自殺者の葬儀での身内のふるまいは難しい

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自殺者の家族や身内は、葬儀を行う場合に、様々な関係者の視線にさらされる。
関係者というのは、学校や職場など自殺者が所属していたコミュニティの人間、参列者、葬儀業者、僧職者、(色々な程度の付き合いがあった)親類などだ。

現実として、自殺という生命の終え方は、これらの人たちから、それ以外の死に方以上に忌み嫌われる傾向がある。
その背景には、自殺というものに対する怖さ、不思議さ、意味のわからなさ、不可解さ、理不尽さ(に対する怒り)、軽蔑などの感情があると思われる。

自殺者に近い家族兄弟などの身内はどのように葬儀でどのようにふるまうか(どう見えるか)を注目される。

取り乱して、葬儀という儀式ををうまく進められないと、当事者としては無力感を感じる。
身内の自殺という出来事によって、それを止めることができたのかできなかったのかを思いめぐるなどして失った自信をさらに削られるような状況が振りかかる。

参列者や関係者、ときには大なり小なりの社会に対して、責任を感じる部分もある。
すまない、申し訳ない、と自分を責める、あるいは責められる感覚を公の場で味わうことになる。

逆に、麻痺や回避のようなしくみで、または意識することによって、見かけ上あまりに淡々としていると「ショックを受けていないのではないか」「悲しくないのか」「責任を感じていないのか」などのような誤解を受ける。
実際に感情的、精神的な麻痺というのは自己防御や生命保護の機能としてはとても有益で大切な能力であるはずなのだが、その理解や感覚を持たないで、その点を強調するような状況が起きると、これもまた強烈な自責や無力を感じることにつながる。

理想的には、徐々には、こうした人間の心理や精神的側面は個人や社会に広く知られていくであろうが、そうでない時点ではどこかのポジションにいる人がキーパーソンになって、または助言者やサポーターを置いておくとなにか困ったときには助かる。

2012-01-31 08:00

(関連ブログエントリ)

自殺者をおくる人 – 自殺サイト:自殺 臨床心理学

惨事対処カウンセリングでの紋切り型説明から卒業しよう

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惨事体験をしたクライアントとのカウンセリングにはポイントが3つある。

  1. メッセージコントロールをしながら、まずは事実と体験を丁寧に教えてもらい、その上で感情部分を拾い上げる
  2. 惨事に対するクライアントの反応(ASR、ASD、PTSR、PTSDなど)について解釈と説明をする
  3. 今後の見通しや回復の流れ、セルフでの対処ツールやサポート資源を伝える

今回はこの内、2番目の「クライアントの反応についての説明」の部分のコツを一つ書く。

まずは惨事やそれへの反応について理解しているのが大事だけれども

惨事後一般に現れることが多い反応_回避、侵入、過覚醒など_については有名にもなってきているし、学習の初歩段階で出てきていると思う。
はじめの段階でクライアントの体験の中に、これらがどういった形で出ているのか、あるいは出ていないのかなどについて、意識しながら話を聞く必要がある。
釣りで魚がいそうな、だいたいの場所の見当がついていなければ、目の前に泳いでいても見逃してしまうように、メッセージコントロールをしつつも当たりをつけていく。

説明は紋切り型のものでは足りない

せっかく体験を教えてもらう段階がうまくできていても、情報提供やクライアントの反応を一般化する段階で、急に堅苦しく説明調が強く出てしまう人がいる。
自分が学び、教わった、ASDやPTSDなどについて、教わったそのままに近いトーンや言葉で、まるで教室で授業をしているような感じでクライアントに話し始めてしまう。
これは「型」というものの誤った使い方だ。

惨事反応の知識はだいぶん一般にも知られるようになってきたけれども、それを学ぶのに便利な「型」と、現場で今まさに困っているクライアント支援するのに適当な「型」は違うのだ。
現場では常に調整・アレンジ・カスタマイズを工夫しなくてはいけない。

常にクライアント主導で動く

ここでお勧めするやり方の一つは、まずクライアントに今まさに困っていること、気になっていることを質問することから始めるというものだ。
これは質問ではあるが、もうすでに体験をあらかた聞いているのであればつまり、確認する、ということでしかない。

例えば、「自分にもっとできることがあったはずなのに逃げることしかできなかった。それを思うと安心して眠れない」というような話であれば、なぜそのようになるのかを、本能や自己防御として、あるいは別のケースや人が感じた事例などを利用して説明する。
現場のクライアントは惨事に対して人に現れる反応を体系的に、網羅して知りたい、勉強したいわけではない。
現場で必要とされるのはまずは自分の感覚に対応するピンポイントの理由や説明だ。

