文章を毎日書くということ

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文章を毎日書くことで、色々な準備ができる。

漢字や言葉の使い分け、自分の作文の癖、MacやiPhoneやWebやエディタツールなどの設定と調整、書けるおおよそのスピードなどなど。

これらをトレーニングしておけば、いざという時に最小限の慣性モーメントで動きだし書き出していくことができるようになってくる。

2012-09-25 08:00

Posted from Drift Writer on my iPad

ショックな出来事に対処するために持つべきは「意識」と「知識」と「儀式」

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惨事の衝撃は時に甚大だ。

私たちが現場で介入サポートをするのは、問題や悩み、悲しみを解消してゼロにするためではない。
そもそもそれは不可能だ。

出来事によるショックは人によって違うし、そこから回復するペースもまたそれぞれだ。
サポートにはそうした回復を、可能な限り妨げないようにしたり、自然な回復を待つのが得策ではなくなっているような特別な状況・事情を察知してフォローアップしたりするためのコツを個人や集団に残すことも含まれる。

コツを簡単にまとめて言うと「意識」と「知識」それに「儀式」の3つだ。

自分を観察して、状態を「意識」する

自分の気持ちや体調を、できるだけ客観的に評価してみるのは大事なことだ。
特に日常ではない、ショックなことが起きたあとしばらくは。

ビックリしているのも、頭が真っ白になってうまく考えが進まないということはある程度仕方がない。
現状をそのままに受け入れることは、打ち負かされることとは違う。

怒りやイライラだって、闇雲に抑えるのがベストとは限らない。
実害を自分や他人に与えることさえ避ければ、感情を多少外に出して表現することは許される。

自分や周りを観察して、変化を意識し、1週間や1ヶ月くらいの間で比べてみることは直接・間接に、衝撃による反応から日常への回復を助ける。

ショックな出来事によって起きる反応を「知識」として持つ

反応を意識するとは言っても、それだけではなかなか自分の立ち位置や状態についての不安はなくならない。

一般論であるにしても、反応や回復の標準的な様子や経過を知っておくのは、精神的な安定を得るためにはとても有効だ。

人間はごく短期間の未来であっても、予想ができない事柄については大きな不安を感じる。
逆に、数ヶ月先までの、そして多少ネガティブな状況であっても、ある程度根拠を持った予測があれば、なんとか安心して持ちこたえられる。

また、平常うまくいっているときに、こういったピンチのときの反応や対処を積極的に知ろうとは思いにくい。
必要に迫られたときこそ、現実に役立つ知識を仕入れる絶好・最適の機会になる。

現実的なツールとしての「儀式」を持つ

意識や知識は、それ自体目に見えたり、直接に自分を助けてくれるものではない。

意識・知識は大事だが、それをベースとした上での具体的なツールがあることで実際にサバイブする確率が大きく変わってくる。

とは言っても身構えすぎて考える必要はない。
ちょっとした「儀式」を困ったときこそ探してみる、または平和な日常のうちに手に入れておいて小さなピンチのときに試しておけば良い。

儀式は、呼吸法(腹式呼吸でも、数えるだけでも)やストレッチ、お祈り、メモや手紙を書くこと、静かに周りの音や空気・温度を感じてみる、散歩する、などなどなんでも良い。
「これをやってみたら?」と勧められても、結局自分にそれが合うかは人によってバラバラだ。
自分の感覚を信じることと色々試してみるしかない。
そうして試行錯誤してみること自体、突き詰めすぎなければ癒しにもなる。

ここでの儀式・ストレス解消法は、それだけですべての不安やトラブルが解消するというような完璧・万能なものでない方がかえって良いかもしれない。
その代わり、本当に身近で、コストをかけずにいつでも繰り返せるようなものがいい。
1つでも2つでもこうしたツールをお守り代わりに持っているかいないかは、個人毎ストレスへの対応力の大きな違いになる。

