欲しがったものが手に入ったのか、手に入ったもので満足したのか

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普段の勉強や研究以外に、ちょっと腰を据えてしっかりと教育分析(のようなもの)を受けたいと思い、実際にメンタルヘルスの上級者・師匠・メンター mentor にお願いをしてOKをもらっていました。
しかし、カッチリと枠をつくってそういう内省作業をしたいと計画してみると、なんとなく必要感が下がってしまったり、別の人間関係の中で同じような効果が得られたりと、満足が増えて焦りのような感覚は減ってしまっています。

これはおそらく、ゼロではありませんが、自分の内面と向き合うことが少し怖いような心理や防衛機制的なものとは違うように思っています。
頭で考えている、自分が表に引っ張り出したいテーマは割合にはっきりしていますし、早めに余裕がある時に一度はまな板に載せておいて確認しておきたいということも確かです。

今自分が状態良く満足しているという感覚のほうが先なのかもしれません。
メタに視ても、望んでいた状態や状況にうまくなったものなのか、それとも現状に満足して、あるもので足ると認識して充足しているのかは、自分自身ではなかなかわかりません。
ただ、その状態が不可解だからといって他人に「私って今幸せなのかね?」と尋ねるようなナンセンスと思えることをするわけにもいきません。

2010-10-31 08:00

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メンタルヘルスでもダメージコントロールという考え方をする

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カウンセリングやショックな出来事からの回復では、劇的な成果は到底望めないことも多くあります。
そんなとき、カウンセラー・サポーターとしては、クライアントにとってその時点での被害を最小限にすることを考えます。
これはダメージコントロールという考え方です。

ダメージコントロールとは、元は戦闘などで損害を受けた艦船において、戦闘を継続しながら部分部分の破損などを一つ一つ完璧に修理しようとしても不可能であるし沈没してしまう確率が高くなるので、応急処置を突貫で可能な限りして「消極的にでも戦闘をできるだけ続ける」「沈没しないで戦闘海域になんとか留まるだけ」「沈没までの時間を稼いで乗組員を離脱させる」などの目標をはっきりさせて、最小限の手当をすることです。
非完璧主義な戦略と言えます。

また医療外科においても、特には救急外傷などの治療において、一度に完璧な修復をしようとしないで、まずは出血を完全に止まらないまでもコントロールするのみの手術をして集中治療室へ、全身状態が安定したら2回目以降の手術をしてまた全身状態を安定化させて、というように短時間・局所的な視点で治療の「やり過ぎ」「深追い」をしないというやり方が工夫されてきました。

カウンセリングでも、深い悩みや疲労を、医療や周囲の配慮を引き出して一気に完璧に、あわよくば以前よりも素晴らしい状態になってやろうというような目論見を無意識にしてしまうクライアント、そしてしてやろうとするカウンセラーがいます。
それが却って回復や改善の妨げになることは多いものです。
うつなどに至る過程で受けた傷や他罰的な視点が「自分は悪くないのだから、幸せに回復する権利がある、そのためには多少自分にも周りにも無茶をするべきだ」という考え方かもしれません。

自殺のようなショックな出来事が起きた集団においても「二度と自殺が起きてほしくない」という思いが強くなりすぎて「自殺が起きるべきではない」「続いたら自分たちの負けである」という過剰な思い込みが生じます。
もとから、一度失われてしまった生命は戻りませんし、身体の傷と一緒で気持ちや思考・心にも残ってしまう、致し方ない傷跡というものはあります。
それを否定してしまうことによる弊害が存在するのです。

勇気ある撤退、は言葉で言うほど現場では簡単ではありませんが、局所的・短時間でみて許せないような戦略でも、全体的・長期的にみて妥当なやり方を探す視点が多くの場面では必要です。
そして、その戦術・戦闘にあたるのは当事者ですが、視点やサポートとして供給するのはカウンセラーやメンタルヘルスの専門家という戦略家の仕事になります。