まとめ

「型」というものは、あるレベルまではカウンセラーがはらう労力を減らし、予想外のことが起きる確率やそれに対する不安を軽くする。
しかし、そうしてリスクを減らしたり省エネを求めることはツールであって目的ではない。
もちろん初級者であれば、定型的な質問をコンパクトに伝えられれば合格だ。
カウンセリング全体のメッセージコントロールがおかしくなければクライアントは安心を感じたり、次につながるようなきっかけを受け取ることができるだろう。
ただ、全体の流れを見る余裕が持てそうならば、今回書いたように、ポイントポイントで今目の前にいるクライアントに対してはどうするのが良いかという問いを繰り返しカウンセラーが自身に確認すると次の段階にレベルアップできると思う。

2012-01-30 12:00

「わからない」ということ

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昨日は二人から同時に「〇〇さん(ちゃん。私のこと)って何を考えているかわかりにくい」「機嫌が良いのか悪いのか会ってもすぐに読めない」「なんでこないだ、ああしたのか不思議だ」などとなかなか率直な指摘を受けた。

「わからない」ことを受け入れる

世の中、考えれば当然だが、わかること、理解できることばかりではない。
何かの分野で8、9割を理解したとしても、残りの1、2割を自分のものにするには時間も労力もかかることがありうる。
もちろん完璧や100%を目指すこと自体は悪いことではないが、「まあ、こんなもんで今はいいかな」とか「しばらく放っておこー」というくらいのいい加減さ、あるいは現状をそのまま受け取る覚悟のようなものはあってもいいと思う。

「わからない」と感情を分ける

わからないことに対する不安というものは誰にでもある。
裏を返せば、多くの人は情報や知識・能力があればあるほど、安全だったり、物事がうまくいく上手くやれると経験などから知っていて、安心することができる。
しかし、上にも書いたように現実として未知や限界はある。
そのときに感じる不安や物足りなさ、焦りなどは果たしてメリットとデメリットのどちらが大きいだろうか。
「未知のものに対する好奇心は人間の本能ではないか」「足りなさを感じて補おうとすることは成長の原動力になる」という意見はあるかもしれない。
ただ、純粋な好奇心と不安や焦りは分けるなり、敏感に感じ取って認識しておく方がいいものだ。

「わからない」と能力を切り離す

わからないことに居心地の悪さを感じると、原因が知りたくなる。
他人の気持ちや考え方がわからないとなると考えられる理由には何があるだろう。
この理由に能力を結び付けたくなるのではないか。
相手の表現が変わっているのではないか、隠しているのではないか、コミュニケーション技術に問題があるのではないか、などなど。
あるいは、自分が他人の感情を読み取るのが下手なのではないか、経験が不足しているのではにないか、嫌われているのではないか、と。
しかし、先にも述べたように、ただあるがままに誰の力が足りていないというのでもなくわからないということはよくある。
感情と同じく、割りきって、「不思議なこともあるものだ」「変わった人がいるなー」くらいにある意味冷めた視点を持てばいいのじゃないか。

私自身は筋が通っているつもり

私自身は、特に人を煙に巻くとか、奇行で目立とうとかそんな意図はない(と思う)
いたって素の言動、感情表現、コミュニケーションをしているつもりだ。
しかし、今回書いたようなことの逆の了解として、出逢う人すべてに、100%わかってもらうとか好かれるとかいうことは期待していない。
挑戦としては興味深いけれども。

ただただ、なるたけ純粋に、生きてみようなどと思っている。
それは時には、極端に言うと「狂気的なもの」だったり、他人が「傷つけられた」「怖い」「嫌だ」と評価するものだったりするのかもとは思う。

2012-01-29 10:00

チームが意思決定するときには事前に準備しておくことがある

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選択はまったくの自由なのだが、ある仕事を為すためには、一人でやるか複数人のチームでやるかに分けられる。
そしてチームを組むことを選んだ場合に仕事そのものではなく、システムとして重要な要素が、リーダーシップと意思決定だ。

リーダーシップとは、チームや組織の具体的な大目標や方向性が決まった状況で、チームの一人ひとりが最大限活躍し成長し満足が得られ、かつ組織全体としても成果を上げ目標を達成するためのマネジメントのこ
とだ。
リーダーシップについては今この本を読んでみている。