2011-05-18 08:00

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ベストな比ゆ、というものは在らずや

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万人に響く比ゆ、というものは存在しない。

比ゆは何かを伝えるときの強力なツールになりうる。

ただし、過信やこだわり過ぎは禁物だ。

自分が聞いたときに、スッと腑に落ち、感動したような比ゆを、自分がまた別の場面で使おうとするときなどでは特に注意が必要になる。

聞き手にうまくはまらなかったときに動揺してしまったり、聞き手の感性や予備知識のせいにしてしまったりする。

そもそも比ゆというのは、説明したい対象そのものとは異なるものなのだから、必ず理解の助けになるというものではない。

もちろんできるだけ多くの場面、多くの人に受け入れてもらえる比ゆを目指し、探すことは大切だが、限界も知っておこう。

うまく落としどころがないようならば、すぐに謝って、また次の、別の比ゆを出せば良い。
あるいは、理論や事例との合わせ技を用いる。

比ゆが決まれば皆気持ちは良いけれども、学ぶことの本質ではない。

2012-04-19 08:00

単純理論、事例、比ゆを組み合わせる理由や背景 | deathhacks

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カウンセラー自身の価値観によるブロックを克服する方法

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カウンセリングの最中に現れるカウンセラー自身の価値観は、時にクライアントの先入観や思い込み、しがみつきやイラショナル・ビリーフよりも対応がやっかいだ。
経験や論理、テクニックとして、このリアクションをした方がいい、さっきあの質問をすれば良かった、と分かっているのに躊躇してしまう。
結果として、話の流れ全体のリズムが崩れてしまう。

カウンセリングはカウンセラー自身との対決である | deathhacks

クライアントに「変わらなくていいよ」と言うことはチャレンジである | deathhacks

確かにその人が持つ価値観や人生観を変えるのは難しい。
それが簡単にできるくらいなら、そのやり方を、悩んでいるクライアントに使えってしまえば、よりシンプルに悩みは解決できてしまう。

かと言って、カウンセラーが自分のコンプレックスやカウンセリングの場面で邪魔となる価値観をコントロールするのに、「時間がかかる」とか「ロールプレイを回数こなすしかない」と断ずるのは早い。
カウンセリングの歴史は浅いし、世の中や社会、人類は変化している。
ノウハウの蓄積や技術、ツールの進化や普及も著しいし多種の分野にまたがっている。

今回の「カウンセラー自身の価値観がカウンセリングにおいてマイナスになっている」ことを克服するにはアイデアが2つある。

一つには泥臭く同じ場面を繰り返しトレーニングしてみることだ。
セクシャルな話や異性関係を扱うのが苦手ならば、まずはその触り・イントロだけでもケースやパートナーを変えて何十回もロールプレイしてみる。
お金を巡るトラブルを冷静に聞けないというならば、同じような相談場面に何度も模擬で触れてみる。
自由なテーマやトピック的なクライアントを用意するのでは中々ピンポイントでそれぞれが試してチャレンジしたいロールプレイにはならない。
このときには、腹を括って、ある程度の時間は無駄になるかもしれないと割り切ることが大事だ。

もう一つは、苦手なテーマ毎に相談聞きのツールやパターンを用意してしまうことだ。
借金であれば、いつから、どこから、いくら借りているか、周囲の誰がどこまで知っているか、収入はどの程度あるか、次にどうしようという当てはあるか、などを「必ず」訊くと決めてしまう。
セクハラであれば、以前に書いたエントリが参考になる。

セクシャルハラスメント相談をうまく進めるための3段階 | deathhacks

カウンセリングに「型」「形式」を導入してしまうと取り調べや調査のようになってしまうのではないかという心配はあるだろう。
そこはクライアントにプレッシャーやマイナスの印象を与え過ぎないようなメッセージのコントロールをも常に意識することで対処する。
特定のクライアントやテーマに対してドギマギしてしまったり、妙に遠慮して踏み込んだ話がどうしてもできない、という状態よりは、多少のリスクはあっても、クライアントのメリットが増える可能性を取るということだ。

カウンセリングにおいては常識を味方にしつつも、常識を疑うことが必要だ。
修行が必要だとか、時間がかかるとか、リスク・マイナスが大きいという先人の話を鵜呑みにすることはない。
まずは、時間や労力を適切に支払って自ら試してみるのがベテランでない者の立場だと思う。

