愚痴を「言う」のと「聴いてもらう」では効果はまったく違う

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愚痴を単に吐き出しても、意味がなかったり、空気を悪くしたり、余計にネガティブになったりしてしまう。

愚痴は、相手に「聴いてもらわなくては」気持ちが多少なりとも軽くなりすっきりするような効果は出ない。

ただしゃべることと聴いてもらうことの違いは、聴き手の反応・リアクションにおけるものだ。
聴き手の条件ということならば、愚痴を漏らす側にできることは何も無さそうにも思える。

しかし、聴き手を選ぶことはできる。
この部分に上手な愚痴り方のコツがある。

うまい具合に合いの手などを入れてくれる人、余計な批評や主張をあまりしない人、話の内容について利害関係がない人、時間の余裕のある人。
冷静に考えてみると、どう見ても聴き手の選び方が悪くて、愚痴り損になっていたり、逆にストレスを増やしてしまっている場合がある。

愚痴るのが上手い人は、知ってか知らずでか、敏感に相手やタイミングを選びとって愚痴っている。
そういう愚痴のコツを使いこなしている人は、決して愚痴るからといって嫌われたりすることもない。

2013-01-30 14:00

チャンスが来たときに一瞬で決断して手を出さなくてはいけない

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流れ星に願いを言うとそれが叶うという。
このことは、ほんの一瞬のタイミングや機会に対応できるよう、普段から準備しているか否かを生き方・心構えとして問われている。
あらかじめ目標やポリシーを熟慮しておき、それを24時間365日、どんな状況でも、誰にいつ問われても即答できるようでなくては流れ星に間に合わない。

実際には何回も失敗やイマイチ感の体験を繰り返して、こうしたものの大事さを学ぶしかない。
今回もチャンスが急に来てキチンとそれに手を出すタイミングに課題が残ったように思う。
でもそれによって、普段の準備が不足していたこと、自分の甘かった部分、考えておかなければいけないことなどが少しでも明らかになれば良いと思う。

2013-01-29 07:00

他人を縛ることはできない

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契約や何かで他人を縛ることはできない。
倫理や法律に照らし合わせたり訴えたりしてもダメなものはダメだ。

唯一可能なのは、情に訴えて縛ること。
これは単にその人が自縄自縛に陥っているだけのように見えるから、他人から見てなぜそのような強制状態が生じているのかわからなかったり理解できなったりする。

自分自身に置き換えたときに、こうした「縛り」を解除するには、まずその縛りに気づくことと、結果を考えないで他人を傷つけてでも動いたり放棄してしまうことだ。
自分を犠牲にしてまで相手や周囲のために献身することには意味は無い。
特にあなたや私が、貢献したいと本当に感じているような人々であれば、逆に相手側もあなたや私の犠牲や悩みや苦しさを喜んだりはしない、と考えよう。

2013-01-28 08:00

ワクワク、ドキドキ、やんちゃと無茶と

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誰にも言えない。

別に誰に迷惑がかかるわけでもないし、違反しているのでもない。
それでも、無茶、というものは少し気が咎めるらしい。
無駄遣いという誹りも受けるかも、とか色々考えてしまう。

だからこそ行動は思いつきで起こした方がいいし、チャレンジはワクワクする。
ワクワクしなければ生きていてもしかたないんじゃないかというコンセプトでいきたい。

2013-01-24 06:00

Posted from Drift Writer on my iPad mini

陰口というわけでもないけど、聞きたきゃ聞けばいいのにと思う

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世の中、腑に落ちなかったり、釈然としない事だらけだ。
ある人が自分の視点や価値観だけに頼って物事を見てしまっている時にはなおさらそういう世界観に陥るだろう。

そんなときに必要なものは、解釈や非論理的なビリーフを修正するような転換なわけだけど。
それに要するものはまず情報だ。
そして情報を得るためにはコミュニケーションが必要になる。

ところがうまくコミュニケートするためには適切な解釈や論理を持っていなくては行動に移せなくなる。
相手に対して何かしらの疑心や恐れを持っている場合、自分が行動したり考えたりしていることが間違っているのではないか、正当ではないのではないか、恥ずかしいことなのではないか、などの思い込みがある場合、コミュニケートすることは自分の立場を危うくしたり、評価を落とすことになる(ように思える)。

かくして、間違った解釈→情報不足→コミュニケーション不全という悪循環はどこかの時点で誰かが高所から見直し手を加えなくてはキープされてしまう事例が多々ある。

2013-01-23 09:00

「キチンとしていること」と「キチンと感」の違い

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キチンとしていること、には定義はない。
それを見た人の受け取り方、主観次第だ。

「清潔なこと」と「清潔感」の違いと同じようなものだ。
元々、清潔である方が好ましいという価値観は、ヒトが生き物として穢れや不潔、細菌やウイルスなどによる感染症や食物の腐敗と闘ってきたという歴史から生まれ引き継がれてきている文化だ。

だが、現代であれば、特に日本であれば、清潔であることはほぼ無料・無償となっている。
巷に病気があふれているということはないし、普通に水道の水を飲んでもお腹をくだすこともまずない。

不潔がタブーになった理由 | deathhacks

それでも、ヒトは必要以上に「より清潔」であることを求める傾向がある。
それが「清潔感」、なんとなく「キレイなものに惹かれる」という感情に現れるのだと思っている。

人間誰でも、完璧ということはないわけで。
たまたま目にした対象の、清潔感やキチンと感などを目印にして好ましく思ったりという偶然が連続したりすると簡単に思い込みをしてみたりすることになるのだろう。

2013-01-22 07:00