リーダーシップの心理学 (講談社現代新書 (725))
国分 康孝
講談社
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さて、もう一つの要素の意思決定について。
これはいわゆる民主的な運営スタイルを取っているチームや組織の中で行われる合議や相談にあたり、ツールとしては多数決などが使われる。
組織内であらかじめ権限や責任がはっきりと分担されていれば(リーダーシップも分担された役割の一つだとも考えられる)、普段は各人それぞれが自分の範疇の仕事を小判断・小決定をしながら進め、必要な段階や対象、重大性があるときに意思決定という組織業務が現れることになる。

複数人が情報や意見を出し合い、状況判断や方針決定をするとき、もしくはそうした仕事が予想されるときに大事なことは以下のようなことだ。

  • 意見が食い違ったときにどう処理をするのかを先に決めておく。多数決でも、原則全員一致でも、(意見が割れたときには)最上位者に一任するでも、どれでも良いと思う。ただし、話し合いや決定をする段階の前にやり方を決めるべきだ。でないと、それぞれが自分の存在や意思を尊重された感じにならず不満の元になる。多数決の結果が反故にされ、上位者や押しの強い人間の意見が優先される結果になるなどのように。
  • 議論や意思決定の過程を記録すること。誰がどういう意見を出したか、多数決をしたときの少数意見としてどういうものがあったか、折衷を図ったかなど。これは一つ目の「意思決定のやり方」にも関連する。最終的に出す結果はシンプルであっても、反対意見や少数意見が最後まで懸案事項として残ったのか、それとも説得されたのか、あるいはトップが強権的に責任を持って裁量したのかということを曖昧にしないためだ。ここが曖昧だと繰り返し同様の会議をしたときに振り返ることができず、組織の一貫性が落ちる。
  • 上記2点を踏まえた上でも、複数人が会議し意思決定をしたならば、その決定事項は会議参加者以外から見れば参加者全員の成果だと見なされる。例えば後から「自分は最後まで反対をしていた」とか「リスクに気づいていた」などと言ってもいいが、それは単なる事実であって、責任を減らす役目にはあまりならない。それが意思決定や会議というものだと思う。

2012-01-28 09:00

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グループミーティングの訓練に使うシナリオをGPLにする

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最近の勉強会(メンタルレスキュー塾)では続けて数回、グループミーティングをテーマにしている。

扱う事例の内容としては、ある集団に降りかかった惨事的イベント後に、事態収拾や個々の反応、以後どのような処置をすると良いかなどについて、心理的な助言やサポートをするという設定でグループロールプレイをする。
このときファシリテーターだけがトレーニングすることになるわけではなく、一人ひとりの役作りやロールプレイ、グループ内での力動(ダイナミクス)の体験や終了後のふりかえりなど、うまく構成すればとても多くの学習効果が得られる。

このトレーニングで使うシナリオは即興で作ることもあるが、たいてい実際の出来事や経験を持ち寄って、アレンジするなどして利用する。
しかし、なかなか個人では、この材料がまったく経験上から見当たらないとか、回数を繰り返すのに種類が少なかったりするという問題が出てくる。

ある程度皆で協力して準備をし、練り込み、役作りも工夫や洗練をして、元の事例からも秘密保持の観点から匿名的な処理をしてシナリオを作ったのならば、なるべくそれを記録して、機会があれば改良しつつ、皆で共有化すると良いと思う。
そして、合意が取れれば、GPLなどのライセンスで公開すると良いのではと思う。
そうすれば、個人が著作上の権利を主張して、せっかくの丁度良いシナリオがうまく活用されないということにはならないだろう。

実は、うつや惨事後の個人に対するカウンセリングロールプレイで用意する、クライアントのロールについてもその度毎に即興で作るのではなく、試験のようなときにはある程度は定型化し、数や種類を増やして、これもまた権利上の注意を払って共有財産にするのがいいだろう。

2012-01-27 17:00

トラブル解決ではなく、プラス成長を求める社会

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今私が知っていたり、経験したメンタルヘルスの現場や技術は、主に心理やその周辺の悩みや問題によって起きているトラブルへの対処をサポートするものだ。
言ってみれば、生活の質に平均的なレベルがあるとして、それがマイナスになってしまっているものをゼロ(平均もしくは標準)に近づけたり戻したりすることが目標になる。

しかし、社会や人間の要求や好みは移ろいやすい。
述べたようなマイナスをゼロに持っていく、(大部分の)医療が目指すような仕事だけではなく、今の世の中では、標準的な生活や生きがいをクリアした上で、さらに個人としても集団としても上を目指す、プラスをどれだけ増やすか、そのためにはどうしたら良いかという課題の解決が求められている。

