対談をカウンセリングの参考にする

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以前から思っていたが、テレビやYouTubeなどで見ることができる対談やトーク番組などでのやり取りは、カウンセリングのノウハウと同じものが活用されていたりする。

思いつく点としては、

  • キチンとしたインタビュワーやホスト、司会であれば、うなずきや間などがさすがに洗練されている
  • 話題が、うつや自殺、事故や惨事、非倫理的なこと犯罪的なことになると、途端にリアクションが難しくなる。これはテクニック的なものではなく、カウンセラー(ホスト)側の内面や価値観の問題なので、一般的な対談から参考になることを探すことも難しい
  • できるだけシナリオや流れが整っていないセッションを見つけるのが良い。テレビの長寿対談番組などは結局予定調和となっている。それらは内容そのものに価値があるから良いのであって、カウンセリングというやり取りの参考にはならない。「ユルい」番組がいい
  • 同じホストが違う相手とやり取りをしているものを比べると良い。姿勢やリアクション、トーンが異なったとして、その理由や背景の思考を考えてみる
  • 一般的な対談であれば、ホストがインタビュイーに質問や問いかけをしていくことで進行していく。だが、ここまでに挙げた他のポイントから考えると、ホストに複数の色々な人物が助言を求めてくるような関係性があると良い
  • 自分が見たものでも、途中から明らかにホスト側のテンションが下がって、インタビュイーの話の内容をとり合わないような展開をしている対談があった。しかし、インタビュイーは勝手に色々な発想をしてしゃべり続け満足して帰っていった。これなどはカウンセリングに似ている一例だと思う

2011-11-30 08:00

うつのリハビリはこころの受身を覚えるチャンス

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柔道技の達人になるのは難しいが受身は誰でもうまくできるようになる。

うつのリハビリで鍛えるべきなのは身体の頑強さや抵抗力ではない。
次に起こる試練や日常のストレスから、以前の自分よりもうまくかわしたりダメージを減らしたり大怪我をしないようなコツや知恵を見つけて身につけることが目標だ。

ストレスや疲労でエネルギーを使い果たしてしまったのがうつになった原因だと理解するのは正しい。
もしそのような状態から回復したとして、また同じようにならないためにはどうしたらいいだろうか。

全快状態のエネルギーを増やすことを考えがちだが器には限界がある。
年齢を重ねると基礎体力も落ちる。

かと言って、うつで一番落ち込んだときから回復しようとしたときのように休んでばかりいるわけにもいかない。
死ぬかもしれないようなうつや疲労を避けることに専念して人生での新しい挑戦や楽しみを減らしたり諦めたりするのはもったいないし、そうする必要もない。

必要なのは知恵、ツールだ。
柔道の受身のように、投げられてもまた立ち上がれる準備をするのが生きるコツだ。
人生ではきれいな一本勝ちを決められることは少なく、皆何百回、何千回と投げらるものだ。
全勝や一度も投げられないということは目指せない。

うつは例えてみれば、人生という競技の中で、初めて激しく投げられ、相手が強大な達人で、しかも地面が固く、打ちどころが悪かったようなものだ。
投げられた人間の落ち度というよりは偶然や運の要素が大きい。
さらには体調が万全ならば大丈夫だったのに疲れが溜まっていたということが重なっていたりする。

そこから回復して向かう目標は、絶対に投げられないようなスーパー選手になることではなく、その人なりの受身を今後のために学ぶことだ。

受身を最初から鍛えておけば良かった、誰か教えてくれれば良かったのに、と思うかもしれない。
残念ながら、実際には先に投げられるという部分にだけ目が行く。
そしていざ技を受けてみてからでないと受身の意味や効果はわからないし実感できないものだ。
するとどうしたって本気で受身をあらかじめには学べない。

受身はつまり、自分の身体の状態を知り、経験的に危険を感じとり、ダメージを弱め、また立ち上がるためのコツだ。
まずは意識しながら、次には無意識にできるようになるのが理想だ。

