オリジナリティ × ニーズ = 良い製品

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「良い文章」についてのメタ引用から。

もう何度引用したかわからないけど、blogに限らず読み応えのある文章は、以下のシンプルな条件を満たしている。

高校生のための文章読本」pp.208
良い文章とは
自分にしか書けないことを
だれが読んでもわかるように書いた文章

404 Blog Not Found:どんな風に書いたところで、あなたのよう書けるのはあなただけ

これと同じ考え方を「製品」に適用することは可能だろうか。

良い製品とは、

  • その人にしか作れないもの、
  • かつ、誰もがその価値を認めるもの

ということになる。

「誰もがその価値を認める」の部分は、「誰もが必要とする」や「皆がそれを好きになる(好きである)」などにも言い換えられる。

こうした条件に当てはまる製品やサービスを、いざ自分が仕事をする分野でこれから考えていく。

2012-08-15 09:00

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不幸極限への対応の考え方

Sketches / 1

トルストイが言うには、

「幸福な家庭はどれも似たようなものだが、不幸な家庭はいずれもそれぞれに不幸なものである」

らしい。

これは個人についても当てはまるだろう。

ただし、不幸が極まると、これもまた幸福と同じようにワンパターンな状態になるというのが現場の印象だ。
ワンパターンというのは、「消えたい」「死にたい」「自分なんかいない方が皆のためになる」「離婚しよう」「会社を辞めて責任を取ろう」などなど。

この不幸の極限状態は、深さで言えば相当なもので大変深刻だが、ワンパターンな故、対応・打つ手・初動・ファーストエイドとしては、やるべきこと、できることが限られているから理論はシンプルで、あとは実践の取り組みが勝負になる。

2012-07-27 08:00

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レフ・トルストイ – Wikipedia

トルストイ 名言 – Google 検索

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メッセージコントロールと傾聴を折衷するためには

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24時間アンテナを立てて勉強していると、そのときどきに考えていることや迷ったことに関する投げかけやヒント、反駁を、ちょうどそのときに読んでいる本などから得られることが結構ある。
シンクロニシティと考えても別にいいのだが、おそらく確率的な問題だろう。
それだけ色々なチャンスが偶然の中にあるというだけのことだ。

カウンセリングでのメッセージコントロールについて、トレーニングしたり、その本質を考えてみたりしている。
クライアントが話すことや質問への対処などは、その見せ場の一つになる。

話を、まとめ、要約し、確認し、ときに質問を率直にする。
メッセージコントロールでは、打てば響くような対応やノリを、タイミングよくポンポンと出していくことによって、即効的にクライアントの味方になろうとする。

ところが、ある意見ではそれとは逆のように感じることが語られていたりする。

 しかし、ここでもっとも大切なのは、「的確に内容を伝え返す」ことではありません。カウンセラーが、どのような雰囲気、どのような話し方でそれを伝え返していくかです。

– はじめてのカウンセリング入門 下 ほんものの傾聴を学ぶ、諸富祥彦、誠信書房、2010、p.105

また、質問への対応についての記述はこうだ。

 クライアントが発する質問の多く、特に、迫るような真剣なまなざしで発せられる質問の多くは、質問というよりも、「もう自分ではどうしていいか、わからない。誰かに答えを与えて欲しい」という、すがるような「気持ちの表現」であることが多いものです。その気持ちを受け止めずに、正面から「解答」を与えてしまうと、クライアントさんの「すがるような気持ち」は、まさに「置いてけぼり」をくってしまいます。

– はじめてのカウンセリング入門 下 ほんものの傾聴を学ぶ、諸富祥彦、誠信書房、2010、p.122

この辺りは、当然本であっても、現場であっても、前後の文脈や議論の流れがあるのだが、さっと答えてもいい質問、さっと答えた方がいい質問、答えないほうが良いくらいの質問などを判断するのには、メッセージコントロールでもただそれをテクニックとして理解しているレベルでは、食い違いに混乱してしまいかねないような内容になっている。

きっと、答えはシンプルなのだろうし、ゴールは現場で評価するしかないが、理論や意見の比較から、最適解は浮かび上がってくる。

2012-07-26 09:00

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ワレイガイミナワガシ

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あらためて、日常のあらゆるものから学ぶことができる、ということを実感している。

色々フラッと立ち寄ったり、偶然出会ったものを眺めたり、そうして見たもの、気づいたこと、感じたことが、私であれば今もっとも関心を持っている、心理研究やカウンセリングに役立つ。

人間は世の中あらゆることに関わっているし、世界から影響を受けている。
そこでの個人や集団、社会の有り様や動きは、どれほど分野や見かけが違っていても心理的な視点で見て参考になるし、同様のものを適用できる。
人間そのもののしくみや心理は同じだからだ。

「あらゆるものがヒントになり、学ぶ素材になる」
本質は一緒だからだ。
「本質は一緒」というのもメタに考えると、それ自体「本質」でもある。

今回私は「都道府県対抗なぎなた大会」をふらと観に行って、様々な興味深いことに気づいたり発想したりすることができた。

港区公式ホームページ/港区スポーツセンターで「第53回都道府県対抗なぎなた大会」を開催します!

