目を見て話さなくてもいいんじゃないか

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人の眼を見て話しなさい(話した方がいい)という指導(指摘)は単に、相手が嫌いだとか嫌な感じがしたという主観や印象をあたかも客観的・普遍的な感じがするような言い換えをしただけのものである

Twitter / neti2: 人の眼を見て話しなさい(話した方がいい)という指導( …

相手の目を「キチンと」見て話しなさいとか、そうしないと失礼だというのは、好みに過ぎない。
目を合わせられて緊張したり、不快に思う人もいる。
定説は、ない。
このような言説は、ごく狭い範囲の経験知だ。

結局はどのようなメッセージが出るか、相手が受けるか、結果としてどんな空気になるか、というだけ。

私は相手の目や顔を真正面から見て、視線をあまり逸らさずに話すのは苦手かもしれない。
かもしれない、というのは最近あまり他人に確認していないのと、気にしていないからだ。
話しながら、結構な頻度で下を向いていたり、天を仰いでいたり、虚空を見つめていたり、目をつむっていたりする。

相手と目を合わせて会話しなさい、という話をされると、小学校の時の教室や、昔の職場での面接の空気や緊張を私は思い出してしまう。
あまりリラックスした感覚ではない。
ただ、これももちろん私の経験上の印象でしかない。

2011-01-31 06:00

メンタルヘルス分野で成長するには日々素振るしかない

太陽の塔

同じ教育を受けて、同じようなOJTの機会を与えられ、同じくらいの時間を使っても、目覚しく成長する人もいれば、まったく変わらないor一般素人と同じレベルの認識や能力のままという人もいます。
センスのありなしの違いだと言ってしまえば簡単でしょう。

しかし、成長する人、同じような機会とエネルギー効率でも目覚しく学べる人は、考えの深さやサイクルが違います。
同じ状況でもシミュレーションをしまくります。
シャドーボクシング(のような思考トレーニング)も常にしています。
(武者遊行のように)議論も繰り返します。

それによって経験知の増加が、まったく平常の「素振り」トレーニングをしない人に比べて、効率が10倍から100倍というくらい異なる感じがします。
野球やテニス、剣道というスポーツをイメージしてみても、毎日1回(または週1回)しか素振りをしないのと、100回、1000回素振りをする人が同じ力を持つはずはないでしょう。

人格や性格、人間性や人生経験の違いという個人の心がけや努力では差が付かない部分ではなく、単純な日々の素振りの回数(質を論ずる前に)のケタ違いがその人のメンタルヘルス分野における実力の違いであると思っています。

2011-01-30 15:00

アイデアや思想の独自性は儚い

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Twitter / neti2: クックパッド終了のお知らせ記事やTweet、反応は多いけど、前に読んだ話ではクックパッド社はかなりギークが主導でサーバ反応速度とかをかなり突きつめて設計してると聞いた。今だと楽天とかが物量金銭に物言わせれば凌駕されちゃうものなんだろうか。Googleみたく全部自前の強みはない?

Twitter / 佐々木俊尚: 楽天クックパッド問題、私はこの記事に同じ感覚。しかし …

結局クックパッドは楽天レシピに抜かれる弱肉強食WEB – invizi
→ 結局クックパッドは楽天レシピに抜かれる弱肉強食web – Google 検索(2011-11-18追記)

「年内にクックパッド抜く」–楽天レシピ、ポイント連動で攻勢 – CNET Japan

元々アイデアに著作権を認めるかというのはビミョーな問題だ。
(キチンと日本で認められてたっけ?)
結局、社会やそのときの法・司法の運用で個別に判断するしかないのかも。
(そのあたりは映画「ソーシャル・ネットワーク」のテーマの一つがドンピシャ)