ストレスや疲労、惨事からくる感情揺れに対処するための「こころの受身」は応用が効く。
うつのリハビリはその「こころの受身」を覚えるチャンスになる。

2011-11-29 10:00

思考・思索・アイデア・想起を外部化することの意義を考える

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タスクは書きだして外部化すると良いとはよく言われる。
その作業によって対象について、客観的に思考できるというような説明がされる。

悩みや漠然としたアイデアも同じで、頭の中に入れているだけでは煮詰まってしまったり、良い変化があっても忘れてしまったりする。

しかし、理論的には頭の中ですべてを処理してしまうことは不可能ではない。
莫大な記憶力、そして内容を整理して、自由自在に出し入れする機能があれば、だが。
また、人間の脳の処理能力に限界があるとして、記憶や整理にそのエネルギーを向けた場合に、新しくインプットしたり、ひらめいたりする機能にどのくらいの影響があるかは定かではない。
一般には、物事を記憶することに神経を使いすぎると他のことができなくなる。

頭の中だけで済ませようとしていると、アイデアであれば煮詰まる、つまり固定化してしまうことがある一方で、変化もする。
しかし、それを観測している人自体が動的に変化し続けているから、見ているものが本当に固定化しているのか、それとも変化しているのかは証明できない。
だから外部化、アウトプットする。
その動機が客観的に考えたいからなのか、脳のリソースを有効に使うためなのか、自分という不安定な視点という呪縛から外れるためなのかは目的であり結果でもある。

また、外部化は自己の影響から離れることで、変化しない(ように見える)という性質を持つとともに、他者から見たり他者から影響や変化を受けることができるようにもなる。
これは複数人で実行するプロジェクトや仕事、アイデア出しのブレインストーミングのようなものだ。

2011-11-28 09:00

自分なりの痛みスケールを持っておくといい理由

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ハーフマラソンを走って脚にダメージがある。
いわゆる怪我や故障もせず完走できた。
ハーフマラソンは今までに走った距離としては一番長い距離だし、なんのかんのと言い訳をしてうまくトレーニングを積んでおくことができなかったので、まずは無事に終えたことが幸いだ。
しかし、最初に書いたように疲労、という以上に筋肉を中心とした損傷がある。
これはいたし方ない。

過去に大きな怪我をしたことはないのだけれど、軽い肉離れのような状態や久しぶりの運動の後の筋肉痛、あるいは打撲といったトラブルはたまにあった。
そんなときに、自分の身体が感じているダメージをなるべく定量的に記録しておきたいと思っている。

健康であることは幸せなことだが、普段それを実感することは少ない。
体に異常がないことを感じ、健康であることに感謝するのは、体調を崩してからはじめてそうするということが多い。
人それぞれだが、数ヶ月とか数年に一度という体調トラブルだと、前回の程度や印象、経過などを覚えていることができない。
対応や対処を再現したり、改善したり、次の経過を予測するなどして、経験を活かすことができずもったいない。

まだまだ数回使っての経験蓄積しかないのだが、痛みの程度については自分なりの「痛みスケール」、つまり痛みの基準を使っていこうと思ってきた。
今のところは以下のようなものだ。
数字としては0から5まで。段階としては7つ。

OGA式痛みスケール

  1. 【0】 平常。痛み、苦しさなし
  2. 【0+】 違和感のみ
  3. 【1】 動かすと痛い。じっとしていれば痛みなし
  4. 【2】 動かさなくても痛みを感じる。
  5. 【3】 痛い箇所をいつものようには動かせない。機能障害弱。(例)脚を引きずる
  6. 【4】 痛い箇所を動かせない。機能障害強
  7. 【5】 医療(診察、治療、薬など)が必要なレベル