最初に書いたように、すぐにこれといった解答を論理的にすることができない。
ただ、一つには、「マイナスをゼロへ」モデルの延長ではあるが、メンタルヘルス周囲に関してのトラブルやインシデントに対しての自己評価と自己解決能力を各個人が身につけるというやり方は考えついている。

これは確かに「マイナスをゼロへ」というツールに近いのだが、こうした安全策や危機管理態勢が個人レベルで充実することによって、人は仕事や生活を安心して、より高いレベルでこなすことができるだろう。
同じ吊り橋を渡るにしても、手すりがあるかないか、それが十分な高さがあってしっかりしているか、揺れが大きいか小さいかで、危険性や歩く速さはまったく違ってくるはずだ。

今の社会は、情報が増え、楽しみや交流も多様になってきているが、それだけ不確定なことや問題も増えていたり新しく目のあたりになってきていたりする。
その危険性やそれに対する怖さはいきなりゼロにすることは難しいが、命綱のような受け皿があればそれだけ安心して失敗を恐れずに挑戦できる。

このテーマについてはちょうど私のメンターの一人が関わっている仕事に、考えを進めるヒントがあるのではないかと思っているので次の機会に議論してみようかと考えている。

2012-01-26 09:00

裏メッセージについて考えたその続き

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昨日のエントリのテーマだった「裏メッセージ」を勉強会でも取り上げた。
(というか、勉強会のテーマに合わせてエントリを書いた)

昨日のエントリは以下のもの。

裏メッセージとは何か、それをどう避けるか | deathhacks

勉強会の中やその後考えたことなどを補足してメモしておく。

  • 「裏メッセージ」について説明する前に、「メッセージ」について十分に説明しておく必要がある。メッセージコントロールでは、一般的に使う「メッセージ」という言葉を独自に拡張しているからだ。ここでの「メッセージ」は言葉やフレーズの内容だけを指してはいない。声音や表情、身体の姿勢や態度、タイミング、順番、時期などカウンセラーが出す情報、そしてクライアントが受け取る情報のあらゆるものが「メッセージ」になりうるという考え方をしている。このため我々はトレーニングの手段として、逐語録分析よりもロールプレイと直後のふりかえり・フィードバックのようなものが有効だと思っている。
  • 昨日のエントリ内では、裏メッセージというものは悲しみや怒りなど、いわゆるネガティブな感情を引き起こすものということだけに限定していた。しかし、考えを広げれば、ポジティブな感情も裏メッセージに加えて良さそうだ。例えば、ハッキリと拒否の返事をしないであいまいな返事をしていたら相手が勝手に都合の良いように解釈して断っている意図が伝わらないような場合だ。
  • クライアントがカウンセラーから裏メッセージを受け取るのと同じように、カウンセラーがクライアントから裏メッセージを受け取ることもありうる。例えば、クライアントの言動に対して、不快な感情を持ってしまったり、状況が改善もしくは進展しないことに対してクライアントとはまた別にカウンセラーが不安や焦りを感じてしまったりといったものだ。これは陰性感情や感情転移と言っているものなのであらためてここで取り上げるものではないかもしれないが。いずれにしてもこのような感情や裏メッセージを予防するには、うつなどで起こっている感情や思考のしくみ・パターンを具体的に学んでおく、スーパービジョンを活用するなどの方法がある。
  • 言葉というものはそれだけを見ると常にあいまいなものである。感情や思考を記録したり共有したりするための抽象化のツールであるから実際のそれらとの間に必ずギャップがあるのが当然だからだ。あいまいさの中でもクライアントは最も悪いとらえ方をすると思っておくこと。それがうつ的思考の一つの性質であるからだ。もっとも、好ましくないコミュニケーション誤解だとカウンセラーが思うからこそ裏メッセージというものを特別に取り上げて考察したり勉強会で意見を交わしたりしているわけだが。

2012-01-25 10:00

裏メッセージとは何か、それをどう避けるか

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裏メッセージというのは、ある人が発した言葉や表した態度などによって、受け手が不快に感じたり、怒りを覚えたり、傷ついたりした場合に結果として判断される言動のことだ。これには、話し手などに「特に何かはっきりと伝えようと思ったことがあったわけではない。何の気なしに出た言葉」という場合もあるし、「まったく(裏メッセージとしてとられたような)そのような意図はなかった。むしろ良かれと思って言った」という場合もある。