2011-12-01

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心理臨床現場で使うツールの費用対効果を意識する

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うつのリハビリ期に職場に復帰するとき上司や同僚数名にカウンセラーと本人がサポートや理解をお願いするバスケット法や、ディブリーフィングのような惨事後のグループミーティングは、効果が高いという理解はありますが、実際にそれをマネジメントするとなると躊躇するかもしれません。

うつからの復職リハビリ支援とバスケット法の考え方 | deathhacks

個別カウンセリングとグループミーティングの関係性 | deathhacks

これは、バスケット法やグループミーティングなどのツールを学びトレーニングすること、そして使うことの費用対効果を無意識に計算しているからでしょう。
人は日常から無意識に費用対効果、つまりコストパフォーマンスを考えながら行動しているのです。
それは何か高価なものを買うときや、就職や結婚などの重大な決断をするときなどでなければあまり意識されることはありません。

しかし、何かを学んで身につけようとするときなどはその価値を吟味しています。
時間やお金をかけたのにその講演や学校の授業などがつまらなかったり、理解できなかったり、現実の場で役に立たなそうだと感じるとたいていの人は腹が立ったり、不満を感じたりするでしょう。
これは、自分が支払ったエネルギーなどの価値と得たものの価値が釣り合っていないと思っているということです。

バスケット法やグループミーティングについて言えば、「かなり時間をかけて練習してもうまくできる自信が簡単には得られない」という感触がまず大きい。
そして、実際に現場でこれらを使うとすると、複数の人間を集めて彼らをある程度の時間、拘束するというコストも負担を感じる原因になります。
結果として、頭の理解としてはツールの価値は高くても、相対的にコストパフォーマンスが低くなるということになります。

これにより、結局は現場で、リハビリ期支援であれば複数人の同僚を集めるのではなく直接の上司一人だけに説明をしてお願いをしようとか、とりあえずクライアントが職場に戻ってみてその結果や印象を聞いて対応していこうという「カウンセラーにとっての」安全策を採りがちです。
グループミーティングについても、会合をうまく回せる自信がないから個別に会って通常の相談やカウンセリングをしようという「慣れた、結果の読みやすい」方向に流れやすくなります。
ツールは現場で使ってみなくては結局のところその効果や成果は絶対に確認できないはずなのですが。

この心理的なブロックを外すためには、費用対効果(コストパフォーマンス)に関係する要素を意識的に変えなくてはいけません。

一つにはツールについてより学ぶことです。
ツールの価値が高いことに確信が持てれば、それに時間やエネルギーを割いたり、クライアント、そして周囲の人を自信を持って巻き込むことができる可能性が高くなります。
しかし、これは上記したように事前の机上学習だけでは限界が早く来てぶっつけ本番やOJTに期待することになります。

もう一つは、できるだけ現場でツールを使うときのコストを低くすることです。
一番現実的にコントロールできるコストは時間です。
集団を巻き込むツールで一番意識するべきものは、初心者であればあるほど、まず結果ではなく時間です。
いくら効果が高くても単発のミーティングでは限界があります。
一方、時間を長く拘束されればされるほど、参加者やクライアントの疲労は増え、お得感はなくなります。
時間のコントロールについては、もちろん現場での不測事態対処や臨機応変が必要ですが、段取りなどで補うことができます。

カウンセリングや惨事後のミーティング、リハビリ期のサポートなど、その効果やコストは数字で簡単に表したり分析したりすることはできませんし、その必要はありません。
しかし、ツールやそれを扱う自分の負担感なを分析し、その費用対効果を客観的にとらえることは、力を注ぐべきタイミングや部分をあぶり出すことにつながりますし、スーパーバイズや助言を受けるのにも有効な考え方です。

2011-11-16 11:00

笑いながら泣く、あるいは悲しくて明るい音楽

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表情や音楽は同時に反対の内容を伝えることができる。

話すことや文章では、どうしても「順番」という要素が含まれてしまう。

他人を評価して伝えるときに、良い点を伝えてからその後に改善点を述べるか、その逆にするかというノウハウがよく話題に上る。
それは、言葉というツールにとって「順番」が重要だからだ。

