この時期(2012年12月下旬)「年末はどうするんですか?」という質問をよく耳にするし、尋ねられる。
単純に他人の動きに興味がある。
自分の過ごし方を話すための枕として。
帰省することの楽しさや困難さなどを共有したいという心理から。
あるいは、まったく社交辞令として。
どうして聞くのかとか、どう答えるのかとか、そのあとの会話の展開なんか考えると、興味深く、緊張する。
2012-12-30 12:00
心理カウンセリングとその周辺についてほぼ毎日書いています
知り合った相手のことをより深く知るために「ご趣味は何ですか?」と訊いたり訊かれたりすることがある。
しかし、この質問では、たまたまばっちりと趣味が近かったり同じだったりしない限り、話がうまく盛り上がって広がることは少ない気がする。
それよりも「好きな本は何ですか?」とか「最近にどんな本を読みましたか?」とかいう質問をしたらどうだろうか。
(「本」は「映画」や「テレビ番組」「タレント」なんかでもいいと思う)
昔から、「その人を知りたいと思うならば、その人間の本棚を見よ」とか「〜の友人を見よ」と言う。
相手を直接に見るのも良いが、生まれてから死ぬまで絶対的に社会的な生き物であり続ける「人間」個人を定義するのに、その周囲を観察するほうが有効なことは多い。
同じように考えると、他にもいくつか質問が浮かぶ。
こうした「範囲を狭めた」質問をするほうが、相手の人と生りがわかりやすくなるのではないか。
質問のポイントは、クローズドな質問ではないけれどもオープン過ぎるものでもないこと、かもしれない。
うまく質問をすれば、
ただし、注意をしないと次のようなデメリットやリスクもあるだろう。
単なる日常会話・社交会話に思えるものでも、色々と考えてみると面白い。
2012-05-06 08:00
Posted from DPad on my iPad
先日、まったくの初級者に、カウンセリングとまではいかなくても、職務上ものとはまた違った、悩みや相談を拾い上げるような面談をトレーニングする機会があった。
仕事上、あるいは人生の上での経験は多くあっても、悩んでいる人の話を聞くということになると、皆急に不安が大きくなる。
そういった状態だから、本当に基本的な部分についての素朴な疑問や質問が出てくる。
「カウンセラー(聞き手)はどういう服装をするのが良いでしょうか?」という質問があったが、その時点では「ケースバイケースですね」とか「TPOに合わせて」というような、一番つまらない、間違ってはいないが役にも立ちにくい回答しかできなかった。
その後、思い巡らせ、またまたセレンディピティ的に、再読していた本からそのものズバリのアイデアを見つけた。
本はガー・レイノルズ氏の「裸のプレゼンター」だ。
「服装に配慮する」(※ページ数は後ほど確認して追記する)の項より。
回答としては「クライアントに対応するときの服装は、クライアントよりもややフォーマルなものが良い」だ。
(あなたの立場がカウンセラーでもプレゼンターでも)
そのポイントは3つあった。
服装や見た目はその場への準備であり、そこからクライアントや聴衆への敬意を表すことができる。
大臣が天皇陛下から任命されるのに正装をするようなものだ。
もちろん様々なメッセージコントロールや言葉、人柄、人格、実力などでも同じことを表現することはできる。
しかし、一目で相手の期待に沿うためにはビジュアルの利用が不可欠だ。
かと言って、常に正装、ないしカッチリと隙のない服装をするのがベストというわけではない。
カジュアルなドレスコードが「正しい」場もある。
工事現場や肉体労働の場、災害や事故の現場などに、相手がフォーマル過ぎる服装で現れたら、どうしても心理的な距離が生じるかもしれない。
スーツ姿からでも、ジャケットを脱ぐ、ネクタイを外す、腕まくりをする、などのようにくだけた演出をしていくことはできる。
ただし、逆にTシャツやハーフパンツ、サンダル履きなどの状態から、ドレスアップするのは難しい。
初級者に対してではなくても、質問にはできるだけ具体的に答えるのが良い。
無難な回答はリスクが少ないように見えるが、プロフェッショナルに期待されるものがそれかどうかはわからない。
「話を誠実に聞こうとする場面では、相手よりもややフォーマルな服装を心がける」というように、狭い範囲の答えを自信を持って出してよい。
2012-04-24 08:00
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命令をしてくる人間よりも質問をしてくる人間を疑え。そして質問の前提を疑え。
— 小片武さん (@neti2) 4月 3, 2012
命令や指示では、人は動かない。動かせない。
強い人間関係や愛情、金銭などを介した契約などがあれば別だが、その場合でも本心から他人の言動が変わったり、最高のパフォーマンスを引き出してそれを継続させることにはつながらない。
ではどうすればいいか。
質問をすることだ。
何かをさせるためには、そのものを取り上げて「何々をしなさい」ではダメで、「これこれこういう結果が必要なんだけどどうしたらいいと思う?」と投げかけるといい。
