上記エントリのテーマをさらに再考中。
カウンセリング技術やメンタルヘルス支援、心理学的知見や資源を、弱り切っている人や死にたいくらい苦しんでいる人、トラブルに困っている人などを危機的状況から浮き上がらせるために使うということは現在すでに試みられている。
しかしそれを発展させたような、より人生社会の幸せとか喜びとか生産性などを増やし充実させるようなことを、同じ分野の考え方やツールで目指すことは可能だろうか。
私は今の時点でそれが可能だとは思えない。
答えはノーだ。
ただしそれは、今答えが自分なりに納得して出せないから、というだけだ。
このテーマは常に持っておいて、いつか、何かのアイデアやきっかけで可能性が変わるのではないかと思う。
ちょうど様々なテクノロジーの発展や進化、あるいは適応される人や社会が変化することによって、想像やアイデアでしかなかったものが時代を越えて実現するように。
ただ、今すぐに、ではない。
このテーマは「大きい政府と小さい政府のどちらがいいか」というのと似ている。
社会の多数が弱くて、システムが脆いのであれば、仕組みとしてお節介なくらい個人個人をサポートして、導く部分が必要になる。
これは極端に落ち込むことがないという安心と引き換えに、責任を奪ったり制限を受けることを許すことを必然として要求する。
ある程度以上にモノや生活、文化が豊かにそして多種類に豊かになっている世の中であれば、制限や介入は最低限にし、リスクを選ばせるのが人間やそれが好む自由というものの基本ではないか。
この筋の考えでいくと、プラスをより増やすために、メンタルヘルスや心理の面から何かを与えるというイメージが具体的に持つことができないでいる。
2012-02-04 11:00

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