アイデア自体は大きく考えれば、社会や人類で共有するべきものかもしれない。
かと言って、その意義や権利をあまりに軽んじれば発明や発見のインセンティブは激減する。

ただクックパッド-楽天レシピ問題で言えば、確かクックパッドは「レシピを集積したインフラを通して社会に貢献する」という思想があったように思う。
(雑誌記事か何かで読んだ)
そうであるならば、レシピを広げる媒体や組織が世の中にいくつ存在しようが、真似をしようが、民衆・顧客にレシピや幸せが広がるのならばそれが本望ということになる。
その過程や結果でクックパッドが競争主義によって敗れたとしてもそれは必ずしも残念なことではない。

カウンセリングやメンタルヘルスに関する組織やベンチャーはどんどん増えてきている。
それらの設立や活動の元々の目的が純粋に営利追求だとしたらば、同業者(社)との競争に打ち勝つ必要がある。
しかし、一般の人たちが持つストレスやメンタルヘルスの知識やノウハウ、カウンセリングやサポートケアの普及や質向上をゴールに設定するならば、結局誰がそれを担ってもいいはずだ。

もしくは、仮に、世界の誰一人、ストレス過多でメンタルヘルス不全にならず、うつにならず、自殺もしなくなったのだったら、どんなに人数や商業的規模が大きかったとしても、サービスを供給していた組織や個人は不要になる。
病気や怪我、老衰などが一切なくなくなったら医療や医学が不要になる(かもしれない)ようなものだ。
(実際おそらくそんなことはありえないが)

カウンセリングやメンタルヘルスを供給している人間として、自身ができること以外に、本当にクライアントのためになるような状況があれば迷わずそれを選択しなくてはいけない。
例えそれが、あなた自身の存在価値や食い扶持を奪い去ったとしても。
相手が、社会保障であれ、医療であれ、宗教であれ、偶然の采配であれ。

ただし、一方で他のどんなビジネスとも同じく、自身がやっていることの意義や強み、オンリーワンなものを常に考え生きていかなくては生き抜けない。

2011-01-29 08:00

(2011-11-18 15:00 追記)
10ヶ月経って、楽天レシピとクックパッドの関係はそれほど予想通り単純に変化してきているわけではないようだ。

楽天レシピはなぜクックパッドに勝てないのか?(The reason Rakuten-recipe can’t beat Cookpad)

変わらない理由は探せばいくらでも見つかる

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安定している(ように見える)状態から動こうとすると、如何にその「慣性力」つまり「静止」していようとする力が大きいかわかる。

自分が変わらない方が良いという理由は探せばいくらでも見つかる。

@neti2

小片武


人間は大義名分があるとすぐに動ける、選べる。選ぶことが苦手。苦しい。責任を感じるから。結果に不安を感じるから。頭が良すぎるのだ。知能知識が向上したからといって単純に幸せ、有意義というわけではない。想像してしまう。予測してしまう。

@neti2

小片武

人間には変化を嫌う気持ちと、好奇心という新しいものを望むという、相反した性質を誰もが持っている。

組織が雇用して固定給を払うということの意味は、労働力に期待するという面は半分くらいしかなくて。
残りの半分は精神や魂を縛り付けるためのもの。
魂とかまで言うと「スピリチュアル」だけれども、心理的な拘束だったり、思考停止をもたらすために経験と研究の両方によって現代の資本主義社会が得てきたシステムだ。

ただ、個人が安定した雇用や生活を知ってか知らずでか望んでいること、変化に対する不安に、組織や企業が一方的につけこんで利用している訳でもない。
組織も「法人」という法的立場がありうるように、人間と同じく「不安」を抱える(抱えている)のだ。
そのために割増な金額を支払ってでも安定した「不安」の少ない「雇用」という(契約としてはまた千差万別だけれど)仕組みをつくり社会の中で活用しているに過ぎない。

これ以降は経済学だな。

2011-01-28 07:00

ストレスマネジメントと料理の包丁と

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ストレスマネジメントの教育にきた中に「リスクマネジメントの教育だと思ってました。ちょっと考えていたのと違ったなー」という人がいました。
確かにストレスマネジメントとリスクマネジメントはまったく同じとは言えません。
ただし、完全に、重なるところがない、とも言えないと思えます。

