愚痴は120%良いものだ – 愚痴の研究その1

P2170279

愚痴をこぼすことに悪いところはただの1つもない。
あるとすれば、寄り優先するものがあるという状況とか、聞く相手が拒否的であるとかいう、場面との相性だけだろう。
服装や言葉にTPOがあるように愚痴だっていつでもそぐうわけではない。
ただし、それは「愚痴」そのもののせいではない。

愚痴をこぼすということにはとかくネガティブな印象がある。
「愚痴を聞かされて困った」とか、「愚痴を言っているようでは自分はもっとだめになる」という、誤った思い込みがせっかくの愚痴の効果的活用を妨げている。

人は愚痴を言うことで、事実だけでなく、出来事などに対して自分がどう感じているか、愚痴をこぼしている相手だけでなく、自分に対しても確認することができる。
こうした客観的な視点を持つということは自分一人でやることも不可能ではないが、思いの外難しい。
相手が上手に、攻撃や茶々を入れないで、上手に聴いてくれるというならば、愚痴大いに結構。

確かに愚痴をこぼすだけで、環境や状況、人間関係や世界が変化するというものではない。
しかし、まずはいったん事実+自分の内面を広げて見渡してみて、信頼出来る人と一緒に眺めてちょっと落ち着くことが大事なのだ。
「なんだ。やっぱり最悪の状況だねぇ」でもいいし、「ん。待てよ。この部分はもう少し深く確認してみると何か見えてくるかも」というアイデアが出ればなお良い。

2013-02-28 07:00

マイテクニック、マイレトリック

20130225162746

自分が持っていて使っている笑いやふざけの技術についてラベリングしてまとめてみておく。

  • 突然にそれまでと違うことを話しだす
  • アニメやマンガの話を持ち出す
  • 喩える
  • 自虐的な発言をする
  • ついさっき、あるいは少し前に話していた内容を持ち出して比較したりつなげたり近づけたりする
  • 普段と違うキャラを演じる
  • 話の内容と真逆の声音やトーンで話す
  • 場違いな専門用語、業界用語、四字熟語などを使う

2013-02-27 11:00

避けられない人付き合い中での理不尽さに対応していくコツ

R4009727

人間関係の中で相手に対して言いたいことを言えなくなり悩みや疲労を募らせることがある。
いったんそのループに入ってしまうとあらためて物言いするタイミングがなくなってしまう。

いくら相手の言動が理不尽なようでも、それに対抗したり一言言うのは、自分が相手と同じレベルに落ちてしまうようだと感じて二の足を踏むこともある。
「いつかは相手も自分の間違いに気づいて改善するだろう」とか「自分さえ我慢していればいつか状況は変わるさ」とかいう風に考えて、確かにその通りに事が運ぶこともあるだろうが、数%の確率で忍耐エネルギーの限界や体力の消耗による体調不良などを迎える。

こうしたときには、あらためて(最初からでももちろんいいのだけど)相手との距離をとったり、互いの間での「ルール」「枠」を作り直す作業が有効だ。

何か困ったことや、あなたの領域を侵すような言動を相手がしてきた場合には、まず落ち着いて(一呼吸置く。それこそ1回2回深呼吸して間を置こう)から事実・気持ち・お願いという3つを伝えるようにする。

  • 【 事実 】「今あなたが言っているのはこれこれこういうことですか」という確認。まず相手の言っていることの不明確な部分や「要するに」というものをしっかりと把握して、認識を共有する。この土台が違っていると話が始まらなかったり後々誤解が増幅していく可能性がある
  • 【 気持ち 】事実をベースにあなたがどう感じているかを話し、伝える。これはまさに感情を吐露していくということなのだが「感情的」になってはいけない。感情を伝えるときこそ淡々と冷静に。しゃべりの末尾は「〜と思うんだけどー」などになるだろう
  • 【 お願い 】「〇〇という風にしませんか?」「私は何々というのが良いと思うんだけど」「あなたにはこれを約束してもらいたいのです」という要望・提案等を伝える。あくまで「私は〜であって欲しい」というあなた主体の意見であるから、原則何を言っても構わない。ここは却って過激なくらいに正直でもいいはずだ

上記3つはセットで表現するのがコツだ。
「事実」を述べただけでは、相手が勘が鈍い、あるいは図々しい人であれば、無視されてしまう。
「気持ち」だけを出すのは、一般にためらわれる。
「お願い」だけでは、相手の個人的領域を侵害してくるような相手と同じ事を対抗してやっていることになりかねない。

最後のポイントとしては、こうしたやり方は1回でうまくいくとか、相手が反省して変わるとかいう風には期待しないことだ。
最低でも100回は同じ事を伝えなくてはピンと来てはもらえない、と知っておく。
所詮、人は他人を変えることはできない、と思っておこう。