競技自体を元々よく知っているわけではないし、経験があるとかいうのでもない。
場所や「スポーツ・競技」というカテゴリーそのもの、そしてそれに参加したり運営したりしている人や組織など、そういったものに興味がそそられる。

こうした、普段自分が生きて生活している分野や業界とはまったく違うところで、感覚を敏感にして、色々と観察し、発見することはとても楽しく、有意義だ。

私のメンターの一人も座右の銘にしている。
「我以外皆我師」だと。

我以外皆我師 – Google検索

2012-05-28 07:00

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やるべきこと、やりたいこと、やれること

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前の職場に異動してあいさつをするときに「自分にとっての、《やるべきこと》と《やりたいこと》が一致して、さらにそれが《やれること》だったら嬉しい」ということをしゃべった。
見方によっては不遜なことを言っていたかもしれないが、そのときの自分の任務が割りに特殊であったり、独立的に進められる部分が多い業務だったりしたのでまあ許されるだろう。

読んでいた本の中に、似たようなこと、以前のこのあいさつエピソードを思い出させるような文章が偶々あったのだった。

そりゃあ、「やるべきこと=やりたいこと=やれること」という状態は理想的だろう。
しかし、「理想的=現実には無理」と考えてしまうのも悲しい、というか楽しくワクワクできない。

どうも、こうした「いかに生きていくべきか」というようなことを考えるといくつか決まって思いつく、思い至るものがある。

一つには村上春樹の「ノルウェイの森」に出てくる主人公の先輩「永沢さん」のセリフだ。
「やりたいことではなく、やるべきことをやるのが紳士だ」とかいうものだったと思う。

もう一つは、自分が自身に問いかける「今この瞬間に死んでしまうとして悔しかったり悔やんだりするだろうか?」という命題だ。
これはブログにも書いたことがある。

今死んでも大丈夫 | deathhacks

論理的に考えることは大事だが、今回書いたようなフィーリングとしか言いようのないものも同じくらい大切なものだと思っている。

2012-05-11 07:00

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相手よりもややフォーマルな服装で

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先日、まったくの初級者に、カウンセリングとまではいかなくても、職務上ものとはまた違った、悩みや相談を拾い上げるような面談をトレーニングする機会があった。

仕事上、あるいは人生の上での経験は多くあっても、悩んでいる人の話を聞くということになると、皆急に不安が大きくなる。

そういった状態だから、本当に基本的な部分についての素朴な疑問や質問が出てくる。

「カウンセラー(聞き手)はどういう服装をするのが良いでしょうか?」という質問があったが、その時点では「ケースバイケースですね」とか「TPOに合わせて」というような、一番つまらない、間違ってはいないが役にも立ちにくい回答しかできなかった。

その後、思い巡らせ、またまたセレンディピティ的に、再読していた本からそのものズバリのアイデアを見つけた。

本はガー・レイノルズ氏の「裸のプレゼンター」だ。

「服装に配慮する」(※ページ数は後ほど確認して追記する)の項より。

回答としては「クライアントに対応するときの服装は、クライアントよりもややフォーマルなものが良い」だ。
(あなたの立場がカウンセラーでもプレゼンターでも)

そのポイントは3つあった。

プロフェッショナルな印象を与える

服装や見た目はその場への準備であり、そこからクライアントや聴衆への敬意を表すことができる。
大臣が天皇陛下から任命されるのに正装をするようなものだ。

もちろん様々なメッセージコントロールや言葉、人柄、人格、実力などでも同じことを表現することはできる。
しかし、一目で相手の期待に沿うためにはビジュアルの利用が不可欠だ。

聴衆から浮いてしまわないように気をつける

かと言って、常に正装、ないしカッチリと隙のない服装をするのがベストというわけではない。
カジュアルなドレスコードが「正しい」場もある。

工事現場や肉体労働の場、災害や事故の現場などに、相手がフォーマル過ぎる服装で現れたら、どうしても心理的な距離が生じるかもしれない。

少々ドレスダウンすることはいつでも可能

スーツ姿からでも、ジャケットを脱ぐ、ネクタイを外す、腕まくりをする、などのようにくだけた演出をしていくことはできる。
ただし、逆にTシャツやハーフパンツ、サンダル履きなどの状態から、ドレスアップするのは難しい。