ストレスマネジメントは人の心理や社会のかなり根源的、基礎的な層のスキルや知識だと考えています。
料理で言えば、包丁の使い方を学ぶようなものです。
包丁の基本的な技術、使い方、メンテナンス法などはとても汎用性が高いものです。

洋食でも和食でも、家庭料理でもプロの厨房でも、包丁に関する技術や知識が、およそ役に立たない場面はないでしょう。
さらに、仮に食べる側だとしても、包丁というものを知っておくことは全然約に立たないことではないかもしれません。

同じようにストレスを知り、心理を知り、自分を知り、他人や社会を知るために、ストレスマネジメントを学ぶことは、おそらくリスクマネジメントのみならず多くの分野や活動の核心部分に重要な示唆や好影響を与えうる技術・知識だと思います。

2011-01-27 07:00

(関連エントリ)

どんなカウンセリングでも「表情」「うなずき」「要約」は算数での九九のようなもの | deathhacks

良いとわかっていてもできないことは多々ある

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過去エントリの カウンセリングの訓練では振り返りの後すぐに実践すれば効果が倍増する | deathhacks について、Tからレスポンスをもらいました。

《TとN(neti2)のメールやり取りから抜粋》

T「指摘を受けてすぐやり直さないのは、時間の制約以外にも『大人の気恥ずかしさ』もあるのかも」
N「フィードバックを受けると意識していなくとも、ある程度は傷つくし、『疲労する』から、あえてさらにそれを繰り返したくはなかろう」
T「『再挑戦』がありますよ、という『レディネス』を準備すればいいかも。あと、2回目以降にあまり変わらない、改善しなかったら再指摘は気まずいな」
N「あるある。『切って』もダメなら『切り捨てる』しかないか。(配慮しつつ^^;)」

また少し考えが、広がり、深まったかも。
こういった効果を交流や勉強会、議論やコミュニケーション、Webやネットワークに求めています。
そして、徐々に得られている、かな。

2011-01-26 07:00

(関連エントリ)

一緒に旅をできない人たち | deathhacks

プレイングマネジャーになりたい その2

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プレイングマネジャーというとイメージはプロ野球の古田敦也元選手兼監督。
選手(プレイヤー)としても監督(マネジャー)としても秀でた能力を持っていた。

ただそのイメージを自分に当てはめるのか、当てはまるのか、と考えるとそうではない。
そこまでの自信はまったくない。

どちらかというとプレイヤーとして自信がないから。
早めにマネジャーとして働いたり、考えたりして自分の強みを見つけたい、という感じ。

かといって、マネジャーに今から専念する(どうしても裏方色が強いポジションだと思っているわけだが)ほど、ギラギラした感覚がもうすでにないのでもない。
現場はやはり魅力的だから。
裏方、マネジャーとして動いたり、自分は引いて他のプレイヤーをサポートしたり、しかし必要なときにはプレイヤーもやったりと便利になりたい。

そう考えると、これはプレイングマネジャーというよりはユーティリティプレイヤーというものだ。
広く、浅くなく(高いレベルで)、分野をカバーする。
それが最終的な自分のポジションになるのか、後から見て成長・変化の過程・変遷だったのかは、歴史「的」な判断に任せるしかない。

2011-01-25 07:00

(関連エントリ)

プレイングマネジャーになりたい その1 | deathhacks

(関連リンク)

選手兼任監督 – Wikipedia
古田敦也 – Wikipedia
ユーティリティープレイヤー – Wikipedia
木村拓也 – Wikipedia

ブログを書く私

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下園壮太氏は著書『「遺されたつらさ」の受け入れ方』(講談社+α文庫、2010年)の「おわりに」でこう書いています。

p.243-244

 実は本を書く私は、これと同じような問題に直面しているのです。
 (中略)
 ところが、本という手段をとると、多くの人に“苦しみからの脱出のヒント”を差し上げること《が》できますが、逆に必要のない情報を与えることもあります。(中略)
 私の書いた内容が十分なアドバイスにならない場合や、むしろ逆に、読者を苦しめてしまうことさえあるかもしれません。
 しかし、それでも私は本を書く必要があると感じています。