自発的に思考して出てきた発想には強烈なパワーがある。
例えその人自身がやりたくないこと、望んでいない行動であっても、抵抗することは難しい。
その方向を無視することは、それを考えついた自分を否定しかねないから、合理的な代わりの方針を見つけない限り、自己矛盾が生じて苦しさを感じてしまう。
これはつまり、教育効果を上げるため、知識を単純に注入するだけでは得られない成果を出すためのコツだ。
ただし、質問者(教育者)の意図とはかけ離れた方向に思考が進んでしまう可能性もある。
前提にする結果の大筋がぶれないなら問題はないが。
最近のWebでも「ブラックな企業は『これをしろ』とは言わないで、『なぜできないの?』と質問責めをしてできない理由をどんどん消してしまって従業員を操るんだ」というような話を読んだ。
これなども似たようなことだ。
他人に質問をされたときには気をつけよう。
指示をされたように感じない、命令されてはいないと思っていても、実は思考や行動をコントロールされている場合があるからだ。
世の中は意外と、質問を理詰めにされると、取るべき行動や決心の幅は狭くなる。
そんなときは、やみくもに質問に答えようとするのではなく、質問の前提は何か、質問の意図は何か、質問は適切かどうかを抜け目なく考えるべきだ。
2012-04-04 08:00
Posted from DPad on my iPad
質問している本人は、「疑問に思っても当然のこと」を質問したつもり、あるいは相手の隙やミスを突いてやり込めたと思っていたとしても、周りの皆はその場で、質問する方とされる方の両者を同時に見ている。
質疑応答というシチュエーションでは、質問される人の実力がわかるのはもちろんだが、質問をした人間の能力や心理、性質までが、たとえ質問者が意識していなくても透けて見えてしまう。
よい質問をしたつもりでも、聞いている他の人たちは案外、「時間が無駄になった」とか「あんな重箱の隅をつつくようなことをしても誰も得をしないのに」と感じているかもしれない。
2012-03-05 10:00
(「質問」というキーワードがタイトルに入っている過去のエントリ)
世の中、質問に答えていないことがよくある | deathhacks
質問もアドバイスもするカウンセリング | deathhacks
クライアントの質問の背景と興味を考えて対応する | deathhacks
小グループ内で出た質問を共有しよう | deathhacks
オープン・クエスチョンは、あいまいな質問とは違う | deathhacks
カウンセリングを扱うのであれば、誰かに「カウンセリングっていうのは何がどうなって“効く”のですか?」「カウンセリングって結局“何”ですか?」と質問されたら答えられなくてはいけない。
初心者、初級者を除いて。
私なら今、「カウンセリングとは言語的または非言語的な手段を使って、他人を支援し、行動の変容を図る人間関係のことです」と答える。
何のことはない國分康孝氏の受け売り、パクリだ。
言葉としては。
この文章の意味や背景、カウンセリングの説明で、30分や1時間は話すこと、話せることがある。
長く話せば良いというものではないが、色々と考えていること、思うところがある。
あとは、それが他人の腑に落ちるか、普遍的な要素がどれだけ含まれるかが鍵になる。
私が挙げた(國分氏の文の)定義の前半「言語的または非言語的な手段を使って」という部分はこのブログでも何度か取り上げた「メッセージコントロール」に当たる。
古典>近・現代>最新(メッセージコントロール)《カウンセリングの変遷》 | deathhacks
それと、閉ざされていたり、限定的な時間や空間、条件などにも縛られないという風に解釈している。
要は何を使ってもいいということだ。
極論をすれば「手段は選ばない」、と言うか「手段はそれほど重要ではない」
非社会的なもの、非倫理的なものなどを除いては。
後半の「行動の変容を図る人間関係」について。
「行動の変容を図る」という部分については、國分氏の著書での説明が実に腑に落ちる。
カウンセリングによってクライアントの思考や世界の見え方が変われば、今までと違う行動ができるようになる。
また、周りからは「あいつはまったく変わらない」という風に見えたとしても、本人の内面が変われば同じ環境、同じ出来事に対しても、我慢ができたり、別の考え方をして人生を乗り越えていける。
そんな感じの説明だったと思うが、詳しくは本をみて欲しい。
「人間関係」については以前に述べた私の考えのエントリにリンクしておく。
カウンセリングの中で出てくる言葉のやり取りだけに注目しているならば、なぜ同じことを言っても感じ方や結果が違うのかがうまく理解できない。
意識して再現性を高めることができなくては、カウンセリングの科学性や学問性を肯定することができない。
そういう状態では、自分が良いカウンセラーになることはできても、他人にカウンセリングを上手に教えたり、継承して再生産していくことができない人だということになる。
どうも前にも書いていることを繰り返してテーマにしているが、まだまだ理解と説明の熟成が不足しているから、何度でも考え続けている。
2012-02-29 07:00