この世で一番貴重なものは「自由な時間」だ。
このうち「自由」と「時間」はX軸とY軸のような関係になっている。
いくら自由度が高くても、それをうまく活用するためには時間が必要になってくる。
時間がいくらたくさんあっても、その使い道を制限されていたり、他人にコントロールされていれば、価値は少なくなる。
自由な時間の価値の合計は自由と時間の掛け算ということになる。
ここで自由について考えてみる。
皆さんは今、自由だろうか。
日本であれば、幸いなことに全人類の中でも自由度がめちゃくちゃ高い環境だと言える。
食べ物は豊富にある。治安が良く、安全だ。清潔で病気も少ない。義務教育も含め高等な教育が普及しているし、図書館や大学、インターネットなどを通じても勉強できる。ネットワークも発達している。
とは言っても、自由には精神的な状態も含まれる。
例えば、イライラしていたり、何かに腹を立てていたりするという状態は「不自由」だ。
そうでなければ楽しみや勉強やリラックスに充てられるはずの時間を、不愉快な疲れを増やす感情に囚われてしまっているからだ。
そう、疲れや悩み、怒りや悲しみというものがあれば、一見誰も何もあなたを縛り付けてはいないようであってもあなたは「不自由」なのだ。
痛みや病気があっても、あなたは自由に制限を受ける。
自由と健康はほとんど同じ意味を持っていると考えて良い。
お金についても考えておきたい。
「自由な時間」が大事だ、と言ってもお金がなければ生きていけないし楽しめないではないかという意見はあるだろう。
確かにそうだ。
ここで、お金がなくても人生は満喫できるという信念も、お金さえあれば何でもうまくいくという考え方も、どちらも極論ということになる。
お金はやはりツールや手段に過ぎない。
ただし、お金はとてもとても応用が効く、汎用性の高い、強力なツールだから、ときに自由や時間よりも大事なものに見えてしまう。
お金で時間や自由を買うことができる。
しかし逆も成立している。
お金を稼ぐために、私たちの多くは時間や自由を対価として支払って交換していることがお金の価値を過大に評価させる原因だ。
これから一生どこかの牢獄に閉じ込められ、命令のままに働かされるとしたら、どれだけお金をもらっても、誰もが拒否するだろう。
1分後にあなたの生命、つまり人生残りの時間がなくなるというのに、お金を欲しがる人はいない。
そういうことだ。
2011-09-24 10:00
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