(引用中《》内は筆者加筆)

「遺されたつらさ」の受け入れ方 (講談社プラスアルファ文庫)
下園 壮太
講談社
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私にはまだ下園氏ほど広範かつ公共への影響力ありません。
しかし、その言わんとすることのいくらかは自分の身、生活、スケールなりに感じます。

ヒトは社会や環境に影響を与えずには生きることができません。
もちろん逆に外部から良い影響も悪い影響も受けます。
良いメッセージも悪いメッセージも(良い悪いの絶対的基準は結局存在しないと思いますが)出し、受け、また次の瞬間に移ろっていきます。

人それぞれ、生活する中で、呼吸をし、動き、ものを飲み食いし、しゃべり、笑い、怒り、泣くなかで必ず他者に影響(迷惑)をかけているのが生きているということです。
ある人が「私のしていることは、有意義で、正しい。それに誰にも迷惑をかけてはいない」という言動が真であるか否かはとてもビミョーで難しく考えること、疑うこともできます。

ましてや、本を書いたり、ブログを書いたり、カウンセリングをしたり、惨事にあった人や組織を支援したり(支援していると信じる!)、教育をしたり、勉強会をしたり、議論をしたりを「真剣に」すればするほど、その影響は大きくなり、絶対量としての負の面や、不安も大きくなります。

しかし、謙虚に、真摯に、自分や他人と議論しながら、(自分本位だけれども)より良く生きていく、ちょっぴりいいことを書いていくつもりでいます。

2011-01-24 07:00

自分の呼吸を数える – リラクゼーションその1

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概要

自分の呼吸を数えることによって、からだとこころの緊張をゆるめる

利用条件・制限など

特になし。
まれに自律神経を介した不調をきたすことはありうるが、すぐに中止すればよい。

教え方

  • 座るか、場合によっては横になって。座っている場合、椅子に浅く腰掛けたり足を投げ出したりした姿勢は一見楽に思えるが、実際は不安定でやや疲れると思われる。状況・相手によって説明や補足指示する
  • 服装、ベルト、時計、アクセサリなどは緩める方がいいだろう
  • 目はつぶる。当然だが力を込めてつぶるのはリラックスとは反対になってしまう。半開きやアイマスクの利用など自由で良い
  • 「吸って」「吐いて」1回とするのが分かりやすいようだ。ただし、これも絶対的なルールではない
  • 意識としては「数かぞえに合わせて息をする」のではなく「自分の自然な呼吸を数える」
  • まず始めは10回、30秒間くらいでやってみる。違和感や嫌な感じ、その時点ではあまりやりたくない、などの意思は一対一でも一対多の状況でも尊重したほうがよいと思う。始めはとにかく「体験」
  • まず試してみて問題がないようであれば3分程度、100回程度などもう少し長めにやってみる
  • 適宜、質問や意見、感想などは受け付けたほうが良いだろう。これも状況・時間・人数により臨機応変に
  • 眠ってしまったり、まれに過度にリラックスして心拍数が少なくなるなどの効果も出る。このため終わって区切りとして、背伸びや声を出させる、首を回す、グーパーをする、身体や足に力を入れて緩めるなどの「解除動作」をしてもらったり、ゆっくりと次の行動に移ってもらうなどの注意をはらう
  • 眠ってしまった、悩みがあって気が散った、などの「うまくできなかった」という不全感につながる感想についても否定する必要はない。短時間でコスト(お金や道具など)を使わずに、いつでも、一人でも実行できる「ツール」を見つける、くらいの感覚で用いるものと個人的には理解している
  • ピンチや本当に困ったときに、いきなり初めて呼吸に意識を向けてもなかなか期待するような効果を得ることは難しい。楽なときに練習する、「プチ」緊張の時に試してみる、寝る前にやってみる、など慣れて自分に合うやり方を工夫しておくと良い
  • (注)いわゆる仏教などの「数息観」や武道・軍隊の「呼吸法」に通じる部分はもちろんあるが、このエントリでの呼吸法はあくまで簡単お手軽な始め方、試し方を意識して割り切っている