まとめ

初級者に対してではなくても、質問にはできるだけ具体的に答えるのが良い。
無難な回答はリスクが少ないように見えるが、プロフェッショナルに期待されるものがそれかどうかはわからない。
「話を誠実に聞こうとする場面では、相手よりもややフォーマルな服装を心がける」というように、狭い範囲の答えを自信を持って出してよい。

2012-04-24 08:00

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裸のプレゼンター
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クライアントと自分をリアルタイムに観察しながらメッセージをコントロールする

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メッセージコントロールのデモンストレーションをやっていて、珍しく新しい発見があった。

短いフレーズにも、強く感情がこもったり(こめることができたり)、メッセージが入り込んだりすることは、確かにある。

宇多田ヒカルも、「あ」から歌い始める場合だけでも、こもった声から始めるか、サラッと始めるか、ビブラートを効かせるか、かすれさせるか、ファルセットっぽくつないでいくかなど、本当に無限の表現方法があるというようなことをどこかで書いていた。
(残念ながら、今うまく、出典がみつけられない。。)

カウンセリング、そしてメッセージコントロールではプロの歌手ほどにボーカルコントロールをする必要は少ないかもしれないが、ポイントポイントでは重要だ。

クライアントが惨事に遭遇した話を聞いて、「それは大変でしたねぇ。。」とまとめたように言ってしまうと時に嘘くさくなる。
それよりも、「こうで、こうで、その後そんな状況になってしまったんですか。。」というフレーズ自体の声質に感情を込め、抑揚をつけ、表情を曇らせ(たりす)るのだ

こうしたときのメッセージは強力だ。

事故で死にかけました、という体験を聞いた時に、その話題を取り上げるか、流してしまうかという選択や、タイミング(間が0.5秒でも空いてしまうか否か) も如実にクライアントが受け取るメッセージを決める(変える)。
ちょっとでもあいまいで、ぼかしたような表現だったら、カウンセラー自身の言葉で言い換えて確認してしまおう。
さらにまた、その言い方にメッセージをこめられる。

声が落ち着いてサラッと繰り返しているか、ためらいや恐れが入っているか、早口や逆に強調して確認するようなゆっくりとした話し方になっていたりするかなど。

まるで演劇のセリフ回しのようで、シナリオのない、カウンセリングの現場ではそんなに器用なことはできるはずがないと思う人もいるかもしれないが、先に書いたように、要所要所で半ば無意識半ば計算しながら、クライアントの反応や表情をリアルタイムに確認しながら、自分が出しているメッセージをコントロールすることはもうすでに私や仲間はやっている。

一朝一夕にできるものでもないが、訓練や現場体験、そしてふりかえりでほとんどの人が身につけ、メッセージコントロールを上達させることができると感じている。

2012-03-26 08:00

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「カウンセリングとは何ですか?」と聞かれたらこう答える

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カウンセリングを扱うのであれば、誰かに「カウンセリングっていうのは何がどうなって“効く”のですか?」「カウンセリングって結局“何”ですか?」と質問されたら答えられなくてはいけない。
初心者、初級者を除いて。

私なら今、「カウンセリングとは言語的または非言語的な手段を使って、他人を支援し、行動の変容を図る人間関係のことです」と答える。
何のことはない國分康孝氏の受け売り、パクリだ。
言葉としては。

この文章の意味や背景、カウンセリングの説明で、30分や1時間は話すこと、話せることがある。
長く話せば良いというものではないが、色々と考えていること、思うところがある。
あとは、それが他人の腑に落ちるか、普遍的な要素がどれだけ含まれるかが鍵になる。

私が挙げた(國分氏の文の)定義の前半「言語的または非言語的な手段を使って」という部分はこのブログでも何度か取り上げた「メッセージコントロール」に当たる。

古典>近・現代>最新(メッセージコントロール)《カウンセリングの変遷》 | deathhacks

はじめはメッセージコントロールだけで十分 | deathhacks

メッセージコントロールが革命的である理屈 | deathhacks

それと、閉ざされていたり、限定的な時間や空間、条件などにも縛られないという風に解釈している。
要は何を使ってもいいということだ。
極論をすれば「手段は選ばない」、と言うか「手段はそれほど重要ではない」
非社会的なもの、非倫理的なものなどを除いては。

隙間産業的なカウンセラーを目指す | deathhacks

後半の「行動の変容を図る人間関係」について。

「行動の変容を図る」という部分については、國分氏の著書での説明が実に腑に落ちる。
カウンセリングによってクライアントの思考や世界の見え方が変われば、今までと違う行動ができるようになる。
また、周りからは「あいつはまったく変わらない」という風に見えたとしても、本人の内面が変われば同じ環境、同じ出来事に対しても、我慢ができたり、別の考え方をして人生を乗り越えていける。
そんな感じの説明だったと思うが、詳しくは本をみて欲しい。