カウンセリングに限らないが、コミュニケーションでは使っているツールの性質をよく考え理解しておく必要があるだろう。

2011-09-15 13:00

精神科医でも「診断」を理解していない

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うつ病や統合失調症、神経症や適応障害などを、プロフェッショナルとして精神科医が判定・判断し、「診断」するということについての理解が浅いことがある。
「診断」は、ツールであり、窓だ。

精神科の診断はなんのためにするのか?あるいは新型うつについて | deathhacks

診断は窓に過ぎない | deathhacks

よくあるのが、診断基準に当てはめて、ある患者・クライアントに、その結果をそのまま伝えることだ。
「うつ病ですね」
「診断書は『うつ状態』にしておきますよ」
「言い方、書き方は『自律神経失調症』の方がいいですか? 希望をおっしゃってください」
これらのフレーズは、科学的に事実だと思われることであったり、一見配慮を含んでいるように見えたり、正しいことを言っていたりするように思える。

しかし、大事なことや、本当に患者・クライアントのためになる配慮をしていない可能性がある。
患者が知りたいのは、「診断名」ではなく、その診断によって、あるいは自分の今の状態が何なのか、だ。
それによって、何ができて、何ができないか。
仕事は続けられるのか、続けていいのか。
生活を変える必要があるのか。
病院にはどのくらい通わなくてはいけなくて、薬はどのようにするのか。
お金はどのくらいかかるのか。
そして、治るのか否か。

質問・疑問のうち、いくつかには答えを用意し、説明するとは思うが、なぜ当事者がそれを考え、その心配をしているのかという視点が医療には不足している。
ただ単に仕事として、決められた、科学的・医学的判断を供給・提示するだけでは足りない。
でなくては、診断を告げ、患者やクライアントの不安を最大限にあおるだけあおって、当事者の最大の関心事について考えることもなく医療をしていることになる。

2011-08-30 08:00

うつの症状は憶えなくちゃいけない、説明できなくちゃならない

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我々がうつの症状としてとらえ、整理して、教えているものには10項目ある。
教育やトレーニングに参加した人ならばわかると思うが「5+5(ご、ぷらす、ご)」と言っているものだ。

《身体面》
不眠、食欲不振、疲労感、思考停止、不定愁訴(あらゆる身体不調)

《精神面》
自責感、無力感、不安・焦り・後悔、対人恐怖、自殺念慮

カウンセリングの現場を上手に扱える実践力を鍛えようとしているし、実技・実習を重視していることを強調しているのに、「暗記してくださいね!」と言われると違和感があるだろう。
今さら受験勉強みたいな丸暗記が必要なのか? というような嫌悪感や脊髄反射的な抵抗を感じる人も多いかもしれない。

この「症状を憶えましょう」ということについては理解しておくといい背景が2つある。
一つはこれらの症状のとらえ方は「切り口」に過ぎないこと、もう一つは「憶えただけではダメ」ということだ。

「切り口」について

症状が10個あると言っても、これらは実は厳密なものではない。
不眠の表現型で言っても人それぞれ違う。
寝付けない人がいれば、夜中に何度も起きてしまう人もいる。
一晩中眠れてはいるものの浅いもので疲れを取るのにつながっていないこともある。
そういうことだ。
必ずしも食欲不振ばかりでなく、大食いになってしまうということは良く聞く。
自責感や自殺企図なども表し方、現れ方が人それぞれだから、「この言葉が出たらば自責がある」とか「死にたいとは言っていないからOK」ではない。

あくまで10個の症状「5+5」と言っているのは、これを目安にしてクライアントの話を聞けば、ブレにくい、迷いにくい、うつ状態やうつ的思考に気づきやすいということだ。
熱が何度あるとか、検査でいくつの値が出たとかいうディジタルなものではないからあいまいにとらえるしかない。
しかし、手がかりや物差しがまったくないのでは現実問題として扱いにくい。
そこで「5+5」のような内容を「ツール」として用意している。

