うつ病診断技術のニュース性、技術と運用の二人三脚

R1009181

今どきは、うつや自殺に関するニュースの価値が高い。
例えば以下のニュース。

広島大、鬱病の客観的な「指標」を発見+(1/2ページ) – MSN産経ニュース

原著は以下。

PLoS ONE: DNA Methylation Profiles of the Brain-Derived Neurotrophic Factor (BDNF) Gene as a Potent Diagnostic Biomarker in Major Depression

この研究の学術的・医療的な価値は未知数だろう。
まず研究の初期段階ということでサンプル数は当然少ないし偏りがある可能性が残る。
それが「ニュース」として取り上げられるのは、メディアの取捨選択を経た上で内容価値が高いと判断されたからだ。
さらに言えば、メディアが「一般市民がどんな何についての情報を求めているか」という判断と意識のもとでニュースを探し、選んでいる。

こうした医学や一般的科学の最先端技術や基礎研究は、現場実際の運用とはかけ離れたものであったり、まったく頭におかれていないものが多い。
それが良い悪いではなく、実用上の価値判断をしないし含ませないことにメリットがある場合があるのは当然だし、それを許容することで文明は進歩してきたと言っていい。
「それが何の役に立つの?」とか「それは儲けにつながるのか?」という質問だけが力を持つと、会社のような組織では研究開発が硬直化し成長をストップするし、行政や大学であれば「仕分け」され、これまた将来の発展や希望を断つ。

こうした研究というものは、その研究と同時に、運用についても考えなくてはいけないと思う。
例えば、今回取り上げたニュースのような「うつ病の客観的な診断技術」に関する研究は少なくない。
たいていの研究では「早期に診断できる」「(血液検査や画像診断で)客観的に診断できる」という結論を引き出そうとする。
あるいは、ちょっと異なると「うつ病のメカニズムを解明する」とかか。

これらのゴールや目標は一見、患者にも医療にも利があるようだが、現場での運用をよく考えるとそう簡単ではないと私には思える。
「うつ」というものが、気持ち、価値観、幸せ、社会や人生といった個別に無数のバリエーションがあるものに踏み込む可能性が高いからだ。

ただし、初期の段階でダメ出しをし過ぎてもいけない。
アイデア出しや基礎研究と、その価値判断や実用性と運用シミュレーションなどはチームや管理、タイミングなどを分けるべきなのだろう。
そういうことは一般的に知られている。
ブレーンストーミングの、前半アイデア出しでの「発散」と、判断決定という後半の「収束」をはっきりとわけるというノウハウと一緒だ。

現実科学には「絶対」というものはない。
疑陽性や疑陰性というものが存在する。
あまり大変だったり、苦しかったりという感覚がない人が、検査で「うつ病」だと診断される可能性がある。
逆に、死ぬほど辛い気持ちと身体を抱えているのに、医療が「あなたはうつではありません」という逆告知をすることもある。
診断技術と現場運用が、最終的にはセットでなくてはいけないというのはそういうことだ。
科学的・医学的に「正しい」ことをして、人やその周囲が不必要に不幸や不利益をかぶることを増やして意味があるだろうか。

これが近年のインフルエンザ診断のように、疑陽性でタミフルを内服しても特段デメリットはなかったとか、疑陰性でもおとなしく養生して回復しましたとかであれば、疫学や公衆衛生的には別でも、それほど社会や人類にマイナスはないのだが。

さまざま考えつつ、とりあえず原著の Abstract くらいは読んでみる。

2011-09-01 09:00

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