「カウンセリングとは何ですか?」と聞かれたらこう答える

20120228125848

カウンセリングを扱うのであれば、誰かに「カウンセリングっていうのは何がどうなって“効く”のですか?」「カウンセリングって結局“何”ですか?」と質問されたら答えられなくてはいけない。
初心者、初級者を除いて。

私なら今、「カウンセリングとは言語的または非言語的な手段を使って、他人を支援し、行動の変容を図る人間関係のことです」と答える。
何のことはない國分康孝氏の受け売り、パクリだ。
言葉としては。

この文章の意味や背景、カウンセリングの説明で、30分や1時間は話すこと、話せることがある。
長く話せば良いというものではないが、色々と考えていること、思うところがある。
あとは、それが他人の腑に落ちるか、普遍的な要素がどれだけ含まれるかが鍵になる。

私が挙げた(國分氏の文の)定義の前半「言語的または非言語的な手段を使って」という部分はこのブログでも何度か取り上げた「メッセージコントロール」に当たる。

古典>近・現代>最新(メッセージコントロール)《カウンセリングの変遷》 | deathhacks

はじめはメッセージコントロールだけで十分 | deathhacks

メッセージコントロールが革命的である理屈 | deathhacks

それと、閉ざされていたり、限定的な時間や空間、条件などにも縛られないという風に解釈している。
要は何を使ってもいいということだ。
極論をすれば「手段は選ばない」、と言うか「手段はそれほど重要ではない」
非社会的なもの、非倫理的なものなどを除いては。

隙間産業的なカウンセラーを目指す | deathhacks

後半の「行動の変容を図る人間関係」について。

「行動の変容を図る」という部分については、國分氏の著書での説明が実に腑に落ちる。
カウンセリングによってクライアントの思考や世界の見え方が変われば、今までと違う行動ができるようになる。
また、周りからは「あいつはまったく変わらない」という風に見えたとしても、本人の内面が変われば同じ環境、同じ出来事に対しても、我慢ができたり、別の考え方をして人生を乗り越えていける。
そんな感じの説明だったと思うが、詳しくは本をみて欲しい。

カウンセリングの技法
カウンセリングの技法

posted with amazlet at 10.06.27
國分 康孝
誠信書房
売り上げランキング: 5857

「人間関係」については以前に述べた私の考えのエントリにリンクしておく。

はじめはメッセージコントロールだけで十分 | deathhacks

好かれればカウンセリングはうまくいく | deathhacks

カウンセリングの中で出てくる言葉のやり取りだけに注目しているならば、なぜ同じことを言っても感じ方や結果が違うのかがうまく理解できない。
意識して再現性を高めることができなくては、カウンセリングの科学性や学問性を肯定することができない。
そういう状態では、自分が良いカウンセラーになることはできても、他人にカウンセリングを上手に教えたり、継承して再生産していくことができない人だということになる。

誰がどの立場から言うかによって言葉の意味やメッセージはガラリと変わる | deathhacks

カウンセリングは「何を言うか」でなく「誰が言うか」 | deathhacks

どうも前にも書いていることを繰り返してテーマにしているが、まだまだ理解と説明の熟成が不足しているから、何度でも考え続けている。

2012-02-29 07:00

1割がエラそう、9割フツー、という感覚

R0014124

今どきはもう多くないのかもしれないが、医療の中で、患者らは弱くて怯えている立場、医者らは偉そうにエバっているというステレオタイプなイメージがある。

私から見たり感じたりしても、確かに全体の1割内外の医者は威張っていたり、そう見えたり、空気が読めなかったり、社会性に疑問があったりするのかもしれない。
つまり、残りのほとんどは(そう言うのも実は変だが)まともで、ある程度以上にキチンとしているし、社会や組織の中でうまくやっているし、やっていけている。
さらに一部の医者らは極めて優秀で尊敬に値すると思う。
考えてみれば当たり前のことだ。

逆に私は医者や医療側が、一般の人らに別のかたちでサービスを提供する場を見たこともある。
場や状況が違えば、コミュニケーションやそれぞれの立ち居振る舞い、言動も変わる。
それでも、そんな人が大多数を占めるというのでもなく、ほとんどの人は「フツー」だし、互いに「フツーのコミュニケーション」をしている。
医療が平身低頭くらいにサービスをし、受け手側がやや傲慢くらいに振る舞っている国や文化も世の中にはあるだろうということだ。

いくら最高の技術とプライドがある医師たちでも、天皇陛下に対して上から目線の接し方はしないだろう。
(陛下がプロフェッショナルらを見下すようなこともありえないだろうけど)

