときなんでこれを思いつかなかったんんだろう…」とかいう事態になってしまう理由は何だろうか。
それは単に、目の前に人間がいて、相互の関係性から来る緊張でうまく頭が回っていないのかもしれないし、タイミングよくポンポンとやり取りをすることにエネルギーや集中力を取られてしまっているのかもしれない。
だがその違いはリラックス状態の有無だけに依るものだろうかと考え始めている。

例えば今度は逆の場面・状態を考えてみる。
精神分析の自由連想法を行っているとして、その場にいるセラピストは本当に必要なのかという疑念がよく聞かれる。
カウチ法ではセラピストがクライアントの背後に居るわけだが、眼に写っていない人間がそこに居ることにどこまで意味があるのか。
しかし、確かに、たった一人で同じようなことをしようとして、壁に向かって座り、セルフで自由連想をしようとしてもなかなか続けられるものでもない。
10分も続けられないのだと言う。
自由連想法について言えば、相手がいないと発想が出現するという力動が生じないらしい。

この2つの場面、思考を回したり、発想を生み出したりするために、目の前や近くに相手が居たほうが良いのか、あるいはそうすることが妨げになるのか。
どちらかが正解で適切というわけではないらしい、こうした知的作業において、他にどのような考察が可能で、どんな要素が含まれていて、どういったコントロールが可能なのか。
それこそ精神分析的にでも、一人での思考研究でも、他人とのディスカッションを通してでも、少し考察していきたい。

2013-06-21 07:00

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