ガー・レイノルズの「裸のプレゼンター」を読みながら自分のプレゼンを振り返る – その4

R1009139

今回は私のプレゼンについての直接の話というよりは、私が教育や講演主催側でありスタッフやサポートメンバーであったりするときに考えていることを書こう。

単純にはこういう時に他人(ひと)は、自分も勉強や復習をするために参加している。
あるいはもう少し進めて考えると、「自分が次に教育や講演をするときの参考にしよう」と頭を動かしているかもしれない。

私はその先を目指したい。
それは「もしも今日事情によって講師が来られなくなったり、途中で講師の体調が悪くなったりしたときに、自分が代わりを務められるようにしておこう」と常に考えている。
また、「今停電になって、PCやプロジェクタが使えなくなったとして、自分ならどのようにこの場を引き継いで続けていくか」というシミュレーションもする。

ちょっと考えが奇妙だったり、不遜だったりするかもしれない。
こう考えるのは、私が主催側スタッフであることが最近多いからだろう。
何かトラブルや不注意で、参加者に不安や不満が生じることが許せないから、あるいは悔しいからだ。
それが例え、講師の不調だったり、会場やそこの機材の不具合、はたまた天変地異だったとしてもだ。
そこまでの危機感を持っていたいし、危機管理をすることを想定したいというのが私の個人的なポリシーだ。

そしてそこに講演や教育コンテンツの商品としての価値の担保までも含めて考えている。
だからガー氏が以下の引用内で言うように、スライドやマイク、PCの不具合くらいでその商品の本質や価値が参加者からみて毀損しない準備をしたい。

The show must go on ― 何があろうともショーは続けなければならない

(中略)
プレゼンテーションに関して言えば、プレゼンターがスライドを1枚を挿入し忘れようが、スライドの色調がPCの画面に比べて見劣りしようが、聴衆はそれを知らない(あるいは、気にしていない)はずである。なのに、なぜささいな失敗にこだわるのか? 機材に多少の不具合が生じても、構わずにプレゼンテーションを続行しよう。さらに、機材が全く使えなくなってしまった場合に備えて「ビジュアルを使わずに、メモを参考にしてスピーチを行う」、「ホワイトボードを活用して話を進める」といった代替案を用意すべきである。忘れないでほしい―何があろうが、たとえテクノロジーがダウンしようが、ショーは続けなければいけないのだ。

- 裸のプレゼンター、ガー・レイノルズ、ピアソン桐原、2011、p.119

2011-08-13 10:00

裸のプレゼンター
裸のプレゼンター
posted with amazlet at 11.08.10
ガー・レイノルズ
ピアソン桐原
売り上げランキング: 20053

みんなわがまま過ぎる

R1008991

人は組織を何だと思っているのか。
どう考えるべきなのか。
組織の運営側にいて考えている。

もちろん組織は道具だ。
一人の人間ではできないことを、人が集まることによって成し遂げることができる。
そういう仕組みだ。
家族や村、国家に始まり、法人や同好会、なかよしクラブのようなものまで様々ある。

だから組織を作った理由として、それをてこや道具として利用するのは個人には許される。
しかし、組織の大きさや段階、利用内容によっては厳しく止めなくてはいけない。
組織は道具であるとともに生き物だ。

組織は生まれた瞬間から成長し老化する | deathhacks

個人が勝手に利用・活用しようとして組織をいじめてはいけない。殺してはいけない。
時には個人が犠牲になってでも組織を生かさなくてはいけない。

あなたが組織を利用しようとしたときに、本当にそれが他の人や組織自体のために良いことか、デメリットや不利益はないかを考えて欲しい。
あなたはわがままを言っていないか?

2011-08-07 09:00

社会をリセットできる能力を持ちたい

R0013471

人間関係をリセットするのは怖くてワクワクする。
ある人の人間関係は、その人からみた社会そのものだ。
内心や無意識という部分もあるからその人そのものとまでは言えないが、人間という社会的生き物の大部分を他人との関係性が占めているのは間違いない。

引越しや異動・転職、進学などを機会にして人間関係がガラリと変わることがある。
このときにそれまでの関係性の蓄積を次に活かすというのが一つのやり方だ。
しかし、ゼロリセットすることも選択としてはあり得るし、そんなに悪いものでもない。

過去の関係を財産として、さらにその上に積み上げていくのは、ある個人が原則として年月を重ねると弱っていくから他者の力を頼る必要がどんどん増えていくからではないか。
あるいは変化に対応するためには平常から関係性をメンテナンスしておいた方がいいという予備意識か。

