ショックな出来事に対処するために持つべきは「意識」と「知識」と「儀式」

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惨事の衝撃は時に甚大だ。

私たちが現場で介入サポートをするのは、問題や悩み、悲しみを解消してゼロにするためではない。
そもそもそれは不可能だ。

出来事によるショックは人によって違うし、そこから回復するペースもまたそれぞれだ。
サポートにはそうした回復を、可能な限り妨げないようにしたり、自然な回復を待つのが得策ではなくなっているような特別な状況・事情を察知してフォローアップしたりするためのコツを個人や集団に残すことも含まれる。

コツを簡単にまとめて言うと「意識」と「知識」それに「儀式」の3つだ。

自分を観察して、状態を「意識」する

自分の気持ちや体調を、できるだけ客観的に評価してみるのは大事なことだ。
特に日常ではない、ショックなことが起きたあとしばらくは。

ビックリしているのも、頭が真っ白になってうまく考えが進まないということはある程度仕方がない。
現状をそのままに受け入れることは、打ち負かされることとは違う。

怒りやイライラだって、闇雲に抑えるのがベストとは限らない。
実害を自分や他人に与えることさえ避ければ、感情を多少外に出して表現することは許される。

自分や周りを観察して、変化を意識し、1週間や1ヶ月くらいの間で比べてみることは直接・間接に、衝撃による反応から日常への回復を助ける。

ショックな出来事によって起きる反応を「知識」として持つ

反応を意識するとは言っても、それだけではなかなか自分の立ち位置や状態についての不安はなくならない。

一般論であるにしても、反応や回復の標準的な様子や経過を知っておくのは、精神的な安定を得るためにはとても有効だ。

人間はごく短期間の未来であっても、予想ができない事柄については大きな不安を感じる。
逆に、数ヶ月先までの、そして多少ネガティブな状況であっても、ある程度根拠を持った予測があれば、なんとか安心して持ちこたえられる。

また、平常うまくいっているときに、こういったピンチのときの反応や対処を積極的に知ろうとは思いにくい。
必要に迫られたときこそ、現実に役立つ知識を仕入れる絶好・最適の機会になる。

現実的なツールとしての「儀式」を持つ

意識や知識は、それ自体目に見えたり、直接に自分を助けてくれるものではない。

意識・知識は大事だが、それをベースとした上での具体的なツールがあることで実際にサバイブする確率が大きく変わってくる。

とは言っても身構えすぎて考える必要はない。
ちょっとした「儀式」を困ったときこそ探してみる、または平和な日常のうちに手に入れておいて小さなピンチのときに試しておけば良い。

儀式は、呼吸法(腹式呼吸でも、数えるだけでも)やストレッチ、お祈り、メモや手紙を書くこと、静かに周りの音や空気・温度を感じてみる、散歩する、などなどなんでも良い。
「これをやってみたら?」と勧められても、結局自分にそれが合うかは人によってバラバラだ。
自分の感覚を信じることと色々試してみるしかない。
そうして試行錯誤してみること自体、突き詰めすぎなければ癒しにもなる。

ここでの儀式・ストレス解消法は、それだけですべての不安やトラブルが解消するというような完璧・万能なものでない方がかえって良いかもしれない。
その代わり、本当に身近で、コストをかけずにいつでも繰り返せるようなものがいい。
1つでも2つでもこうしたツールをお守り代わりに持っているかいないかは、個人毎ストレスへの対応力の大きな違いになる。

2011-05-18 08:00

Posted from DPad on my iPad

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