私が勉強会、そして参加する人たちに求める要素は3つあります。
- 志が近いこと
- 技術レベルが近いこと
- 積極的に勉強会に貢献しようとすること
志が近いこと
方向性や指向性と言ってもいいでしょう。
あるいは熱意 passion とも。
自分やその人たちが背景に持つ志に、重なる部分がなければ「一緒に」学ぶことは難しいと感じます。
メンタルヘルスやカウンセリングで言えば「尊敬されたい」「ちょっと興味があったので」くらいでは初級者以上のトレーニングの場として集うという気にはなりにくいのです。
「既に目の前にある、現場に対応するために学ばなくてはならない」「他のどんなことよりも今メンタルヘルスに興味を注いでいる」というような少し偏執的なくらいの意志を持つ人たちと議論などをしたいものです。
ただし、メンタルヘルス分野ではどうもセルフコントロールやメタ視点を失うくらい熱意「だけ」を持った人が少し多め。
(関連エントリ)
技術レベルが近いこと
カウンセリングでは、ロールプレイをしてとりあえずはまともなやりとりになること。
ちゃんとフィードバックをし合うことが出来る人。
あと、それ以前にコミュニケーションが取れる人。
(日常会話でも話の意味が通じなかったり、イライラしたり、自己紹介、交渉、調整もできない人がカウンセリングのときにだけ素晴らしい能力を発揮できるということはあり得ないでしょう。
世の中には相性という不可抗力的な要素ももちろんありますが)
理論や知識「だけ」を豊富に持ってるとか、他人に自分の素の技術や能力を見せられず「能ある鷹は爪を隠す」系の人は信用できないのです。
自分自身も「コメント番長」や「フィードバックエース」にならないように自重すべし。
積極的に勉強会に貢献しようとすること
どんな勉強会であってもお互いの貢献、存在や言葉、フィードバックのなどの集まりからできています。
その成果に対してまったく貢献しない、はじめから貢献する気持ちがない、とりあえずその場にいること、いたことだけが最大にして唯一の目標という人とはやりたくないのです。
いわゆる受身主体の(それも違うかもしれませんが)講義とは違い、勉強会は No give, No take でしょう。
「今日は何がもらえるのかなー(ワクワク)」というように上を向いて口をアーンと開けてエサがもらえるのを待っている「だけ」という人がいれば、その勉強会 community は続かないでしょう。
厳しいことを説明している、というよりはこれも参加者自身のために考えなくてはいけないことなのです。
例えばある勉強会で内容やテーマを他人任せにするか、自分から積極的に用意するか、のバランスに気を使いましょう。
同じ時間や労力を使っても、他人が持ってきたテーマでは期待したよりも得るものが少ない(感じがする)かもしれません。
しかし、その責任は他人任せにした自分にもあるのです。
自分が自分が、とあまりにも独りよがりに突出して自分「独り」が抱えた問題を参加者「全員」の問題として皆の資源を消費してしまってもいけません。
自分が持つ、興味があるテーマで、しかも勉強会というグループで取り上げる価値が皆にある(可能性だけでも)ものを探しましょう。
実際はその気持だけが必要十分に高ければそれこそ十分かもしれません。
まとめ
以上、私は自分も含めた勉強会参加者に、志・技術・貢献を求めているのだなー、という内省(内声)的エントリでした。
2010-10-26 07:00
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