いずれにしても両者の認識が異なっていて誤解が生じており、一方(通常はクライアント)が悲しさや腹立たしさというような気持ちになっている状態が生まれることになる。

裏メッセージがなぜ起こるかという背景になるのは「何を言うかではなく、誰が言うか」ということである。

先に書いたように、話し手は相手を傷つけようとか責めようという考えはないことが前提には確かにある。
とは言っても、厳しい指摘や非難、論理的とは言えないような理屈の強要であっても、聞き手が励まされたり、嬉しく思えたり、開き直る原動力になったりすることが世の中には実際ある。

内容ではなく「誰が言うか」が大事だというと、「自分は自分であって人格や立場を自由自在にクライアントに合わせて変えることなんかできない」とか「そもそも自分はそんなに立派な人間ではないから……」と思ってしまう人がいる。
「誰」というのはそれほど難しく、複雑なことは指していない。

話し手(クライアント)の状況や気持ちについて十分に知っているか。
知らないのであれば、まず十分に聞いてみようとしているか。
絶対量として、聞くこと、知ることに時間と労力を使ったか。
当然するべき質問を遠慮や自分の心理的ブロックによって尋ねそびれていないか。
こうしたことがメッセージを出すときの「誰」をクライアントから見て変化させる。

つまり、クライアントの話を聞いたり、状況や情報を教えてもらうことで、数分から数十分の時間の中でもクライアントから見たあなたの印象や立ち位置が変わるのだ。

あるメッセージを出して受け入れられないまでも、裏メッセージになることをなるべく避けるのには、自分の価値観を押し付けないことも重要だ。
いくら十分に相手の情報が頭に入ったとしてもそれが相手の持っている100%のものであるかやすべてが真実あるいは事実であるかはわからないものだ。
それなのに自分個人の考えや思うところの常識を唯一のもののように披露することは聞き手の価値観を否定することにつながり、裏メッセージとなりがちだ。

さらにこの傾向が強く熱心になると、心理カウンセリングなどではカウンセラーがクライアントの感じ方を変えるだとか、我慢するだとか、新しい行動をすることを提案し実行を約束させたり管理したりしようとすることにつながる。
結局、カウンセリングというものの基本原理から言えば、クライアントを変えることなどはできない。
クライアントが変わるようなサポートをしたり、カウンセラーや周囲との関係性にわずかに手を加えることくらいしかできないものだ。

こうして、裏メッセージがどのように生まれ、どうすることがその予防になるのかを色々と考えても実際の現場で決定打となるようなコツはない。
あれやこれやと練習したり、シミュレートしたりしても、裏か否かを決めるのは未だ見ぬ明日会うクライアントだからだ。

うつクライアントへの対応の場面として、一つ言うとすれば「うつクライアントはあらゆるメッセージを裏に取りやすい」ということを様々な形で理解しておかなくてはいけない。
同じ言葉や表情がうつの人にとっては、頭がうまく働かないことや自責、自分の存在価値の揺らぎ、不安などによって裏メッセージになってしまう。

裏メッセージが生まれてしまう原因の2割は説明不足だ。
頭がうまく働かない、誤解が生じやすいということをよくわかった上で、細かく反応や理解を確認したりするのが良い。
別に一度に流れよく話す必要はなく、随時付け足し、補足すればそれでも良い。

また、自責やクライアント自身の自己評価の低さなどを裏メッセージにつなげないためにはすでに述べたように時間と労力を省かずに費やして、十分にクライアントの状況や感じていることを知ることが要る。
これは「味方」になるということだ。
味方になる、ということはカウンセラーが「誰」であるかが変化していることを表してもいる。

2012-01-24 13:00

倫理規定をつくらないことのリスク

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団体や個人が心理カウンセリングもしくは危機介入などを業として請け負う場合に「倫理規定」を持っていない場合のリスクについて考えてみた。

心理カウンセリングやメンタルヘルス周辺のサポートというものは、医療との間に少なくとも日本の制度上は一線を引かれているが、ヒポクラテスの誓いを元にした「害をなしてはならない」という原則は最小のルールとして適用されると一般に考えられている。
一方、多くの団体(例えば、産業カウンセラー協会や臨床心理士会など)では、倫理規定を独自に整備しそれにのっとり現場や運営を管理している。

倫理規定を作り公にし運用していないと、以下のリスクがあると考えられる。

  1. 外部から、倫理規定すらないのかと見られる
  2. 非倫理的と思われる事柄があいまいなため、運営・活動の判断や行動を躊躇する
  3. 個別の非倫理的事案に対して判断や裁定を下すのに都度時間や労力がかかる