あくまで「ツール」だから、人によっては使いにくく感じるかもしれない。
10個の内、何個あったらうつだと“判断”するものでもない。

学術的な背景はないが、このツールは現場で使われ磨かれ育ってきたものだ。
元々他に“ツール”を持っているのならばそれらと併せて、あるいは部分的に入れ替えて使ってみればいい。
初級者であれば、とりあえず身につけてみよう。

症状を「憶えただけではダメ」

「ツール」という解釈は、紙に書かれたり、教わったりした項目を単に暗記すればいいというのではないということにも通じる。
ツール、というからには使えなくては意味が無いのだ。
どんなに切れる包丁でも使い手次第でできる料理の種類や出来は異なる。
できれば何種類かの包丁を場合によって使い分けたほうがいいだろう。
そういうことだ。

カウンセリングをトレーニングする上で実践を目指しているということは、症状について言えば、クライアントやその周囲の人に「分かりやすく説明できなくてはいけない」ということになる。
クライアントに「不眠はありませんか?」とチェックシートそのままに確認するというのではなく、「朝起きても休んだ感じがしないということはないですか?」とか「寝付けないから怖いとか、アルコールが欠かせないということが増えたりしてませんか?」というようなクライアントの生活や人生に配慮した尋ね方をするべきだ。
10項目を確認するだけが最大唯一の目標ならば、紙に書いてクライアントに渡してチェックでもしてもらえば済む。
そうしないことがプロでありかつサービスとしてのカウンセリングの売りの一つだ。

まとめ

教え方や内容が「現場」から生まれ育ってきていると書いた。
これはどういう事かというと、「学びやすく、教えやすい」ということだ。
少なくともその両方の最大公約数的なものになっているという自信と実績がある。
科学的に厳密で正しいとされていても、現場で使えなかったり、クライアントに受け入れられるアレンジができなかったり許されなかったりしては本末転倒だ。
いくら憶えやすいといっても独りよがりの道具ではプロとして不十分になるし連携もしにくい。

「現場」あるいは「道具」という喩えと性質から言うと、これらは知識として持っているだけではなく繰り返し使って自分の手足のように扱える域を目指さなくてはいけない。
また、一度身につけてしまえばもう一生ものとしてメンテナンスをしなくていいというものでもない。
社会やそこにいるクライアントの変化に合わせて変化・進化していかなくてはいけない。
症状の項目や表現は変わってきたし、これからもドンドンと変わっていくだろう。
それが「現場」であり「道具」であり、「実践」ということだ。

2011-08-06 08:00

悪いことは重ならない、少なくともあなたに責任はない

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悪いことは重なるというイメージはないだろうか。
仕事で失敗が続くとか、プライベートでのトラブルが重なるなどだ。
そんなときには、まるでトラブルが失敗を生み出していたり、失敗がトラブルを待ち構えたように連れてくるように見える。
すべては自分が何か悪いことをしたせいではないかとまで考えてしまう。

一つにはもちろん、あるトラブルがあるとそれに対応したり処置したりするためのコストがかかり、トータルのコストが処理能力を超えてしまうがために、さらに別の問題が出やすくなるという仕組みはあるだろう。
この状況に対処するためには、元々の仕事に余裕を持たせておく、自動的に安全を保つような仕掛けを施しておくなどが必要だろう。

もう一つの仕組みは心理的なものだ。
普段、エネルギーに余裕がある、自信を持てている状態であれば、さしてトラブルに感じない、あるいは動じないで対応できる状況であっても、受ける側が「弱って」いれば相対的にイベントは大きいものとなる(感じられる)。
これは「気のせい」と言ってしまえばそれまでだが、自信を持てているかどうかは行動や思考にも影響が出る。
そして「思い込み」であっても、疲労の度合いを大きくもする。

いずれにしても、他人の意見なり、過去の自分の記録などを活用して客観的な視点を持つ習慣や工夫をツールとして人生に組み込んでしまうと良い。

2011-07-29 06:00

勉強会の基本問題

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以下のTweetをしたら4favs+13RTsほど、いただいたのでもう少し書いてみる。