ちょっと細かすぎるかもしれないが。

このスケールと痛む箇所を記録しておく。
これによって痛みの定量的な記録ができるようになる。
短期的な変化を見ることもできるし、以前の体調不良と比べたり、今後の経過を予測したりする材料にもなる。
今回は運動後の主に筋肉や関節の痛みについて使っているが、多少アレンジしてお腹が痛いときや、歯が痛いといったときにも使える。

この考え方とツールは身体的なことだけではなく、気持ちの面の定量化と記録にも応用できる。
むしろ、そちらの方がずっと以前から試されているだろう。
身体的な痛みの定量化、客観化、記録、他者との共有は、がんなどに関連する痛みの医療や看護分野では以前から行われているが、一般の人間が身近に用いることはほとんどない。
しかし、精神的な状態などについては、ストレスに関するものであったり、本人そのものが主体になる必要がある認知行動療法などにおいて、すでに同じような定量化は広く使われている。

スケールを作って、身体的なものに使うにせよ、精神的なものについてにせよ、言えることは3つある。

  1. 個人で使うなら使いやすくアレンジし、共有目的なら統一する。目的に応じてバランスをとる。レベルの区分数など
  2. スケールの粒度も目的に応じて決める。対象にする範囲を全身・全体にするか、部位やテーマを絞るかなど
  3. 1回1回の痛みや苦しさなどを数値化するだけではなく、記録し、見返し、比較してはじめて、データの客観化ができる

こうした痛みスケールのようなツールを用意すること、使うことで、人間は根本的には予想できない未来への不安や危機に立ち向かえる可能性を得る。

2011-11-27 08:00

(関連エントリ)

SOCと無力感 | deathhacks

世の中はデジタルでできている | deathhacks

ディブリーフィングがうまくいかないわけ

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ディブリーフィングの効果が否定的だというのならば、なぜうまくいかなないのかを検証するべきではないか。
実際に成果を上げているのを見てきている。
効果測定の定量化や、条件の均質化などにチャレンジしないで、「エビデンスがない」「過去の研究で否定されている」というだけで有効な可能性のあるツールを捨てるのは非倫理的ではないか。

2011-11-26 16:00

組織がうつリハビリ者に「完全に治ってからの復帰」を求めるのは行政の指導上も誤り

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うつのリハビリについて先日、質問、というか情報があった。
最近の企業等組織ではうつによる休暇や病休、休職の後の復帰・復職、つまりリハビリには、本人が休む前と同じように勤務できることを条件としているという。
しかもそれは厚生労働行政、あるいは労働安全衛生の権威からの指導を受けてのものだと。
結果として、カウンセラーなどが復帰やリハビリをサポートしようとしても、環境を調整することが難しいという意見があった。

うつで医療的に診断を受け業務を休んでから、復帰するのにはまず担当医の診断、つまり許可が出ることになる。
通常、その時点で本人はまだいわゆる「以前の」パフォーマンスを出せる状態ではない。
そこで、社会、職場という環境での慣らしやリハビリをしていくことになるのだが、上記のように企業等組織から「完全に治ってから」戻るようにという対応をされると事実上、当事者の行き場がなく、宙ぶらりんになる。
休むことに専念してきて、次の段階としては、徐々に日常の負荷の中に戻っていかなくてはいけないが、その場を自身や家庭、プライベートで用意することは難しい。

そのような現場が今どき実際にあり、それが行政などの指導を元にしているとはちょっと信じられなかったので調べてみた。

現時点の結論としては、たまたまその企業組織のリハビリに関しての考えや計画の解釈が誤っているのだと推測する。

今後も情報を取っていくが、このエントリでは最初に得た情報が生まれた経緯の推測だけ書いておく。

■厚生労働省「心の健康問題により休業した労働者の職場復帰支援の手引き」(平成21年改訂)を読む

厚生労働省は「心の健康問題により休業した労働者の職場復帰支援の手引き」というものを平成16年に出し、平成21年3月に改訂している。

厚生労働省:「心の健康問題により休業した労働者の職場復帰支援の手引き」の改訂について

www.mhlw.go.jp/bunya/roudoukijun/anzeneisei28/dl/01.pdf
(別添PDFへのリンク)

