ガー氏はこう言う。
p.74
弁解の言葉でスピーチを始めてはならない
その日の聴衆のために準備を怠ったことに対して謝罪をしてはならない。それを匂わせてもいけないし、ましてはっきりと認めてしまうのはご法度だ。
(中略)
思い通りの準備ができなかったことに対するあなたの嘆きなど、聴衆にとってはどうでもいいことだ。
(中略)
「緊張しています」と聴衆に告げることについても同様である。
(中略)
しかし、それはあまりにも自己中心的な考え方である。あなたが今心を注ぐべきなのは、聴衆の気持ちや要望の方だからだ。
(中略)
だが、プレゼンテーションの主役はあくまで聴衆である。話し手の緊張ぶりを聞かされても、聴衆には何のメリットもない。
正にその通りだ。
聴衆に対して「言い訳をしない」ということについては、私はたぶん自分が聴衆として経験したものからすでに感じていた。
それを今回ガー・レイノルズ氏という“権威”からも聞くことができた。
私の経験というのは、例えばプレゼンターが「私って緊張すると早口になってしまうクセがあるんです。。ごめんなさい」とか「スライドの文字が小さくて見にくいかもしれませんけど」というものから、「僕は教育はあまり慣れていないんです」「皆さんにとって興味ない内容かもしれませんね」というものまで様々だ。
それらを聞く度に私は頭の中で「だったら練習してこいよ」とか「話さなければいいのでは」などとツッコミを入れてきた。
そうなのだ。
あまりに潔癖、完璧主義かもしれないけれど、「言い訳するくらいならば事前に準備したり修正したものをこちらによこしてくださいよ」「プレゼン者の内心を話されてもこちらの評価や利得は別に変わらないよ」と厳しめに考えてきたのだ。
このように、いわゆる「セルフ・ハンディキャップ」を設けるのは「ズルい」ことだ。
自分ではそうしたことを避けたい。
絶対にしない、とまで言い張る自信も経験もまだないけど。
このような態度ややり方は結局、聴衆への甘えであると同時に、自分への甘えである。
そして不誠実でもある。
これらは一見、聴衆やプレゼンターから見て、謙虚さや誠実さとも取ることができるのがさらにやっかいだ。
ガー氏の言うとおり、主役の座を聴衆から奪ってはいけない。
ましてやそれに気づかないのはもっと悪いことになる。
2011-08-11 10:00
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