カウンセリング1時間の相場は3万円

R0012547

私が心理カウンセリングを1時間するとして料金は3万円にしようと思います。
都心部での相場を1時間1万円と考え、その3倍と計算しました。
私が考えるカウンセリングの基本技術の価値が世間一般に提供されているものの2倍の価値はあると思っていることから始まります。
その基本技術の1段階上に自分が位置すると考えています。
なので2段階アップで3倍と計算。

また一流の弁護士や公認会計士、ビジネスコンサルタントの料金基準が1時間5万円ということも想定しています。
私の知る限りで最も一流のカウンセラーがカウンセリングをしたりスーパービジョンをする場合、最低料金が1時間5万円から始まると思うからです。
私がカウンセリングまたはスーパーバイズを受けるのならばその額を払います。
そこにそれだけの価値を感じるからです。

私自身の能力としては一流の2段階は下になると思っています。
1段階下がって1時間4万円、2段階下がると1時間3万円という勘定になります。

時間あたりの対価を考えてはいますが、あるいは1回の料金を3万円とするかもしれません。
それはとりあえず大きな違い、問題とは思っていません。

そしておそらく最初の1回もしくは2回までをお試し回で無料にします。
カウンセリングには相性や生理的な感覚や直感的な要素があるからです。
プロのカウンセラーを名乗るとしても、技術や知識ですべてを解決できる、超越できるというものではないと思うからです。
その部分について、私の知っている心理カウンセリングには科学性(再現性や客観性、計測可能性)が不足しています。

また、心理カウンセリングが何なのか、結局どんな効果があるのか、ということが一般にマチマチな認識がされていることもいきなり契約はしない、できない、金銭のやり取りを発生させないということに関係します。
何か問題を具体的に解決する、代理人的に交渉してくれることを期待してくるクライアントもいるでしょうし、心理カウンセリングではなく警察や弁護士、行政サービス、医療などへの相談やそれらの利用がまずは適切なケースもあります。

不動産契約や車の売買、医療説明などでは契約内容や質疑などで軽く1時間や2時間は費やすでしょう。
ケータイ電話の契約や料金・サービス・使い方の説明にだって今やそれくらいは売り手にも買い手にも時間とコストが生じます。
現時点で、冷蔵庫やテレビほどには「買ってきて何の知識や説明もなくてもその製品の8から9割くらいのパフォーマンスを出せる product」ではないでしょう。
それくらい複雑で、誠実な両者の関係と了解が必要なコミュニケーション・活動だと思います。

2010-12-31 09:00

最終的には相手を変えたいかどうか

R0012597

相手を変えないと自分が危機や不安を感じるか否か。

正しいか否かというのは、そこ自体にこだわっているのではなく。

あるラインまで「正しく」て議論の余地が無い、もしくは少ないのであれば、そのラインを越えた部分については両者に取って自由である。

そしてあとはリアルのアクションと結果・評価の問題になる。

そこはリスクを取ったのなら誰にも結果はわからない、未来ということになる。

2010-12-30 08:00

客(クライアント)は何を食べたいか自分では分からない(と思え)

R0012492

心理カウンセリングでクライアントがカウンセラーに求めるものをうまく捉えることはお互いに協力的であってもなかなか難しいものです。これはクライアントの知能や知性、表現力ややる気に左右されるという意味ではありません。心理カウンセリングで扱うテーマが人生や幸せ、価値観、そして本質的にメタ認識することが不可能な「クライアント自身のこと」だからです。

カウンセラーがお店だとして、そう、例えば八百屋だとしましょう。当然売っているものは野菜や果物です。そこにお客さん(クライアント)が来たとして、「魚が欲しいのですが」と言ってきたらどうすれば良いでしょう。「魚ならウチにはありませんが、その先に魚屋ががありますし、もう少し行けばスーパーもありますよ」というような対応をすれば問題ないと思えます。そもそも「ふつう魚が欲しい人が八百屋に来ることはないだろ」というのは常識的です。

しかし、心理臨床領域ではこのような状況が現にあるし、起こっていると考えられます。自分が何が欲しいか、その店に何が売っているのか、分からないクライアントが買い物に来るのです。これは単なる比ゆとしてですが、考えられる原始的な問題はいくつもあります。