確かに、ゼロから新たな関係やその人の周囲の社会とのコンタクトを構築していくのは骨が折れる。
単純に自己を紹介・アピールするにしても結構なエネルギーや時間コストがかかる。
しかし逆に、いつでもリセットできるという自信があるならば、それはそれで武器になる。
物に縛られない、場所に縛られない、組織に縛られない、そんな生き方も良い。

予測できない、変化の速い、前世代や過去の資産が必ずしも参考にはならない現代社会だ。
変化し続ける、とどまらない、一見逆張り的な人生に活路が見える。

2011-07-30 07:00

組織運営のボトムアップとトップダウン

SDIM0911

組織にしても個人にしてもボトムアップ、トップダウン、どちらの考え方が正しいとかはない。
どちらも必要なことがほとんど。

ボトムアップの考え方は理想論に走りがちで、いつか、あるいは最終的にリソースの限界がきて破綻する。

トップダウンの論理は、現実的で無難だが、内容が広がらないし、夢やワクワクの要素が少なくなる気がする。

2011-07-04 07:00

(追記1)
これって、欲しい物を先を考えないでドンドン買っていったら、すぐにお金がなくなっちゃうよなー、という話にも似てる。
でも、最初の予算が決まっていて(予算をカッチリ決めていて)その中でやりくりすることしか考えないのもツマラナイし、臨機応変ができなそう。

(追記2)
目の前に来た、あるいは目の前にある仕事をとりあえず何も考えないで順番に処理していくだけだと、今どきの日本では1日が終わっても何も成果があがっていなかったり、大事なタスクが抜けていたりする。
かといって、大目標を決めてそれを小目標やタスクにブレイクダウンするのも工夫が要るし管理コストがかかる。

システムで手間を減らす、システムで効果を上げる

個人の能力や、その時々の努力、心がけなどに頼ってしまうのは組織として危うい。
リスクだ。

集団にカウンセリングやエンカウンター・グループなど教育をするときに、お互いの名前を知らないで時間を過ごすのはストレスになる。
これは被教育者同士でも、講師と受講者の間でも同じだろう。
たいてい名札を用意したりしているわけだが、これが首掛けひも付きのモノだったりすると、下がる場所が落ち着かなかったり裏返ってしまったりして意味をなさなくなる。
ひもをうまく短くしたり、ピン留めやクリップ留めのものにしたり、いっそ頭に(!)かぶれるものにしようかなどとも考える。
交流やリレーションの延長として、キチンと相対している人間の名前を知っていることは大事ではある。
ただそれを、何も考えなくてもいいように「システム」にまかせてしまえば良いのに。

実践で技術を教える、その「教え方」を教えるやり方も「システム」が要る。
もちろん教育のし方やカウンセリングなどは、最終的には属人性が入るのは当然だし、すべてを決められたレールに乗せてやれば良い、あるいはできるものではない。
それでもシステム化して、属人的になりすぎないようにできる部分はあるはずだ。
そういった部分は統一する。
労力を減らす。
誰がやっても、ある程度は同じレベルの教育や商品、カウンセリングを提供できるようにする。

そう。システム化、というのは別にサボるためのものでの、大量生産の工業品のように画一的なものを提供するためだけの話ではなく、重要性の高い部分に注力するための「選択と集中」の考え方である。

2011-07-03 06:00

ヒーローをつくらない組織を目指す

R1008686

少数のヒーローやエースに頼るのはリスクだ。
「ワンマンチーム」というのはネガティブなイメージを持つ。

劇団四季やシルク・ドゥ・ソレイユには名前をパッと言えるダンサーやパフォーマーは(寡聞にして)いない。
逆に名前を聞いて「あー、あの人かー」と誰もが知っている演者もいない(マスメディアが取り上げていない、あるいはマスメディアをあえて「使わない」戦略を取っているのかもしれない)。
だからといってチームとしての仕事が劣るわけではなく最高にすばらしいエンターテイメントを継続して生み出している。

組織が大きくなれば、一人や少数の人間の力ではどうしても安定した事業はできない。
一時的には苦しくても、後継者や次世代を常に育成しなくてはいけないだろう。
育成の部分をごく短期的視野でしか考えなかったり、運任せにしてしまえばうまくいかない。
野球やフットボールなどのプロチームスポーツと同じだ。
あるいは個人競技でも国家単位で水泳や柔道、フィギュアスケート、卓球、スキーなどをイメージしてみるとよい。
難しいのは、育成システムに基本形はあるかもしれないが、組織や分野ごと独自にあつらえなくてはいけないだろうことだ。