だが、こうした工夫を実直に繰り返すことは気持ちの支えにきっとなる。
何も策を講じないで諦めてしまうよりも、精神的に余程安定する。
そして、このコツを実行することでほんの少しずつでも状況が改善すれば、それは直接にあなたのエネルギーの消耗を減らし、回復させる。

2013-02-26 08:00

スーパービジョンの落とし穴 – その1

R4003425

カウンセリングケースでスーパービジョンを受けることは必要なことだ。
しかし、うまく利用しなければいけない。
また、その中に潜む負の面、要素、危険、落とし穴に注意しなくてはいけない。

スーパーバイジーはスーパービジョン受けをするときに少なからず緊張している。
自分が扱ったセッションがうまくいったのかどうか、スーパーバイザーからどんな質問を受けるだろう、どんなミスを指摘されるだろう、などなど。
そもそも、最初からうまくいかなかったことが明らかだらり、自分ですでに覚悟していることだってある。
カウンセリングが人間対人間の営みであるからにはどんなに技術や経験があったとしても100%コントロールすることはできない。

怖いのはスーパービジョンを受けながら、実際にやったことを改変してスーパーバイザーに話していたり、やれなかったこと・聞いていないことをさもやった・聞いたかのように語り始めてしまうことだ。
事実と頭の中で考えていることがどんどん乖離していくことがありうる。
そのうちに自分の記憶ですら修正されていってしまうことすらすらあるのではないか。

できるだけリラックスしてスーパービジョンを受けられるよう、スーパーバイザーとの相性や環境、時間の制約など、コントロールできる部分は可能な限り整備すること。
自分の言動や結果に真摯に取り組むこと。
これらを繰り返し繰り返し自分に言い聞かせ続けること。

求道的になってしまうのも違うと思うが、自分への適度な厳しさを自分自身の中に持たなくてはいけない。

2013-02-24 08:00

自分が作る賭け事の張り目

R4003379

自分は、何か自分の望まないことが未来に起きそうなときに、「それが現実になってしまう」方に賭ける。
すると、

  • 予想があたった時 → 「賭けに勝った!」(悪いことが起きてしまったけど)
  • 予想が外れた時 → 「不幸が起こらなくて良かった!」(賭けには負けたけどね)

というシテュエイションが生み出せる。

前者なら「試合に勝って勝負に負けた」状態だし、後者なら「試合に負けたが勝負に勝った」みたいな結果だろう。

もちろんシリアスな事象やライフイベントに対してもこんなゲームを設定する余裕があるとは限らない。

ある意味これは、セルフハンディキャッピングとも言える。

セルフハンディキャッピングを好き嫌いで判断してはいけないな | deathhacks

ちょっとふざけているようにも思えるし、そうした人生の一コマを自ら脚本書きして演じることで気持ちの落ち込みリスクをヘッジしているようにも思える。

2013-02-15 08:00

自分のことを他人に話したくない理由

20130207195249

  • 責められたくない
  • 軽べつされたくない
  • 恥ずかしい
  • 「大したことない」と言われたくない
  • 軽い出来事だと思われたくない
  • (聞き手から)「似たような経験がある」と言われたくない ←→ 一方で言われたい気持ちもある
  • 引かれたくない

そして、そんなこんな要求を相手に対してすることや、考えることそのもので、何か自分が嫌になる。
悪いことをしている気になってしまう。
罪悪感を感じる。
自責を感じる。

話を聞かせる前から相手に、「じゃぁ、やっぱいいわ。めんどくさそうだし」と言われるのもアレだし、「真剣に聴いて受け止める」ことを約束させるのもこちらの都合として重すぎるし、不遜な気がする。
遠慮したい。

2013-02-14 07:00

Posted from Drift Writer on my iPad mini

教育者の資格は技を見せられることのみ

20130211164415

他人にものを教えたり、指導したりする資格があるか否かの判断材料は、その人が実際にその技術や知識を相手や周りに見せることができるかどうかという一点のみで測られる。

大事なことは、次の2点だ。

  • 技術のレベルは大した問題ではない
  • 「見せることができる」というのは、心理的に拒否や躊躇をしないことと、見せるためのプレゼンテーション能力があることの両方を含む

技術のレベルが問題ではない、というのは、教わる、あるいは参考にする価値がないか、教わる人間が理解できない場合には自然に教える教わるという関係が消滅するか、そもそも生じないことによる。
この部分は常に流動的で不安定だから、コントロールしようとすることがかなりナンセンスだろう。
それよりかは単純に実直に技術と知識の量と質を高めることに愚直に集中するべきだ。

2番めの「拒否や躊躇をしない」というのは、絶対的条件だ。
これがなければ教育が成立しない。
これなしに存在しているように見える教育はすべて「ウソもの」だ。

カウンセリングの教育であれば、ロールプレイでもモデリングでもガンガン見せて教えればいい。
言葉で説明できても、実際に自分で再現できないようなことを誰がまじめに教わる気になるだろうか?
私が認める教育者、指導者は皆いくらでも出し惜しみをせずに実践を見せてくれる。

2013-02-13 11:00