  • クライアントはお腹が空いているので食材を買いに来たのかもしれない。もしかしたらレストランに行ったほうが早い?
  • お腹の調子が悪いなら食べない方が良いかもしれない
  • 食べたいのは正直な気持ちだけれど、食べ過ぎて肥満になっているかもしれない。これも果たして食べたいものを食べるのが「正解」か?
  • 売る側(カウンセラー)も何を売っているのかを分かっていない。だから野菜の代わりに魚を売ってしまう。他の店を紹介したり断ったりできない

プロとしては自分が提供しているサービスを知ること、クライアントのニーズに合わせて説明できること、その限界や特徴を知ることが必要です。常識的に考えて、一人の人間が世に存在するすべての商品を提供することはできません。それを目指したり、何でもできると錯覚して請け負うのは、一人でアマゾンの経営から買い付けから在庫管理から出荷などまでやるようなものです。

医療や心理臨床領域ではこのように科学で解明できたり、計測可能、定性可能なものは限られています。繰り返しですが、それは扱うテーマが、人生、価値観、幸せ、社会などあいまいで抽象的なものだからです。

2010-12-29 08:00

(関連エントリ)

料理が先か、食材が先か | deathhacks

手料理をふるまうようなカウンセリング | deathhacks

カウンセリングでもグループトレーニングでも言語化は大事です | deathhacks

九九のようにストレスコントロールを知る、使う | deathhacks

センスを定義しよう

R0012480

学問の役目はセンスを定義すること

「センスがない」

正確には「どうもあの人達にはセンスがないんだよねー」だったか「なんでおんなじことを勉強したはずなのに同じようにできないんだろう」だったかは忘れた。
カウンセリングの現場でのチーム同僚についての話。

「センスがない」という表現。
現実に起こったことや、細かいやり取り、会話、状況などは私には分からない。
同僚に対する正直素直なな感想なのだろう。
しかし、その人自身は「(自分の)評価が厳しすぎるのだろうか」とも言っていた。

センスとは何か

臨床の場で「お前はセンスがない」「言われなくても分かるだろう」というような表現をされた経験はある。
さてセンスとは何か。
医療にしろカウンセリングにしろ、その技術の中で「センス」と表現されるものは一体何だろうか。
それは「説明できない何か」なのだろう。
センスとは何かを定義しなくてはならない、センスとは定義できてないから仕方なく使う表現である、センスという抽象化されていない表現を使ってはいけない、と言うつもりはない。
現場では、「見て覚えろ」「盗め」「できないのは本人の努力が足りないから」になりがちである。
それらすべてを否定する気はない。

ある人はカウンセリングを他人に教えるときに一番重要なことは、「リズム」と表現した

あるカウンセラーに「あなたがカウンセリングの教育をするとき、何が一番大事だと教えますか」と質問した。
「それはね、リズムだ、と私は教えている」とのことでした。
それが正しいのかどうかは今の私には分からないが「センス」という抽象度のより高そうな表現ようりは実感できる答えではないか。
ただしもちろん完全な答えではないと思う。

教育、教育者としては定義できないこと、センスとしか表現できないことに対しても責任を取らなくてはならない。
指揮官や管理者としてのみの立場で責任を果たすことを至上と考えたならば、自分の部下やチームの面子に対して「あんたは能力が低い」「君は交代だ」として任務を果たそうとするのは、正しいと考えられる。