カウンセリングの技法
カウンセリングの技法

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國分 康孝
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「人間関係」については以前に述べた私の考えのエントリにリンクしておく。

はじめはメッセージコントロールだけで十分 | deathhacks

好かれればカウンセリングはうまくいく | deathhacks

カウンセリングの中で出てくる言葉のやり取りだけに注目しているならば、なぜ同じことを言っても感じ方や結果が違うのかがうまく理解できない。
意識して再現性を高めることができなくては、カウンセリングの科学性や学問性を肯定することができない。
そういう状態では、自分が良いカウンセラーになることはできても、他人にカウンセリングを上手に教えたり、継承して再生産していくことができない人だということになる。

誰がどの立場から言うかによって言葉の意味やメッセージはガラリと変わる | deathhacks

カウンセリングは「何を言うか」でなく「誰が言うか」 | deathhacks

どうも前にも書いていることを繰り返してテーマにしているが、まだまだ理解と説明の熟成が不足しているから、何度でも考え続けている。

2012-02-29 07:00

小学生にもわかるように3秒で説明する

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他人に知識や技術を教えるときのコツというか、工夫として「小学生でもわかるように説明する」というものがある。

どんな知識でも技術でも、本を読んだり、人から聞いただけでは本当に理解することは難しい。
それらの内容に触れて、ひとときは感動したり、わかったつもりになったり、次にやれば自分にも同じことが期待通りにできると感じたりするかもしれない。
しかし、純粋に趣味や楽しみとして知識を仕入れたり、習ったりしているなら別だが、その学んだことをあらためて自分で表現する、再現することができてこそ「本当に理解した」と言える。

勉強したり憶えたりするだけではなく、他人に教えることによってより深くしっかりと理解することができるのだ、ということはよく言われていることだ。
逆に「わかりました」と言っている人に、説明をしてみてもらうと、言葉が全然出てこなかったり、間違っていることがポロポロと現れたりして、はじめて本人が自分の理解についての錯覚に気づくということもある。

また、この他人に教えるという状況で、そのテーマをよく理解している人ほど、簡単な言葉、平易な表現、聞き手に合わせた比ゆなどをうまく使うことができる。
うまく伝わらない時には、即座に、何度でも、何種類でも表現できるのが理想的ということになる。
言葉は抽象化された共有のための表現でありツールに過ぎないから、その使い方ややり方にただひとつの正解というものは本来ないはずだ。

抽象化というと難しい印象になってしまうが、それすらもツールであるから、適切に言葉ややり方を選べば、適切なレベルで、小学生くらいの理解度があればたいていの事柄はわかってもらうことができるはずだと思う。
うまく説明したり、喩え(例え)話を持ち出せないというのであれば、その内容を自分がまだまだよく理解していないか、工夫の余地があるとみるべきだろう。

メンタルヘルスやカウンセリングについても、言葉としてはよく「小学生にもわかるように説明してみよう」とやってみるが、これを実際に実行してみると良いと思っている。
小学生に「うつ」をわかってもらうことができるか。何に喩えれば納得してもらえるか。どんな例を出せば身近に思ってもらえるか(学校でのいじめとか、テレビ番組とかを利用するのがいいか) そもそも話をしているあなた自身に興味を持ってもらえるか。
「小学生にもわかるように、大人に説明する」のと「今後小学生らを前にして1時間話をする」のでは、想定する状況としては近いようで本気度の違いが結構あるのではないか。

なんとかこれもまた、機会を探す価値があると思えている。

おまけ。
理解することと教えることについての一意見を紹介。
文章自体はさらっと書かれているが、とても厳しく鋭い。

283:050116 自分のことばと借りてきたことば: shiology

2012-01-17 13:00

引用はキチンとする

R1009638

引用の作法を守らなくては、逆の立場になったときに同じような不作法を受けた時に、異議を唱えにくくなる。
他人のノウハウを適当にパクったり紹介したりしていると因果応報の出来事が起きても文句は言えない。

秘密を守るというようなルールも、一見すると相手のための行為のように思えるが、利益も不利益も結局自分に返ってくる。
秘密を守らない人が信用されるだろうか?
秘密を守らない人が「これは秘密にしてね」と頼んだとして、その頼まれた相手はホントの本気で秘密を守る気になれるだろうか?

こういったモラルに関わることは、多分に感情的なものやフィーリングでしか語れない。
二つの立場同士の関係性が大事になってくる。
もしも自分の存在や発言が尊重されていないと感じたのならば、きっと自分がまず相手を尊重していないのだ。

すべての作法を完璧に守ることは難しいけれども、常に色々な角度から考えてみなくてはいけない。

2011-10-10 09:00