人間は何か自分(だけ)に有利な状況や条件があれば、それを笠に着てさらに有利な状況を引き出したり保ったりしようとする。
戦略的に考えているわけではなくても、他人から大事にされたい、ほめられたい、サービスをされたいと自然に思って、時にそれは振る舞いや言動にはっきりと現れる。

こうしたことはヒト皆にある性質なのだろう。
人はそれぞれの立場や経験によって印象が変わり、世界や世の中はまったく違って見えてもいる。

2012-02-28 08:00

過覚醒的な発言をスルーしないこと – 惨事後グループミーティングの仕切りの中で

20120226122932

先日、勉強会で惨事後のグループミーティングをテーマにした。
(最近数回、このテーマで繰り返し続けている)

惨事後、関係する参加者が集まって出来事のふりかえりをすると、過覚醒状態も手伝って、特定の人物や組織、あるいはお互いに対する攻撃的な発言が見られることがある。
知識としてわかっていても、そうした言動やミーティングの場をファシリテートするのはロールプレイや現場で学ぶのがもっとも良い、というか他に方法はない。

一般的な会議やミーティングのファシリテーターとは違って、参加者のコミュニティ文化を熟知はしていない、参加者らが最初から友好的で協力的であるとは限らない、「ゴール」を設定するかしないか、設定するならばどんな落とし所にするかなど、かなりの臨機応変さが要る。

過覚醒的な言動が見られた時には、それを必ずしも否定したり、スルーしたりせずに、グループミーティングという「特殊な」場だからこそ(という態度で)参加者とファシリテーターが協働して扱うことがコツになる。
このコツ自体、現場どころか、ロールプレイトレーニングでも実践実行するのはやや難しい。

プラスして感じたのは、このような流れのファシリテートで大事なのはその最初の発言を直後に拾ってミーティングのテーマとして重要であることを参加者に示さなくてはいけないということだ。
タイミングが大事。

一度スルーしてしまえば、同じような発言、イライラした感覚などをナマのまま、正直に場に出すことのモチベーションは参加者全員から消え失せてしまう。
いったんそうなったら、そこからリカバリーするのはドンドン難しくなってしまう。
だから、「最初のタイミングを逃すな」という教訓が出てくるのだ。

一度、話の流れが上手くはかどらなくなってしまってから、あらためて仕切り直すということは個人に対するカウンセリングであれば、時間はかかってしまうができなくはない。
しかし、グループミーティングはファシリテーターの「ミス」が一気に参加者全員に伝わってしまう。
そして現実に再度、再々度のミーティングを設定することはまずないと思ったほうがいい。

この点はグループミーティングの難しさと、ファシリテートすることのプレッシャーとして認識しておこう。

2012-02-27 06:00

個人へのフィードバックにおけるメッセージコントロール

20120222114727

他人に何か助言やフィードバックをするときに嫌な感じを持たせにくくするための工夫にはいくつかある。

  • 最初に、言いたいこと、アドバイスは言ってしまう。フォローや微修正は後から
  • 話の途中でも、相手を観察して、トーンを変えたり、話を終わりにしたりと、臨機応変さを持つ

話を枝葉末節的なことや、「別に全然悪いというわけではないんだけどー」「うーん。何と言うか……」という風にはじめてしまうと、聞く側としては「結局何を指摘されるんだろう?」「早くズバッと言ってくれ!」という印象を受けやすい。
とりあえず言いたいこと、言うべきだと思えたことをストレートに出してしまったほうがいい。
軌道修正や補足、誤解していないかの確認や回避、オブラートに包んだ表現にする、などは後からでもできるのだという意識でいた方が良いだろう。

便利なフレーズ、テクニックもある。
何かとんでもなく相手がショックを受けるようなダメ出しをしたとかいうときでも「なんちゃって!…」と言ってしまえば、その前に話したことはすべてはご破算にできる。
極端なことを言うようだが。

フィードバックでいかにも「今は自分が気づいたことを教える時間だ」とばかりに助言を連続・羅列するのもうまくない。
褒めるにしても改善点を挙げるにしても、常に受け手の表情や反応を観察しながらする。
そしてその対話の空気をコントロールしていくと良い。
自分の発言・アウトプットに夢中になって囚われてはいけない。

こうした点・工夫はカウンセリングに通じるものだ。
話とコミュニケーションの流れは常に変化し続ける。
言うべきこと、教えるべきアドバイスなどを順番に予定通りに出していけばうまくいくとか問題が解決するというのではない。
かと言って、万事が行き当たりばったりの出たとこ勝負というのでもいけない。
要はバランスを見切って(繰り返しになるが)できるかぎりのコントロールをするのだ。