2010-12-28 06:00

(関連エントリ)
勉強会のススメ(3) – 経験知を貯める | deathhacks

なぜ、「できる人」は「できる人」を育てられないのか?
吉田 典生
日本実業出版社
売り上げランキング: 43444

雑事雑談議論20101226

R0012452

  • カルト、心酔、信奉(の過剰なもの、原理主義的)は良くないし、キモイ、気色い(キショイ)
  • あなたが迷っているなら、しないことを勧めます。(ただし私は、自分が迷っているならば、とりあえず、やることにしています)
  • ある人が、カウンセリングをしなくてはならない、カウンセラーにならなくてはならない、という理由は、外部にはない。その人の中にしかない。だから、あなたがどうしてもやらなくてはいけないこと、ではないはず。そのクライアントにはあなたに支援される、助けてもらう義務や道理はない。
  • 長くしゃべっていると、少なくとも自分のしゃべっていることはループしている。ツマラナイ人。
  • 言いたいことがあれば、そのまま、すぐに、サラリと言う。悪いことでも、それを受け入れるかは相手次第。傷つける心配よりも、自分の発言がどの程度まで、客観的か(主観がどのくらい入っているか否か)、科学的か、実践的でアクションにつながるものか否か、価値あるか、などの査定や言葉選びなどに注力する
  • 誰も世界平和を目指していない
  • クライアントや仲間を自分(たち)の型にとにかくハメようとするか否か。野球の打者が古典主義的に素振りやフォームだけを絶対視するか、それともイチローのように一見泳いで悪球打ちのように見える打撃すらも肯定するか
  • カウンセラーがクライアントに言えない、聞けないことには、カウンセラー自身の主観や価値観が入っている。プロならそれに気づき受け入れ処理しなくてはいけない
  • 他人の人生に干渉はしないけれども、二次被害を促進支持することはしたくない
  • 岡村さんって大丈夫?「ブレーン、コンサル、サポートは手厚いでしょ」「年齢、体力から見ると確率的に問題ない」「リハビリって、失敗する(プチ失敗ならOK)」「リハビリは失敗してはいけない、というのは古典的硬直的価値観」「引越しとかライフイベントに関する一般論とケースバイケースの見切り」「以前とまったく同じ状況状態に同じ人が戻っても、今度は疲労しない、うつにならないこともあるのが、人間とか社会とか生き物の不思議、カオス系」

(追記するかも)

2010-12-27 08:00

相手のことを知らなくては教えることはできない

R0012399

知識や事実を教える(相手からみた場合には知識を得る・吸収する)だけならば本や文章を読めばいいのであって。
ただし、この世界でそれほど固定的・確定した知識や事実というものはありません。
現場や人と人の間に生まれるコミュニケーション、そして生き物・変動的な存在としての社会意外に学ぶ価値のある対象はないと思っています。

教える相手、コミュニケーションを取る相手が10人いれば10通りのニーズ、20通りの教え方があります。
それには相手を知らなくてはいけません。
コーチング的な考え方、やり方も有効かもしれません。
知りたいこと、学びたいこと、答えはその人自身が元々持っている、あるいはその人自身にしか答えは出せない。

2010-12-26 08:00

私は褒めるのが苦手なの?

R1007431

どうしても常に、そうほぼ常に、シニカルに、斜に構えて、手厳しく、嫌味に、辛辣に、蜂の一刺しを狙うが如く、複雑に、批評・表現・コミュニケーションしがちです。
一度などは、教育後の個人ごとフィードバックをまとめて筆記入力する役をしているときに、他の人が考えて提案したポジティブな内容の言葉を入力するのに、私の頭の中では打ち込もうとしているのに上手く日本語が手先から出てこないというようなことすらありました。
これは私の性質や指向によるものでしょうか。

カウンセリングトレーニングの振り返りでも、ネガティブな部分の指摘が量的に勝ってしまいます。
それ自体は嘘でも偽りでもないので、仕方がないと割り切ることは出来るのですが、それにしても私から出せるフィードバックがすべて改善を要するものであるとコミュニケーションとしてはバランスが悪いかもしれないという畏れを抱きます。
そう、トレーニングとは言っても、私が参加しているものは、別に義務的なものではないし、本質的な意味としては上下関係を基調として渡し下ろすものでもありません。
ただの対等なコミュニケーションの一形態だと思っています。

頭では、ポジティブな面を見るべきだ、褒めるべきだ、悪いところを指摘するの(だけ)ではなく、良いところを挙げて、モチベーションをコントロールしてやるというのが望ましいと考えています。
しかし、身体と口は、ほとんど勝手に逆のことをします。

あと、できることは、複数人数がその場に居れば、グループ力動的なものを利用して、総合的なバランスを取ることを考えたり、ネガティブな指摘をしたときにでも相手の反応を見ている、というくらいです。

自分のこうした、日々日常のフィードバックやコメント、コミュニケーションが良いものなのか、ソコソコの品質を持つものなのか、改善を要する私の弱点であるかなどは中長期的にしか結局はわからないものです。

2010-12-25 07:00

食にあまり興味がない

20101217-2

食べることに関して、そんなにこだわりがありません。

お酒が入る会などでは、せいぜい最初の方のビールの味、というか喉越しくらいしか記憶に残らなくて。
料理の味が分かっていません。
割合にすぐお腹がいっぱいになってしまう。
注文したものが多めに残るとちょっともったいないかな、とは思います。

先日一人で居酒屋に先行して、飲み食べ始めていたら、料理の味が分かりました。
これは普段複数人で飲み始めるときに如何に味が分かっていないかが認識できた感じでした。
というよりは、話をすること、話を聞くことに集中している、夢中になっている、貴重に思っているということの表れだと思います。
相対的に食べること、飲むものやり食べるものの味に興味が湧かない、ということ。