背景・考察

ヒトは緊張したり、感情・心の不調・不安定な状態ではいろいろな変化・変調が身体に表れる。
心臓がドキドキする、汗をかく、喉が渇く、頭がボーッとする、めまいや頭痛がする、肩がこる、呼吸が荒く・大きく・速くなる、お腹が痛くなる、手足が冷たくなる、吐き気がする、など。

「落ち着こう」としても「リラックスしなよ!」と言われても、それを実行するには訓練やコツが必要。

「呼吸」は緊張や不安がからだに出る部分のうちでも、「意思」でコントロールしやすい機能・運動の一つである。
頭で考えても、汗を止めたり、心臓の鼓動をゆっくりにしたりすることは難しい。

呼吸をコントロールすることにより、自律神経にフィードバックされるような効果を期待する。
また、呼吸という自身の身体・感覚に注目することによって、悩みや怖さの対象となるモノや人、漠然とした不安などの感情から少しの時間でも意識を逸らす、ということも効果の一つと言って良い。

2011-01-23 09:00

ブラインドウォーク – エンカウンターその2

ブラインドウォーク_20110122

概要

二人組をつくり、片方の人が目をつぶって、もう一方の人が誘導・補助してスペース内の指示したコースを歩いてもらう

適当な時間

30分くらい

必要なスペース

ぐるりと周囲を回れるようなオープンスペース。適度に障害物があっても良い

メモ

    <以下、誘導者を「Y」、目をつぶる人を「B」とする>
    (注)安全管理等に十分配慮する。他のエンカウンターツールなども同じことですが「やりたくない」「今回は見るだけにしたい」という人には可能なかぎりは自由を許す。また例えばこのエントリの「ブラインドウォーク」では互いにからだが近づいたり触ったりするので性別等も含めた組分けにも配慮が必要かもしれない

  • まずYがBの正面に立って、Bの両手を取り、後ずさる形でコースを1周してもらう。しゃべってもらって構わない
  • 全員全組が周り終わったら振り返りをする。Bの不安や怖さ、こうしてもらいたかった、など。Yの印象や難しく感じたこと、工夫したこと、など。この振り返りは緊張を和らげたり、自分自身に目を向けてもらったり、人間の感情・感覚などについて考えてもらう重要な段階である

  • 次に役割をYとBの役割を交代して、もう一度同じようにコースを歩いてもらう。2回目は誘導のし方を自由にしてもらう。YがBの横や後ろを歩く、手や身体への触れ方を変えてみる、など

アレンジ案など

  • 安全に配慮した上で、途中で(B役の全員が始まりの合図で目をつぶってから)コースを少し変えたり、柔らかいタオルなどをたらすなどして、Yに臨機応変な対処が必要になるようなイベントを入れても良い
  • B役が全員目をつぶってから歩き始めるまでには順番があってタイムラグが生じるから誘導を始めるYからの合図や声かけのやり方、待っている間に何を考え何をしたかなどの感想・工夫も振り返りの材料になる
  • 参加したある回の教育・エンカウンターグループでは、指導者が「あんまりにもYがBのことばかりを見たり心配し過ぎているとBが歩いていく先や周囲が見られなくなる。これは個別カウンセリングでカウンセラーがクライアントとの関係で視野が狭くなってしまう状態に似ているかも」というようなコメントをしていてなるほどと思う

その他

エンカウンター的なツールについては色々勉強したい。
単に雰囲気を良くしたり、お互いの交流を促すというレクリエーションやゲーム的な時間、組分けのための方法としても有意義ではあるが、そこにカウンセリングやメンタルヘルス、人間の感情や思考の性質などについて自然と考えさせたり、発見したりするような流れになるとなお良いと思う。
ただし必ずしも思ったとおりになる、参加者が感じるというものでもないし、時間管理には気を使わなくてはいけない。

R0012656

2011-01-22 08:00