比較はしていないが、うつというものへの理解が進んだことと社会などからの要望として、リハビリ・復帰に関してより細かに記述されるようになっているのではないかと思う。

その内容のうち「6−(2)職場復帰可否の判断基準」の部分の解釈の違いが「以前と同じように働けるようになってから復帰してくれ」という判断や指示につながっているのかもしれない。
その部分を引用する。

 職場復帰可否について定型的な判断基準を示すことは困難であり、個々のケースに応じて総合的な判断を行わなければならない。労働者の業務遂行能力が職場復帰時には未だ病前のレベルまでは完全に改善していないことも考慮した上で、職場の受け入れ制度や態勢と組み合わせながら判断する。
 職場復帰判断基準の例として、労働者が職場復帰に対して十分な意欲を示し、通勤時間帯に一人で安全に通勤ができること、会社が設定している勤務日に勤務時間の就労が継続して可能であること、業務に必要な作業(読書、コンピュータ作業、軽度の運動等)をこなすことができること、作業等による疲労が翌日までに十分回復していること等の他、適切な睡眠覚醒リズムが整っていること、昼間の眠気がないこと、業務遂行に必要な注意力・集中力が回復していること等が挙げられよう。

– 「心の健康問題により休業した労働者の職場復帰支援の手引き 」(平成21年3月改訂より)

1文めはしごく妥当なことが書いてある。
リハビリの判断基準に画一的なものはない、といううつやメンタルヘルスに携わる人間から見れば当たり前のこと、そして企業等の人事や労務担当も現場として理解し動くときの前提である。

しかし2文めをそれ単独で読んでしまうと、あたかも羅列した項目の内容が必須の条件のように見えてしまう危険がある。
「例として」と断ってはいるが、一つ一つはまさに「健康な時と同じレベルのパフォーマンス」が記されている。
これを復帰の条件としたならば、その「健康な時と同じレベルのパフォーマンス」を復帰の1日目から要求されることになる。
事実上、社会の中でのリハビリが不可能になる。
かと言って、現実にリハビリのための施設や仕組み、補償を社会や行政が用意しているということもない。
先に書いたように、それを個人が準備することもとても難しい。

2文めの意味として、「例」なのだし、「個々のケースに応じて総合的な判断」することを推奨しているのだから、「会社が設定している勤務日に勤務時間の就労が継続して可能であること」であれば、「会社と連絡をとり合って1日1〜2時間の勤務から開始する」でも良いだろう。
また、「昼間の眠気がないこと」というのは「眠気が直接業務に強くは影響しないような勤務環境を整える」ことで許容できるかもしれない。

文章を文脈に沿ってきちんと読み、解釈すればそういうことになる。
なにしろ先に書いてある内容のほうが主たるものであるのが文章のルールだ。
続く文は書いてあるとおり、例または例外についての記述と理解するのが適切だろう。

■まとめ

政府行政はうつ等のリハビリについて、企業等が当事者に「治ってから復帰するように」という対応や調整をすることを指導してはいない。

■付記

今後も関連情報に関心を持って集めていく。

2011-11-25 12:00

(関連URL 追記 2011-11-27 04:00)

安全衛生情報センター : 改訂版「心の健康問題により休業した労働者の職場復帰支援の手引き」の送付について

Return 改訂・心の健康問題により休業した労働者の職場復帰支援の手引き : 手引・冊子・パンフレット|事業者、上司・同僚の方へ|こころの耳:働く人のメンタルヘルス・ポータルサイト(自殺対策を含む)(PDF)