勉強会のオーバーヘッドにはいくつかある。場所の確保、参加者の日程希望調整、誰がマネジするか、など。これらが煩雑だと話が生まれないし、進まないし、続かない。勉強会の後学習もこれからは大事にしなければ。そのためのITツールか近年充実してきている。
@neti2
neti2

勉強会の内容・テーマとしてはロールプレイやスーパービジョンなどを含んだカウンセリング関連を想定してる。

場所の確保

  • 2時間から3時間程度、静かめの密室、というか隔絶された場所が欲しい。ロールプレイはやはり実践のカウンセリングと同じような環境でやらなければいけない。内容守秘の問題もある
  • 都内だと貸会議室(喫茶室ルノアールとか公共施設など)は割とある。値段が高くなると人数を確保しなくては割高になったり、会のモチベーションを下げる元になる
  • 予約・手配の手間も馬鹿にならない。最近はかなりWeb上から探したり、予約状況を確認できたり、申し込んだりできるようになってきているけど
  • 区なんかの小自治体などが管理する、優先使用団体なんかがある施設は制限があるわけだが安価なようだ。ただ実際の情報は地道に口コミや実見で探す必要がある
  • 会メンバーが元々の会社や団体の組織所属者とだいたい一致していて、カウンセリングというテーマが組織に理解されているならば、業務外時間に施設を使える。これは結構理想的
  • 特定個人の所有場所とかだとこれはまた会の開催に属人性の影響が大きくなりデメリット

参加者の日程希望調整

  • 結論から言うと、少数のコアメンバーが日程などを決めて、まず動かし始めてみるということを勧める
  • なかなか都合が合わない人も出てくるとは思うが、とにかく「会を開催すること」にこだわった方が良い
  • 飲み会ならば「皆やる気はあるけど時間が合わないねー」でいいかもしれないが、勉強会は成果を上げるべきものであって、まずやらなくては意味がない
  • 勉強会に、飲み会以上、仕事未満(あるいは仕事以上)の優先度でコミットできる人の比率次第
  • ツールとしては少人数でもメール、メーリングリストなどでは限界が低い。すぐ面倒くさくなる。元々の互いの連絡先の把握だけでも大変。Facebookのようにオプトイン(参加者個人からの要求→承認フロー)方式が良さそうなのでこれから試す

誰がマネジするか

  • 参加者全員がフィフティ・フィフティの同等で、アメーバ的に代替可能な立場と役割をするのが理想
  • マネジャー、ファシリテーターはなくてもいいや、と思いがちだが、その仕事自体は必ずある
  • 飲み会の幹事と一緒。ある程度以上の人数規模になれば、何かとだれかが取り仕切らなくてはいけない
  • マネジャーや幹事の労をいとわない人もいるが少ない。何かしらの利得を感じ取ったり、受け取れる人は確かにいる。しかし、これも属人性を高くしたくないのと、いつかその特定個人は「疲れた」ときなんかに会が成り立たなくなる
  • 持ち回り制なんかもあるとは思うが、結局仕切れない人は仕切れないし(個人に関する、時間・エネルギー・モチベーション・リソースの差異はいたしかたない)

まとめと私見と雑感

  • ノウハウ的には飲み会のセッティングと同じ。テーマとモチベーションなんかが違うだけ
  • 集まることのコスト、個人ごとのコスト、連絡コストをどれだけ下げるかが肝心
  • そのためには、人数を増やさない。ただし、参加者は多様な方が良い
  • ITツールの活用
  • カジュアルさ(いい加減さ)と勢いが大事。始めるにしても、続けるにしても、止めるにしても
  • Facebookグループなんかを使って勉強会の「ビフォーケア」「アフターケア」をすると良い
  • 理想として考えているのは、日常からやり取りや議論、学習を共同でしておく。リアルに会う必要があること(ロールプレイや緊要なスーパービジョンなど)について「勉強会」を開く。これは会議ミーティングの考え方と同じ

2011-07-09 08:00