1については一定規模以上の事業や団体であれば、倫理規定があって当然という時代になっているという現実がある。
個人情報の取扱いについてやや過剰とも言えるくらい説明や同意の確認がされるのと似たようなものだ。

2で想定しているのは、個人個人が常識と思っていることの違いによる混乱やトラブルが日常的にあるということだ。
細かな不具合があっても、社会や行政などの多数やお上が咎め、悪いことや避けるべきこと、してはならないこととして決めていないことすべてに対していちいち指摘したり気をわずらわせたりすることは気持ちの上で大きなロスや消耗につながる。

3で挙げたように、実際に明らかなトラブルがあったときにそれをどう処理するのかということを考えておかなくてはいけない。
その処理にあたり、基準がまったくなければ、それぞれに対して一から議論をし判断をしなくてはならなくなる。
そして一度そうした仕事をしても、それがまた再利用できる確率は低い。事案というのはすべて固有の要素からなっているからだ。
これが個人ではなく団体であれば、トラブルのたびに集まり相談し決めるということに大きなコストを払わなくてはいけなくなる。

倫理規定を作るか否かについての私見

こうした規定というものは、トラブルや事件が起きてから考えるべきものではない。
後からさかのぼって当てはめるということは一般の法と同じくやることは適切ではないからだ。
それこそ、そうした事自体が非倫理的と思われかねない。
理想的には、可能な限り予想できる事態に対処できるような共通認識を明文化し、トラブルの予防のために利用できるようにしておくことだ。

実は私は、倫理規定をどんな個人カウンセラーや心理サポート団体であってもつくるべきだと言っているわけではない。
今回書いたようなリスクがあることをわかった上で、そのデメリットよりも大きなメリットがあると考えれば、慌ててこうしたバックオフィス的な仕事を優先する必要はないだろう。

心理カウンセリングや惨事に対する介入サポートというものは、扱う内容やテーマが人間関係や人生そのものということになる。
しかもその内でも、個人の力や法律、金銭などでは解決したり、良い変化をもたらすことが難しいものを扱うのが必然となる。
もちろん、繰り返しになるが、一つ一つすべてを時間と労力を使って話し合い、議論を詰めて結果を出してもいいのだが、多くの場合「ケースバイケース」というような言葉であいまいさが残るだろう。
それが人間関係や集団の社会というものだ。

なぜそれ(倫理規定)があるのか考えたことがないが最初から当然のように頭にだけは入れ守っていた人も、そもそも有意義なことをクライアントの合意の上でやっている行動(カウンセリングやサポート)なのだから問題が起こったり非難されたりすることはあるはずがないと思っていた人も、あらためて考えてみるべきテーマだと思う。

2012-01-23 11:00

(関連エントリ)

倫理規定は要らない | deathhacks

(関連URL)

倫理規定を作らなかった倫理的な企業:発想七日!:ITmedia オルタナティブ・ブログ

鎌田麻莉、気ままに日々を語ったり、お知らせしたり | 倫理綱領について その1

ヒポクラテスの誓い – Wikipedia

害をなしてはならない – Google 検索

知る必要のない秘密を聞いてしまうこと

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世の中、思っている以上に秘密というものはいっぱいある。

知りたくなってしまうという秘密はもちろんある。
人には好奇心というものがあるから。
本能的に、より多くの知識や情報があると生存や快を得るのに有利だということをわかっているということもある。

場合は少ないかもしれないが、聞いてしまったあとに「聞かなければ良かった」と感じるような秘密もある。
物事を忘れないようにしたり、憶えておこうとするためには普通意識的な努力が必要だが、逆にわざと忘れようとして苦労し苦しむこともある。
不快な思い出やトラウマ的な出来事が記憶に残り続け、繰り返し頭の中で再生されることが人生に大きな影響を与えることが実際にあり得る。

情報の量が増え、社会が豊かで複雑になった現代では、一度知ってしまったからといって、思考としても立場としてもそのことを知らなかった以前の状態に戻ることができないということが存在する。

秘密を話す側は特別意識をしていなかったとしても、知っているはずの無かった秘密を聞いた人間は、今度は秘密を守る立場になってしまったりする。
それは難しいことではないかもしれないが、こころのリソースをいくぶんか消費し続けたりするのでちょっとやっかいに思う。

こんなときには、そもそも秘密をなるべく作らないようにすればいいのにとも考えてしまう。

2012-01-22 12:00