教育を時間のみで比較しない

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カウンセラーやストレスマネジメント要員を育成するための教育プログラムはどのように作れば良いか。
期間で言えば、数時間の講義で済ませるものから、実習実技をふんだんに取り入れたもの、数ヶ月から1年、あるいは数年がかりのコースなど様々だ。

現在の傾向としては、行政や企業などが人材を育成して成果や実績をはっきりと求めるケースが増えていることだ。
昨今の社会的な自殺対策、健康問題への焦点、そして東日本大震災などから生じている緊張や不安への対応を組織として認識し、あるいは求められていることを受けてのことだろう。

これが、学問としての要求ならば、それほど期間を限定することや育成のスピードは求められはしない。

プロは間違う、学者は正しい | deathhacks

こうした背景の上で、カウンセラーなどの育成プログラムを色々な分野同士、様々な情報や集まりなどで比較しようとするとどうしても時間的な要素にまず注目されがちだ。
「半日でだいたいの知識を身に付けさせてください」とか「1週間まるまる教育対象の人たちを拘束するのは難しいので3日間でなんとかなりませんか」とか「1年も部外の研修コースに行かせて成果があまりなかったらどうしようかな」とかいう悩みを組織の担当者・責任者は抱える。
時間はそのまま金銭・予算、つまり人件費に直結しているシビアな要素だからだ。

しかし、時間という要素はこうした教育プログラムの中で、それのみで議論や吟味できるものではない。
当たり前だが、その内容と相関する。
要は、教育プログラムの時間的長短ではなく、その効率に注目するべきだ。
効率的な教育や人材育成をしている組織の特徴はその時間資源・人件費の豊富さではなく、取捨選択の的確さだ。

人を育てるためには時間が必要だが、時間がいくらあっても人が育つとは限らない。
教育では時間が限られているのだから、出来る限り内容を絞るべきだ。
当たり前のことを言っているようだが、カウンセリングやメンタルヘルスの現場を知らないと、このことを意識できない。
あれもこれもと内容を詰め込んで欲張ろうとする。

これは現場での運用にも当てはまる。
少数の人材に業務や期待を割り振り過ぎてその能力と成果を見誤る。

限られた時間で、どのような対象人物に、どれくらいの人数に、どんな知識と技術を伝え、どういう風に現場で運用するかという一連の戦略が必要だ。
それなくして、時間の長短や、個人ごとの元々持っている性質という細部ばかりを見ていては成果の総量は上がらない。

2011-11-24 09:00

まず、やりすぎてから修正するのが良い

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過ぎたるは及ばざるごとがごとし、なんて嘘だ。

カウンセリングのリアクションやメッセージ、アドバイスなどは無難な線に落ち着きがちだ。
誰しも失敗が怖いから。

責任の大きさはあまり関係ない。
人は、小さな失敗をしないために、大きな成功の可能性を避ける。

こう言っている自分自体、現場で他人を見ていると、やり過ぎを批判的に評価してしまうことが多い。
この傾向、マインドセットを理性や思い込み、自己暗示の力で変え、常に意識しなくてはいけない。

2011-11-22 08:00

いわゆる新型うつについての関心3つ

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■1 旧来うつの診断基準や治療プロトコルに無理に建て増しをしたようなものではないか

「人間」を定義(診断)するのに、当初男性だけを観察し続けてきたところに、新たに女性というものを発見して、それを「新型」の男性だと呼んでいる、みたいな。

■2 欧米に新型うつはあるのか

医療の科学的な面を無視しないのであれば、日本固有の文化や社会で生じているという定義や、まったく定量化できないような診断はナンセンス。

■3 医療またはメンタルヘルス・カウンセリング従事者がクライアントに陰性感情を持たないような工夫が必要

絶対ではないが、例えば糖尿病の患者すべてに対して、医療従事者などが疾患の原因を「クライアントの自己責任」ととらえたとしたらば、医療や治療はうまくいかないのではないか。

2011-11-21 16:00