褒めはフィードバックの一つ

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褒められるとやる気が出て学習につながる。

褒めること、学ぶ受け手側から見れば褒められるということは、単純に言えば、行動や結果に対して他者から受ける快刺激だ。
この快刺激をタイミングよく、繰り返し、ある程度以上一定の法則で受けることによって回路が発達する。
これが学習の正体だ。

注目するべきことは3つある。

まず、他者というのは同種である人間や生き物に限定されない。
石を蹴ってそれが転がるというのもフィードバック、つまり刺激の一つだ。
もしも、石が転がることによって快刺激を感じることがあり得るならば、そこには学習が成立する条件があるということだ。
同じように、数学の高度な命題証明をして、快感を感じる人間がいるのは、その行為や結果から、神やそれに似た存在から祝福されたようなことなのかもしれない。

次に、叱るということによる学習も、褒めることによるそれと本質は違いがないということ。
どちらでも学習は生じる。
良い習慣が身につけばそれは「しつけ」や「マナー」と呼ばれるし、「トラウマ」や「DVの被害者と加害者の関係性」は悪と見なされる。
問題はその良悪判断の価値観的なものというよりも刺激の強さの方が大事だ。
そしてそこには人間、受け手側の慣れという要素が関わってくる。
より確実で高度な学習に到達するためには慣れを排除するなり無効化する必要がある。

最後に、刺激の受け手、学習者となる人間の感覚や認識はとても複雑かつ個体差があるということだ。
同じ刺激であっても、同じ快や不快を感じるとは限らない。
快感、不快感は同じレベルとはならない。
つまり、同じ条件や環境でも学習が生じる場合と生じない場合がある。
また、快と不快は同時に起きることがほとんどだ。
人生では楽しいことばかりではない。
何かを為すためには一般的に苦しい行動が必要なことが多い。
筋トレをして鍛える快感の前には、退屈な時間や筋破壊の痛みが絶対的な条件であったりする。

2011-11-20 11:00

(関連URL)

芦田宏直@jai_an氏は警告する;「ほめて伸ばす教育、ほめる教育」のどこが『危険』なのか?  – Togetter

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