世の中には少数の人しか持っていない感覚というものがあります
絶対音感や繊細で敏感な味覚などです。
それと同様の感覚に「共感覚」というものがあります。
いわゆる五感(視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚)などのインプットされた情報が相互に変換されたように感じられたり補間しあったりするようなことを指します。
本として出版されている事例としてはダニエル・タメット氏のものがあります。
ぼくには数字が風景に見える、ダニエル・タメット
ダニエル氏は、一般の人や数学者でさえすぐには判断できないような大きな数値が素数であるかどうかを、その数字を見て色や形として「わかる」という能力があるそうです。
これは計算能力と視覚が頭のどこかでつながっているか共同作業をしていることによって得られているのかもしれません。
こういった感覚の話や物語について多くの人は自分には縁がない、ある意味ファンタジックなのだと思うかもしれません。
しかし違います。
より一般的に多くの人が持っているのではないかという事象もあります。
たとえば「黄色い声」という表現は声という聴覚情報に視覚情報も含まれている共感覚(錯覚?)とも言えます。
また同じように私たちは様々な音楽を聴いて「この曲は明るくていいね」とか「随分暗くて重いイメージの曲だな」という会話をするのではないでしょうか。
決して共感覚というものが一部の人に完全限定されたものではないのでしょう。
視覚の代わりに触覚を使うことができれば(すでに点字というものはあります)、文字の上に手をかざすことによって文章を読むことも可能です。
2010-07-21 7a.m.
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