2010-10-30 08:00

ライフハックは文脈(ストーリー)とともに存在する

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ライフハックはストーリーとともにしか存在しない。

Lifehack – Wikipedia

「スタバが好きなんですよ」と「お気に入りで仕事がはかどるカフェを持つ」では内容はそれほど違わないが視点が違う。
他人が聞いて、前者はその個人への興味が主体になり、後者は受け手に役立つ情報と取れる。
前者は自己表現、自己紹介、ひとりごとだが、後者はライフハック、コツ、Tipsかもしれない。

同じことでも違う感情がわく。
同じ情報でも役に立つ人と役に立たない人がいる。
それこそがライフであり、ストーリーである。
必ず幸せになる方法がないように、必ず役に立つハック、皆が等しく価値を認めるストーリーはない。

1億円あげると言われても別に欲しくないと答える人がいる。
大金持ちと仙人と今まさに死にそうな人だ。
この話を敷衍すれば一人ひとりの価値観が当然ながら異なる、この世界では万人に役立つハックはない。

情報の集め方、タスクの管理方法、ノートやメモの取り方などは現代の日本では、ある程度以上の金銭や生活を持っていないと議論したり、工夫したりする余地・余裕はないのではないか。
争いや貧困が激しい地域や時代には、生存することそのものが手段であり、目的であり、すべてだ。
そこにもストーリーはあり、ライフがあり、ハックは存在する。

2010-10-29 06:00

(関連エントリ)

カウンセリング、介入、広報それぞれにおけるバランス | deathhacks

自分のミッションステートメントを考えてみた

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が、すでに達成してしまっている部分もある。
(それはそれで構わないはずだ)

感謝して、自分が感謝される人を増やす
尊敬して、自分が尊敬されるような関係を増やす
すでにある、そのような関係を深め、さらに強める

2010-10-28 08:00

カウンセリングは「何を言うか」でなく「誰が言うか」

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私たちは心理カウンセリングで、発する言葉そのものよりも、そこに込められた「メッセージ」を重視しています。
それはカウンセラーが発するものもそうですし、クライアントが言う言葉についてもそうです。
人間はしばしば言っている言葉とは別の気持ちや考えを持っています。
それは「誰が」「どんな状況で」「どんな風に」言うかなどに表れるのです。

カウンセリングではメッセージをコントロールします。
例えば、ある時タクシーに乗っていたときにラジオから「彼氏からの誕生日プレゼントが商品券だったのですごくがっかりした」という投稿が読み上げられていました。
私は隣にいた連れに聞こえるように「ぜいたく言ってるなー。もらえるだけありがたい事だろう」と言いました。
それに対して連れは「えー、それはカウンセラーだったら言えないでしょー?」と反応しました。

確かにそうです。
おそらく私も目の前に人(クライアント)がいて、彼氏についてのグチを聞いたら「ぜいたくだ」とは言いません。
「ちょっとひどいよねぇ」「心が感じられないよね」「デリカシーがない」などと言うでしょう。
これは目の前にまさに今いる人へのメッセージコントロールを配慮するとそうなるだろう、というだけのことです。
ある話やイベントに対して、直接に聞いている人間として反応するのと、少しでも離れて当事者でなく相手に影響を受けないし与えない距離感で評するのとでは内容や言葉が違うのは私としては当たり前のことだと思えます。

これは一般的には、裏表があるとか、ダブルスタンダードとか言われる言動でしょう。
ただ、これが私なりのメッセージであり、メッセージコントロールのイメージの一つではあります。

2010-10-27 07:00

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「好き」と言うだけが「好き」を伝える手段ではない | deathhacks

「カウンセリングとは何ですか?」と聞かれたらこう答える | deathhacks

勉強会に求ム条件

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私が勉強会、そして参加する人たちに求める要素は3つあります。

