あれはファシリテーションではなかった

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あるグループワークでの板書役を仰せつかった。

ワークやディスカッション、まとめ自体はうまく進行した。

筆記者としては要領良く役目を果たせた気がした。

しかし後からよく考えてみると、自分がやったことは、身につけておきたいと思っている「ファシリテーション」の技術とはまた違ったものだった。

ファシリテーターは、自身の考えをボードに書きはしない。
発言内容をアレンジしても構わないが、そのアレンジが適切で腹落ちするかを、発言者によくよく確認しなくてはいけない。

今回は自分も参加者と変わらずに振舞ってもまったく問題のない場面だったが、周りが結果やそこまでの流れを納得・了解していても、私は油断してはいけない。

うまく仕切れて、感謝されさえしたように見えても、実際はどうだっただろうか。
もう1回頼むよとか、いつもよろしくと言われるようなファシリテーターには程遠い。

参加者にしてみれば、誰も出していない内容がどんどん書かれていく、自分の言ったことと違うニュアンスが記され、解釈・進行されていく違和感を感じる。
そんな状況と雰囲気になっていなかったか。

こうした突発的、日常的な場面でも、そのひとつ一つで、場の目的、自分の役割・立ち位置、実行動などを、すべて意識してコントロールしフィードバックをしたり受けたりしなくては成長できない。

他人からの評価と自己評価は、一概に、一致するべきものでもなければ、常に異なるものでもない。
独立してどちらも尊重しなくてはいけない。

2012-03-19 07:00

Posted from DPad on my iPad

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