2012-02-26 08:00

年収1億円を目標に働いてみる

20120223130054

年収1億円と言ってもあまりまともな見積もりはしていない。

価値あるプロフェッショナルのコンサルトやカウンセリングセッションには1時間で5万円くらいは払うべきだろうという私自身の感覚から計算してみる。

カウンセリング1時間の相場は3万円 | deathhacks

時給が5万円だとしたら、1日8時間を一応の基準にすると日当40万円。
年間稼働日をこれも仮に250日と考えると40万円×250日間でちょうど1億円になる。

実際は、プラスとしてのボーナス支給を入れるともっと増えるし、税金を計算していないからそのまま1億円手に入るわけではないが。
それに1時間5万円を稼ぐためには準備や経費がかかるから1.5倍から3倍くらいの間でコスト計算しなくては。
この辺りはビジネス経営の経験や感覚がないのでかなり適当。

そもそも最初にふと思い浮かべた時給5万円というのは、上に紹介したエントリで書いたように、私が知っている範囲での本当のプロフェッショナルである、メンターらの価値を見積もってはじき出している。
彼ら彼女らは単純に考えて数千万円から1億円くらいの年俸を受ける価値があるんじゃないか。
売り方、売り込み方の問題は難しいけれども。

ということで今回は、私自身がそういったメンターらの能力に近づきたいというのと、その価値を市場で正当に評価されて欲しいという両方の欲求から考えてみた。

2012-02-24 06:00

うつと惨事は切り離して考えられない

20120222185343

うつと惨事に対する反応(いわゆるASD、PTSDなど)はどちらも心理臨床や精神科医療が扱うものだが、その相互関連はあまり認識されておらずまったく別のものととらえられている。
しかし私はうつと惨事というこの2つは結局は別々に理解したり、研究したりするのが不可能なくらい、密接に関係していて、まだらに混じり合っているものだと考えている。

例えば、知り合いの死や自殺、災害や事故などを体験した後には惨事に対する反応が現れる場合がある。
出来事が起きてから早い時期には、それら反応についての情報提供や回復の見通しを予測してあげたりストレスを緩めるためのツールを伝えたりすることが有効だ。
しかし、ショックを受けた人のうち、惨事の強度に応じた確率で反応が長引いたり、追加の出来事や環境の不具合などから、以前の状態への回復がうまくいかず、うつに移行したり被ってくるケースがある。
こうしたときには、元々の原因の大きな一つである惨事やその反応にあまりにずっと注目していてはケアや情報提供の焦点がずれることになる。

また、逆に疲労が蓄積するかたちでうつになっている人の理解やケアの一部にも、惨事やそれに対する反応を理解していていないと本質を見逃してしまう。
それはうつの人が一度悪循環が始まってしまうレベルまで疲労し落ち込んでしまうと、なぜなかなか回復のきっかけがなくなってしまうのかや、なぜ変化が感じられないほど少しずつしか調子が戻らないかの説明に関係するからだ。
これは「うつの人にとっては日常が惨事」になってしまう場合があるため、健康で元気な人の常識ではその怖さや自責といった気持ちがうまく分からないのだ。

さらには、いわゆる新型うつやディスチミア型、若者型といわれる種類のうつを説明するのにも惨事反応を組み合わせればしっくりくる。
なぜ自罰的でなく他罰的な言動が見られるかといえば、そこには惨事に対する反応である過覚醒が表れているからだ。
考えてみれば、うつの人でもイライラをつのらせて家庭や職場の人間関係でトラブルになることはよく聞く(その後に後悔や疲労につながり、より落ち込む要因になってしまうのだが)
自殺などは自分への攻撃の究極のものだが、一線を越えるには疲労や絶望といった感覚・感情だけではなく、同じように過覚醒や怒りのような高めの行動エネルギーが出るような状態が必要ではないか。

このように、うつと惨事は「両方を知っていたほうが良い」というレベルではなく、「両方を知らなくては良いケアやサポートはできない」というものであると考えられる。

2012-02-23 09:00

(関連エントリ)

うつの人の日常は惨事である | deathhacks

自殺があった後にマネジメントが出すべきメッセージとは

R4001589

惨事後のメンタルサポート介入の内容は多岐にわたる。
そうは言っても世の中にある活動や商品、ポストペンションの作法は無数にある。
何か確立した定義や基準があるわけでもないからアナログに臨機応変にするべきことは決められる。
言ってしまえばポストベンションに関する制約は、クライアントの理解そして要望とサポート側の能力つまり限界で決まる。