  1. 志が近いこと
  2. 技術レベルが近いこと
  3. 積極的に勉強会に貢献しようとすること

志が近いこと

方向性や指向性と言ってもいいでしょう。
あるいは熱意 passion とも。

自分やその人たちが背景に持つ志に、重なる部分がなければ「一緒に」学ぶことは難しいと感じます。
メンタルヘルスやカウンセリングで言えば「尊敬されたい」「ちょっと興味があったので」くらいでは初級者以上のトレーニングの場として集うという気にはなりにくいのです。
「既に目の前にある、現場に対応するために学ばなくてはならない」「他のどんなことよりも今メンタルヘルスに興味を注いでいる」というような少し偏執的なくらいの意志を持つ人たちと議論などをしたいものです。

ただし、メンタルヘルス分野ではどうもセルフコントロールやメタ視点を失うくらい熱意「だけ」を持った人が少し多め。

(関連エントリ)

鬱うつカウンセリング | deathhacks

技術レベルが近いこと

カウンセリングでは、ロールプレイをしてとりあえずはまともなやりとりになること。
ちゃんとフィードバックをし合うことが出来る人。
あと、それ以前にコミュニケーションが取れる人。
(日常会話でも話の意味が通じなかったり、イライラしたり、自己紹介、交渉、調整もできない人がカウンセリングのときにだけ素晴らしい能力を発揮できるということはあり得ないでしょう。
世の中には相性という不可抗力的な要素ももちろんありますが)

理論や知識「だけ」を豊富に持ってるとか、他人に自分の素の技術や能力を見せられず「能ある鷹は爪を隠す」系の人は信用できないのです。
自分自身も「コメント番長」や「フィードバックエース」にならないように自重すべし。

積極的に勉強会に貢献しようとすること

どんな勉強会であってもお互いの貢献、存在や言葉、フィードバックのなどの集まりからできています。
その成果に対してまったく貢献しない、はじめから貢献する気持ちがない、とりあえずその場にいること、いたことだけが最大にして唯一の目標という人とはやりたくないのです。
いわゆる受身主体の(それも違うかもしれませんが)講義とは違い、勉強会は No give, No take でしょう。

「今日は何がもらえるのかなー(ワクワク)」というように上を向いて口をアーンと開けてエサがもらえるのを待っている「だけ」という人がいれば、その勉強会 community は続かないでしょう。

厳しいことを説明している、というよりはこれも参加者自身のために考えなくてはいけないことなのです。
例えばある勉強会で内容やテーマを他人任せにするか、自分から積極的に用意するか、のバランスに気を使いましょう。

同じ時間や労力を使っても、他人が持ってきたテーマでは期待したよりも得るものが少ない(感じがする)かもしれません。
しかし、その責任は他人任せにした自分にもあるのです。

自分が自分が、とあまりにも独りよがりに突出して自分「独り」が抱えた問題を参加者「全員」の問題として皆の資源を消費してしまってもいけません。
自分が持つ、興味があるテーマで、しかも勉強会というグループで取り上げる価値が皆にある(可能性だけでも)ものを探しましょう。
実際はその気持だけが必要十分に高ければそれこそ十分かもしれません。

まとめ

以上、私は自分も含めた勉強会参加者に、志・技術・貢献を求めているのだなー、という内省(内声)的エントリでした。

2010-10-26 07:00

習った言葉をそのまま使うのが構造化ではござらん

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世の中には「構造化」があふれています。
フレームワークやマニュアル、ガイドライン、常識など様々な形態・呼び名はありますが、すべて構造化(したもの)と言えます。

それを作り、使うことの効果・メリットの一つはコストを下げることです。
それに従えばその仕事の初心者でもある程度はうまくできる、あるいは慣れた人でも落ち着いて実行できる、ベテランが初心者に教えやすい、などの利点を得ることができるツールと言えるでしょう。

注意して避けなければいけないのはカウンセリングやメンタルヘルスの教育などで初級者が構造化したテキストやマニュアル(的なもの)をそのまま現場で使ってしまうという誤りです。

