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元々は次のtumblogエントリを読んで、褒めることによる学習も失敗による学習も、人間の中に起こっていることは生理的にも心理的にも同じだろうと考えた。
六百デザインの「嘘六百」: 時折綴る「子供にゲームをさせよ論」のコト
(原典ブログエントリを追加 2011-11-21 20:00)tsuka tumblr : http://ktsukago.tumblr.com/post/11969901900/tv
そう。
世の中の出来事に善悪や良い悪いなんていうものは実在しない。
それは単に人間や社会が勝手に創りだした価値観だ。
だから、ある国で正しいとされていることが別の国では罰せられる。
昔は良いことだと思われていたことが現代においては皆に否定されるということが起こる。
絶対的な正義はないし、完全なる悪もない。
それは人類の宗教やら思想やらの対立の歴史が演繹的には証明している。
注目したのはそこまで大きいテーマについてではなく、うつやトラウマなどに関連した、あるクライアントが持つ苦しい
記憶や学習を緩めたりなくしたりするにはどうすればいいのかということを論理的に考えて編み出すこと。
ネガティブな内容の学習のしくみについては以下のエントリに書いた。
ここからわかることの一つは、うつ的な思考やトラウマは「学習」の結果生じているものであること、学習に繰り返しや時間という要素があるからにはそれを打ち消すためにも繰り返し、そして同等の(まったく同じとは限らない)時間が必要だということだ。
2011-11-19 10:00
(関連URL)
(追記 2012-01-08 14:00)
(関連エントリ)
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