また長期的・継続的・安定的な生産性というのが重要だ。
そのためにも個人が寄与する部分を適切にする。
安定したシステム・系が確立すれば繁栄が得られるし、トータルでのアウトプットは時間についての掛け算が成立することによって莫大になる。
このメリットは個人の努力や一人の天才の働きでは得にくい。

とは言っていても、個人個人にもどのように自分の力を活かすか、成長をしたいか、高い評価や満足できる承認を得たいかということを選ぶ自由がある。
滅私という概念は個人的にあまり今は魅力的に感じない。
しかし社会や環境などの外部と仲良く、というか上手く共存・成長していくためのヒントをみつけたい。

2011-06-27 06:00

組織は生まれた瞬間から成長し老化する

R1008625

人間の意思や経済活動の集合体である「組織」もまた、人間と同じ性質を持っている。
生まれた後に、何も手をかけなくても勝手にうまく育つということは稀だ。
「からだ」が大きくなることが必ずしもベストというわけでもない。
ドラッカーが言ったように、組織には「適正」な規模がそれぞれにある。
組織の変化を成長ととらえればポジティブな印象だが、そのネガは劣化という意味を含んだ老化であるかもしれない。

組織は、人間と似ている。
殺そうとしてもなかなか死なない。
生かそう活かそうと皆が願い、手を尽くしても、死ぬときには死ぬ。
そう。生まれたら必ず死ぬ。一度だけ死ぬ。

組織論は興味深い。
現代の組織で言えばその栄養はお金だ。
NPO法人では、その財務基盤の安定はほとんどの組織でボトルネックになっている。
収入の柱は4つある。
会費、事業収入、寄付、そして助成だ。
これらをバランス良く、安定して得る、獲得することが組織の成長と維持には欠かせない。
人間の栄養バランスと同じだ。
偏っているとその行動や意思にも影響を与える。
いったんこれらを外界から得たのなら、もうそれは「社会」の一部となって、組織や人間はある意味、「活かされている」ということになるから、社会への責任が生じる。

2011-06-20 07:00

(関連書籍)

プロボノ―新しい社会貢献新しい働き方
嵯峨 生馬
勁草書房
売り上げランキング: 45605

とことん話してみると、やはり細かすぎる

R1008270

自分の考えを人に話してみると二つのことがわかった。
ひとつは、論理としては間違っていないこと。
もうひとつは、間違ってはいないが、やはり細かすぎること。
あとはバランスだ。

他にも、また他人の言動に触れて、勉強になったり、自分の能力に幻滅したり。

2011-05-17 06:00

組織や主要な人がダークサイドに落ちるなら手を引く

自分が納得いかないならば無理をして続ける必要はない。
それは趣味でも本職でも同じ。

もっとオープンにすればいいのにと思う。
情報が多すぎると言うならば適切にフィルタリングすればいい。

2011-05-10 06:00

(関連エントリ)

セカンドワーク組織でこそ理念が重要になる | deathhacks

組織への関わりと情報開示のレベルを整備・調整するときの考え方

R1007898

個人的には、今の世の中、開示できないプライバシーや守秘契約上の話以外はすべてオープンにしてしまっていいと思う。
組織の話として。
だから、会議の内容や議事録なんかもドンドン公開したい。
周りの賛同は得にくいだろうが。
はてななんかはずいぶん以前から社内会議やミーティングを音声で公開したりしている。

秘密をつくるデメリットを考えると、メリットは意外に少ない。

組織へ関わったり、貢献しなくては内情を知ることができないとか、意見をすることができないというのも今の時代にはそぐわない。
情報は開示して、意見をもらう。
良いものも悪いものも。
しかし、それらをすべて聴いて真に受けて採用する必要はないし義務もない。
組織なら管理者、軍隊なら指揮官、NPO法人なら理事が意思決定者になる。
それらの立場の人たちには権限とともに責任が明確にあるからこそ、意思決定者なのである。

もしも広く意見を聴くのならば、全員に分け隔てなく情報と機会を与えるべきだろう。
理想論だが、一部の人や人間関係のコネで優遇するようなことは避けたほうが良いだろう。
なんらかの特別なことやリスクを考えるならばそれ相応の思考をしておかなくてはいけない。

2011-04-25 08:00

(関連URL)

ITmediaニュース:「はてな」という変な会社 (2/2)

紙の進行管理や社内会議のWEB公開、「はてな」という変な会社。 | Narinari.com

Related Posts Plugin for WordPress, Blogger...