惨事(ショックなできごと)に会ってしまった人と話すのに「事実を聞かせてください」「症状を確認させてくださいね」では固すぎたり分かりにくかったりします。
相手や状況によって言葉や話し方をアレンジしなくてはいけないのです。
この辺はNLPとも違いますし、自律訓練法の公式 formula とも違います。

また「カウンセリングではタイミング良くクライアントの話の内容を要約しましょう」と教えると、ロールプレイでも現場でもそのままに、「では、、要約させていただきますとー」「まず、要約させていただきたいのですがー」というようなセリフを入れてしまう間違いを犯します。
もちろん、100%間違いというわけではありませんし、ケースバイケースではありますが、構造化にあまりにこだわりすぎて不自然なリズムを崩した会話・カウンセリングになってしまうリスクがあるでしょう。

教わった言葉を言ってドヤ顔しないこと、自分は教わった通りにやったのだから結果が悪いのは自分の責任ではない教えた人やクライアントが悪いのだとか的外れで残念なキレ方をしないこと、構造化はあくまで道しるべやツールにすぎないこと、などを知り、教えなくてはいけないのでしょう。

2010-10-25 08:00

個人的なスーパービジョンの不安と憂鬱

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ケーススタディー(スーパービジョン)を1件した。
新しい角度からの視点を示せた。
スーパーバイジー(?)の満足度も高かった。
単に厳しいコメントや失敗のようなことを上げつらって攻撃し傷つけるようなことにもならなかったと思う。

しかし不安は残る。
その視点は良かったのかな?
良い感触があったからといって同じことを繰り返し言い過ぎてしまって、何か別の違うメッセージ(あまりにそれに注目しすぎたり、ひけらかしのように感じられたり)が出てしまったのではないか。

たぶんさらに上級の人にスーパービジョン(のようなもの)を受けるでしょう。
巡り巡って(善意ではないし、短い時間軸で善悪を判定はできない)人の考えがグルグルとつながるのだろう。
それが面白い。

2010-10-24 08:00

光るもの、がある人

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メンタルヘルスの教育トレーニングをしていると、目を見張るような発言や能力を発揮する人に出会えるのが素晴らしいことです。
自分自身も固く言えば「修行中」ですから、ハッとして「うかうかできない」という風に思うこともあります。
実際には、カウンセリングやメンタルサポートなどの活動は、単純に教わったことができるようになれば良いとか、優劣を競うことができるとか、そういうものでもないので、適切以上に他人の技術や個性を気にしても仕方ないのですが。

やはり、まじめにバランスよく、ときに客観的に自分を見ながらトレーニングしている人は、ドンドンと目覚ましい発言や質問、実践をトレーニングの場で出してきます。
そういう人たちは一日二日の教育でもいくつもの成果を得て帰りますし、課題や改善点なども見つけていきます。
簡単なコーチングで成長していくような状態になれば、あとは良い循環が始まって、現場とスーパービジョンやコーチングを行ったり来たりしながら伸びていくことができそうです。

元々は同じような教育訓練を受けていても、なんとなく気持ちや他の雑事などの関係で、メンタルヘルスの分野での活動に集中できなかったのかなーというような人も、しばらくぶりに会ってみれば、吹っ切れてしまったのか、スバラシイ指導やフィードバックをバンバンと出しているようなことも見ました。
こちらが劣等感や焦りを感じます。

やはりうかうかはできません。

2010-10-23 07:00

納得できないときに噛みつくこと

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腑に落ちないときにスルーしないこと。

フィードバックをもらったら、直後にやり直してみること。

2010-10-22 08:00

(追記 2011-02-13)
学習・修行の上では、相手の言っていることが9割まで正しかったからといって最後の1割を簡単に思考停止して鵜呑みにしないのが大事。
ただし、平常の人間関係ではそこまでネチネチと真摯に追求するとデメリットが多く出て本末転倒となる場合も多い。