一般的なポストベンションにはっきりと書かれている仕事ではないが、自殺があった組織の管理者らへのサポートは重要であるし実際に期待もされる。
さらにその細部として例えば、自殺の翌日の朝礼や朝会のような場でどのように出来事を組織の人間に伝えるかというような部分にもアドバイスすることが我々にはできる。

こうした高ストレス状況では、マネジメントがどんなメッセージを出すかということにとてつもなく注目が集まる。
この部分の扱いで、集団としてのパフォーマンスやショックからの回復が大きく変化する可能性がある。
逆にまずい言動があれば、平常は表面化していなかった問題や人間関係までもが吹き出すことにもなる。

自殺や事故直後のメッセージが問題なかったとしても、さらに2回目以降のメッセージや情報の発信にはプロのノウハウやアドバイスがあった方が良いし、私は準備している。

2012-02-22 10:00

(関連エントリ)

自殺や事故に対して管理者がまず出すべき2つのメッセージ | deathhacks

ビジネスにおけるせっかちさ

20120220122025

別に個人が性格、性質としてせっかちなのはOKだろう。

ただ一定レベル以上の「それ」がビジネスでのヒエラルキー、コミュニケーションの中に出てくると問題になる。

その仕事や命令が組織としての決定を背景にする、トップダウンのものであればまだ正当性は保てるかもしれない。

しかし、個人の意思やスタイルの過剰な表現であるならばハラスメントやディスコミュニケーションの原因になる。

結局はこの「一定レベル以上」とか「過剰か否か」という部分がどうしてもクリアに判定・判断できないから難しいのだけど。

2012-02-21 08:00

守ってもらえないことによる彼女の無力感

20120218121248

「(誰からも)守ってもらえない」という出来事でうつになったケースを紹介。
内容は脚色している。

ある会社の、就職して半年の女性がうつで出社できなくなった。
電話で顧客のクレームを対応したのがきっかけらしい。
その時期から電話を取る事自体が怖くなっただけでなく、社内での必要なコミュニケーションも極度に苦手になってしまい、体調もすぐないため医療や病休を利用することになった。

話を聞くと、就職活動で相当に苦労したこと、なんとか就職したあとも新人としての頑張りや生活の変化から、電話クレームのエピソードの頃は心身ともに疲労のピークだったようだ。
そこにややこしいクレームの対応をする状況になり、若干のミスも実際にあって対応そのものも不調な結果だったという。

しかし、彼女が言うには「確かにその電話や対応のミスは、ショックではあったけれども、もっとショックなことがあったんです」とのこと。

「私の説明が不十分で電話先のお客様が突然怒り始めてしまいました。実際のところはっきり言って理不尽なレベルの要望をされておりまして。うまくご理解いただくことができず、さらに受話器から聞こえる声が高ぶってきて。結局、途中から上司が引き継いでくれてその場はおさめていただき、後日も丁寧にその顧客をケアしていくことになりました」

「でも、一番のショックは上司に『すみませんでした』と謝ったらば、『お客さんの意見はともかく、君の対応や言葉の選び方もうまくなかった。もう少し注意してくれよ』と言われたことです」

思い出してもらっても、その上司は人柄がよくないわけでもなく、怖いとか苦手とかいうことも元々はなかったのだが、その言葉を聞いてからあとその日一日残りは半ば放心状態だったという。

彼女の場合、もちろん元々疲れが溜まっていたことだけでなく、新人という立場でまだまだ自信は持てず無力感が強い状態だった。
そこにクレーム対応という惨事的な出来事が降りかかり、さらには「(守ってくれると思っていたのに)守ってもらえなかった」という出来事が続いた。
この最後の「守ってもらえない」という部分の無力感、自分の価値が否定される感覚が大きな衝撃となり、その後の自然な立ち直りもうまくできずに勤務自体が難しくなってしまったのが彼女のケースだ。

周りから見れば、「確かに電話クレーム対応は大変だけどあそこまで落ち込まなくても……」という風に見えるし、本人もなぜうつになるほどショックを受けたのかよくわからない。
結果として、回復には時間がかかってしまった。
気持ちやきっかけの背景が不可解なままだと、一般的な休養や医療というサポートがメインになり、あとは本人の能力や状況のせいということにするしかできないからだ。

こうしたケースでは、通常のケアやサポートだけでなく、「どうしてそんなに落ち込んだのか」ということを少しでもわかっておくことが、回復のための良い薬にもなるし、以後の仕事や生活の上でも自信や安心を得るツールになる。
無力感の理解や深い理解と応用力はそのために必要だ。

2012-02-20 08:00