スタバに行っても注文してランプの下で受け取るときに、さて自分は何を注文したんだっけ?という感覚になることが多いです。
今日も(もしかしたら)注文したものと違うものがオーダーされてたかもしれないけれども、レシートには入力があるし、ほんの少し過去の自分が何を飲もうとしていたかなどは覚えていない、という感じ。
スターバックスに行くのは正に公言されている「サードプレイス」的な利用をすることがメインなので申し訳ないけれどもあまり味やバリエーションへの造詣やセンスはありません。

ラーメン屋さんに並んでまで食べたいとかいう趣味も今のところありませんね。

2010-12-24 12:00

知識格差社会 – メンタルヘルス教育の難しさ

R1007423

メンタルヘルスについて多人数を相手に話すことは以前よりも難しくなっています。
その理由は、皆が勉強して知識をつけた・ついたからです。
話を聞いている人が、よりメンタルヘルスについて知っているのならば、話したり教えたりすることは簡単になるのではないか、とも思うかもしれません。
しかしそうではないのです。

理由の一つには「知識の格差」が挙げられます。
皆が、情報を得たり、勉強したりして、詳しくなったとしても、それが一人ひとりに等しく身についているわけではありません。
メンタルヘルスに興味を持ったり、身近に困っている人を知っていてカウンセリングを学んできた人などが増えています。
そういった人が増えた一方で、まったく興味がない人たちも当然多くいるでしょう。
結果として、勉強や知識の差が絶対量としては大きくなるという状況があります。
同じ話を聞いたとしても、情報収集や勉強をもうすでに1周2周している人にとっては物足りず、まったく知らない人には難しすぎるということが起こりやすくなっています。

もう一つの理由として、その「学習した」人たちを考えてみますと、勉強すればするほど、その知識や範囲が限定された極端なものになりがちだということが言えます。
プロとして学習して実践する者はその知識や技術に普遍性があることと万能性はないことを知っている、あるいは知ろうとしています。
それが、プロがプロフェッショナルである所以であるからです。
ただただ、知識や情報を身につけただけではプロにはなれませんし、情報の紹介や評論以上の「仕事」はできません。
メンタルヘルスに限らず、自己の体験から単独で学習をしても人はなかなか体系的な知識を身につけることは難しいものです。

日本で教育レベルが上がり、知識や情報が広がり平準化したことにより、「一億総評論家」であったり「モンスター・ペアレント」「クレーマー」といった記号が生み出されてきていることとも関連した話かもしれません。

2010-12-23 07:00

(関連エントリ)

世の仕事は差分を利用している | deathhacks

プロの知識、能力、技術を持った素人は存在しない | deathhacks

エキスパートよりもプロフェッショナル | deathhacks

初級者を教える方が簡単ということはない | deathhacks

(2010-12-24 13:00 タイトル修正、関連エントリ追加)

カウンセリングのすべてがわかる

R0012391

とかく科学や医療近隣分野としてはカウンセリングやメンタルヘルスにエビデンスが求められます。
カウンセリングに(良い)効果があるかどうかにエビデンスはないのではないかと決めつけ思い込んでいました。

が、以下の本ではそのような根本的な答える人間にとっては厳しいと思える質問をとにかくには応えようとしています。

カウンセリングのすべてがわかる -カウンセラーが答える本当の心理学- (ぐっと身近に人がわかる)
石村 郁夫 羽鳥 健司 浅野 憲一
技術評論社
売り上げランキング: 92812

ただ核心部分については欧米の論文に振られているのでこれから確認はします。
ただおそらくは、私個人としては、本書の答えやpapersでは腑に落ちないと予想はしています。

これらの質問を用意して、答え、本にまでした「志」には敬意をまず示します。
第1章の以下に挙げるような質問に、個別ではなく、総論的に答える自信やまとまりがまだ私にはないからです。

「4. カウンセリングを受けると良くなるのですか?」
「5. カウンセリングを受けるとどうして良くなるのですか?」
「6. どのように良くなったと判断するのですか?」
「7. 早く良くなるにはどうすれば良いのですか?」
「9. カウンセリングで状態が悪化する場合はあるのですか?」
「11. カウンセリングで治る人、そうでない人はどう違うのですか?」

2010-12-22 08:00

(関連エントリ)カウンセリング、介入、広報それぞれにおけるバランス